2017年02月18日

幸福の科学騒動 清水富美加の出家-芸能人を利用するカルト宗教団体


幸福の科学騒動

清水富美加の出家-芸能人を利用するカルト宗教団体


今回の騒動はなになのか?最初に注目したのが清水富美加の親が借金していたことである。

今回の騒動を通して、
大川隆法および教団が何を得ようと期待したのか?
どういう筋書き・思惑で騒動を起そうとしたのか?

このサイトは幸福の科学に詳しい

カルト宗教団体は一体何か目的なのか?それは宗教ではない、宗教の悟りとか救いとは無縁である。会員を増やすことをひたらすら追求する、それは何のためなのか?
その数と金とで権力をもつためである。それは創価がまさにそうであり幸福の科学も同じことを追求してきたのである。だから選挙にも会員を出した。
政治化したのである。政治は公権力を得ることでありそれでもって会員を増やすことに通じるのは創価を見ればわかる。

清水富美加は何かそうしたものに利用される、親もまたその原因になっている。
なぜなら親が事業に失敗したとういことで借金していたとなるとそうである。
事業の失敗の借金は大きいからである。そういう人を知っているから怖いと思った。
自分が病気のときに家族が苦しんでいるときに借金を要求してきた、脅迫してきたのである。

借金する→モラルの崩壊→犯罪

必ずこれが起きてくる、これは推理ドラマの定番なのである。まず犯罪の動機をみる、恨みなどがあるが借金しているかどうかが一番重要なのである。
借金している人はもうモラルが崩壊しているから犯罪に一番結びつきやすいのである。
要するに借金している人は犯罪予備軍であり犯罪者に近いとなるのだ。

江戸時代なら美人だったら借金のカタに遊女に売られた、不細工だと紙漉きとかの重労働をさせられた。それもまた過酷な現実だったのである。
借金をしたらパチンコ屋に働いているとかそのことも同じである。
もう働く場所を選んでいられない、ただ金になればいいとかないからモラルは崩壊しているのである。そういう人が自分が苦しいとき来たから恐怖だった。
自分は殺されるのではないかとも思ったからである。

清水富美加は親が借金していることからおかしくなり迷路に入ってゆきカルトに入り闇の世界にひきこまれたともなる。カルトとは大きな闇の世界である。そのカルトを作り出しているのは人間の闇が深いからである。
事業に失敗して借金したというときそこに深い闇が生れる、借金を返すために闇のカルトにひきこまれる、何か不幸があると障害者などにはカルト教団が創価でも何でもかかわってくる、それらは餌食になりやすいのである。
自分がそういうことを経験したから怖いと思った。
「あなたの不幸は信仰しないと解消しませんよ、会員になれば解決します」とか言われると藁をもつかむような精神状態になっているからひきこまれるのである。
またカルトはそういう人が一番会員になりやすいことを知っていて近づいてくる
その窮状を救うなどという心はない、会員にして勢力拡大をもくやむだけである

宗教というとき比叡山がそこは一つの国家だったのである。近江の琵琶湖の交通で税金をとっていたし職人であれ何であれその配下にあり従わせていたのである。
そこは治外法権であり一つの国家だったのである。だからそこで裁判も成されていた、今のような国家が中世にはなかったのである。
たから信長が比叡山を焼き討ちにしたのはそこが治外法権の国家であり山僧がいて武装もしていたから権力を得るためには戦わざるをえなかったのである。
第一城を建てるにしても職人が必要だがそれを掌握していたのは寺だったからである。
寺は個人が改心して求道して出家するような場所でもなかった。
そこは一つの大きな国家だったとするときそこで経済活動でも金貸しでも何でも世俗的なことをしていた場所だったとなる
そしてそれが不思議に不可侵の神聖な犯さざる場となっていたから税金をかけられないのは今のカルト教団と同じである。神や仏の所有地となっていたのだからそれに税金はかけられないのは今も同じなのである。だからそれを悪用することにもなる
そういう歴史の継続があることが「寺社勢力の中世」伊藤正敏で読んで面白かった。これは相当に考察する価値がある。

いづれにしろカルトとは何か、今の宗教は団体化した宗教はカルトである。本来の宗教とは何の関係もない、そこに悟りとか救いを求めるのは暴力団に入って悟りを求めるのと同じである。
なぜ暴力団員になるのか?それは犯罪者がいてアウトローになるからそういう場所に入る
そういう機能が寺にもあったという、そこは治外法権であり寺には武装した僧兵がいたからである。
戦国時代に侍が城をもったりする前に寺が城郭の役割を果たしていたのである。
僧侶が武士になったという説も興味深いのである。僧侶は軟弱な人たちではない、僧兵のように騎士団のような強者がいたのである。
侍の前進が僧侶、僧兵だったという説も確かにあると思う。
要するに中世でも国家などは存在しない、比叡山のような所が身の安全とか最低の生きる術を与える食料でも与えられる場所だった。

