2017年02月20日

機械化 、AI化、ロボット化は人間にとっていいものである (真の労働をボランティアで追求する時代に)


機械化 、AI化、ロボット化は人間にとっていいものである


(真の労働をボランティアで追求する時代に)

人間の社会は労働なくしてありえないし日々労働である。だから労働もしなかった自分が労働を考えるのもかえって労働しないから考える
自分の労働の経験は流れ作業とか底辺の肉体労働しか若いときしていない、だから労働を嫌悪してしなくなったのである。それができたのは家族に恵まれてできたのである。
自分は学校にも適応できないし会社勤めもできない性格だったからである。

人間がホモファーベルとうとき道具を使う人間というときやはり人間の労働が苦しいから道具を使って生産性をあげる、楽をするとかあり発達した。それは石器の時代からはじまっていたのである。そして石器から鉄になったとき飛躍的に生産性があがった。
稲荷信仰は実は鋳成神である

大鍛冶(タタラ)の仕事が行なわれた地域には鋳成神(稲荷神)が、小鍛冶(道具鍛冶)の仕事が行なわれた場所には荒神(庚申)が奉られた可能性が高い。稲荷の敷地からヒ(けら)や銑(ずく)のクズが、庚申塚の下から火床(ほと)跡が発見されることも多い。のちに、産鉄地が放棄されて神を奉った聖域だけが残り

稲作は鉄器を使った時飛躍的に生産が増大したのである。そして王という字は斧というのが元になっている、まさに斧をもったものが王となったことでも道具をもつものが支配者になるということである。

そういうことは人間の歴史でつづいてきた、機械化は進んできた。
だからなぜ大井川とかで橋を作らなかったのか、船で渡らなかったのか?とか疑問があるがそれは人足が職を失うからだったというのもそうである。
川を渡す人足は相当数いたからその人たちが職を失うから船で渡さなかったという、
便利なものができればそれで職を失う人は必ずでてきて機械化に反対する人たちがいる
鉄道が車時代になったとき国鉄が衰退して社会党も消滅した
国鉄の組合が社会党を支えていたからである。でもその時は高度成長時代であり民営化しても退職金を多くもらうことができた、民営化に反対するというときこれも道具の移り変わり進歩でそうなったのである。つまり政治まで影響するのが技術の進歩なのである。
原発だってやはりその技術の進歩の結果としてまた事故にもなり政治に影響したのである
機械化するというとき家事に機械化も大きい変化だった、洗濯でも盥(たらい)や洗濯板でごしごしやっていたらその苦労は並大抵のものではない、家事も電化しないときは重労働だったのである、それで戦前でも中流家庭でも二人の女中を雇っていたという
それだけ家事に時間がとられていたのである。女中がそれだけ必要だったのである。
今は家事は自分も全部しているけど楽である。
何か自分は一人で三人分くらいの仕事をしている感じになる。
一人は毎日来ているとしても二三分しか働かない、皿二三枚洗うだけである。
それでも高い金をはらっているのは自分にとって必要だらしょうがないとしてそうなっている
つまり実際はその女性は別にここで働いてもらう必要がないのである。
それは機械化の結果である、でもそうなったらその女性は職を失うのである。
金がもらえなくなるのである。
現代は機械化とかコンピューター化すればますます職を失う人が増えてくる
アメリカで雇用を増やしてくれというときそうしたコンピューター化や機械化した結果としてもそうなっている、なぜなら企業はどこまでも効率化してゆくことが要求されるから金のかかるめんどうな人間を雇いたくないからである。

では機械化コンピューター化が人間にとって悪いことなのとかとなるとそうではない、そもそも機械化できるコンピューター化できる労働は単純労働であり機械化した方がいい労働なのである。流れ作業などがそうである。そういうことを人間はしたくない、だから機械化した方がいいとなる
それはロボットと同じであり実際に今はロボットが代わりにしている。
人間のやるべきことはそうした機械的なことではない何か創造的なことであり人間にしかできないことをやるようになる。
いくら機械化してもそういう仕事は人間に残る、女性の仕事もなくならない、女性は何か慰め役とかして男性にはできないことが適応があるからである。
つまり機械化 、AI化、ロボット化によって人間は本来人間にしかできないものをするようになる。

それはボランティア的なものを追求することになる、ボランティアは自発的にするものでありしたくないからするものではない、俺たちは奴隷なんだよなと社蓄なんだよなとかの労働ではない、労働はそもそもそういうものであってはならない、なぜならその時社会全体が不健康になるからである。
ところがもしみんなが自発的なボランティアのようになっていればみんな楽しく自発的にしているのだから社会が健康なものになるからである。
ある技術者は残業をしていたが守衛とかにやてくださいと言われたがもっと仕事をしたいから自発的にしているというときその人はその技術職だから技術を追求しているからそうなっている、流れ作業のよう梨ごとをしていれば一刻でも早くやめたいからである。
つまりこの世にはそうして機械化した方がいい仕事が多いのである。
だからコンビニでもアマゾンで自動化している店がすでにあるというときそういう仕事すら機械化自動化することは悪いことではない、その店員は別な仕事をより人間的な仕事を求めることになるからだ。

だからベーシックインカムというのも豊かになれば必要だとなる、人間社会では嫌な仕事をしたくなくても強制されるからである。自由社会とは何でも強制されない社会である。ボランティア精神でするのが自発性でもって仕事するのが自由社会である。
それは道徳的な面でもそうである。宗教をカルトのように強制的におしつけるのではない、自発的に求めるならいいのである。
人間はそもそも他者から強制されたり他者の言いなりになることは自分を失うことなのである。それを金のためにそうしている人があまりにも多いからこの世が不健康になっているのである。金によって自分のしたいこと自発性が損なわれるのである。
芸術家にしたってそんな絵を描いても文章かいても売れなければなんにもならないとか出版社でも画商でもなる、もし別に金があればそんなことをしなくてもいいのである。
要するに金のために働いているものは奴隷なのである。
だからこの世の中は奴隷社会になっている。そのことが社会を不健全にしているのであるカルト宗教でも人間の自発性を発揮させない、教育でも学校だと自発的に勉強するということがなくただ暗記だから興味を失うのである。
もし自発的なものとして勉強していれば勉強は楽しいものとなる

だから運送でも車の自動運転でもそうしたものが機械化できればそれは悪いことにはならない、確かにその反動はあり事故もあったりするがそういうただ物を運ぶということでもそこに創造性とか人間的なものがないものは機械化自動化した方がいいとなる
そして機械化自動化コンピューター化できないものが人間的な仕事だとなる
それで意外とそうして機械化自動化がすすむとき介護などの仕事は人間に直接ふれる仕事だから残るというときそういう仕事の給料が上がるかもしれないしそういう仕事に適応できるのは高給取りになるかもしれないのである
仕事の価値は時代によって変わってくるからである。
だから豊かな時代になれば
「あなたのしたいことをしてください、金のために働く必要はありません、会社のために働く必要はありません、
奴隷的仕事はしなくてもいいです、あなたのしたいことをしてください」
となるかもしれない、でもその時退職した人のようにとまどう人もでてくる。
そういう人はやはり奴隷にしてくださいともなることもある、自由といっても自由を本当に価値あるものに活用することもむずかしいからである。

人間が追求しているのは自発性、ボランティア精神なのである。それが民主主義であり自由社会の基本なのである。もちろんそれは理想なのだけどモラルだって自発性がなければいくら強制してもモラルは向上しない、カルト宗教団体などは全くこの自発性が皆無なのである。まさに精神的奴隷にされているのである。
ただ地獄に落ちるとか罰あたるとか怯えているだけの団体でありそれもこの社会を不健全にしているのである。
この世の中をゆがめているもの自発的にボランティアとして生きられないことなのであるいづれにしろ俺はこれが好きでやっているから苦しくなんかない、楽しいんだ、残業など強制されない、仕事をしていたいんだよとなっていれば健全である。
農業だってこれも別に趣味でしている人は楽しいのである。農業は実際はそうして売るためにとか金のためにではなくしていれば自然と密接に結びつくから楽しいものであり生きがいとなる、大工の仕事でも職人でも何でも自発的にしたいということはある
そこには機械的な作業もあるが何か自発的にしたいというものがありそれが創造性につながるのである。

posted by 老鶯 at 10:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題
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