そういう寺がありやはり現代のカルト宗教に通じるものがある。底辺層なら生活保護を与えるとか何かしら権力をもっていて斡旋してやる、それは宗教とは違う、でも現実には現世利益となるから会員として勢力拡大になるのである。
そういう底辺層は何か高度の悟りとか救いなど求めていない、日々の生活に困窮するからそういう場に入り生きようとするのである。
それは共産主義政党でも同じである。そういう底辺層は常に豊かな現代でもいる、その人たちは損な立場にあるからそうなる
ただ宗教が怖いのはそういうふうに困窮しても安易に入るとどうなるのか?
結局地獄に落ちるとか罰当たるとかそういうものも引き受けるのである
結果的にはかえって地獄だと罰しか与えられないのである。その恐怖におびえるだけだとなる、それはエホバなどでも何でもそうである。宗派に関係ない、現代の宗教はみんな
カルトだと思う、宗教とは地獄を与えられることでもないし罰を与えることでもない
神の祝福を与えられることである。それはカルトでは地獄とか罰を引き受けるだけだとなるからたたらぬ神にさわりなしとなるのである。

ただ人間は何かしらの不幸をまねがれない,でもその不幸がすべて悪いものなのか?
そういう不幸も人間には必要なのである。例えば事業に失敗したからといってすべてが悪いとういものでもない、かえって失敗した方がいいかもしれない
なぜなら俺は頭がいいとかいう人が成功したと世間に自慢していてそれも未だにそうしている、それも借金していそうしている、むしろ別に事業に失敗したからといって人間失格になるわけでもない、俺は借金までして成功しているとしてこと自体が異常なのである。何かそういう奢りが神によって砕かれるべきなのである。
原発事故だってそうだろう、頭のいい人たちが自然の驚異の前にその傲慢さが砕かれたのである。自分たちは頭がいい、それは神のようにすらなっていたから神によって砕かれたのである。

いづれにしろカルトは人間の闇が作り出すからこれからも消えない、人間の闇とは上から作り出すわけでもない、人間そのものが闇をいだいているから闇の団体が作り出されるのである。人間個々人の闇があるからそれが集団化して大きな闇となる
ヒットラーが芸術家になりたっかのになれずに劣等感をいだき政治家になった。
オウムの麻原も目が見えないので劣等感をもったし池田大作も大学も出ないので劣等感をもち世界から勲章を集め大学の学位を政治力と権力でとる
またそれに従っている大衆も闇があるからそういう闇なるサタンに従うのである。
結局こうしてこの世がサタンに支配されるのである。

清水富美加はそうして闇の迷路に入ってしまった犠牲者だともなる、現代は複雑だから闇の迷路に入り安いのである。芸能人などもほとんどカルトのプロパガンダとして利用されるし利用されている、芸能人は芸能をやればいいのであって政治とかにかかわるべきではないと思う、民主主義だったら誰でも政治にかかわるとしても芸能人はプロパガンダに利用されるから危険なのである。大衆洗脳のために芸能人がいるのである。

宗教を見る場合は自分は歴史的に比叡山のようにそこが一つの国家となっていたように信仰とは関係ない俗社会の場だとしても何か奈良時代だと鎮護仏教文化があり平安時代でも貴族の仏教でも文化をつくり鎌倉時代など中世でも武士の仏教文化を作っている
江戸時代からは寺は幕府の役所になっただけである、戸籍係のようになっただけである。だから負の部分があっても中世までは仏教はそれなりに活きていた面があったとみる。
禅寺では貧乏人に薪がないからは寺の一部を壊して貧民に与えたとかある、何かそういうのが宗教者だったのかもしれない、
自らそうした私腹を肥やすようなことをしていたらいくらそこが国家でも成り立たないということはあるからだ

仏教というとき文化的な面から見るとわかりやすい、江戸時代以降はふうた仏教文化は生れていないからである。
中世が僧侶の国家であり文化であったが江戸時代はその僧侶が武士となった武士の文化となったからである。
まずカルト宗教団体から文化は生れない、個人的にも芸術家も生れない、それを見てもわかるのである。そこは利権しかない、利益追求しかない場なのである。
あとは地獄に落ちるとか罰あたるとかしか受けられない場所なのである。
現実にあれだけ数が大けれは不幸な人が山ほどいる、なぜそんなに不幸なのかと現象をもっとも重んじるのが宗教だから不思議だとなる

とはいえ不幸は誰にでもある、不幸はまねがれないのである。そもそも病気にならない人がいないからである。自分も家族や自分の病気でさんざんな目にあったことを書いてきたそれは別にカルト教団でも同じである。かえって自分より過酷な不幸におちいっている人は山ほどいるのである。創価に入って子供が若くして死んだとか交通事故にあったとか親も死んで今は家に誰も住んでいないとか無数に不幸がある。
それは他でも普通にあることである。それは自分にもあった。親が認知症になったとかなるが認知症になるのはもうこれから膨大にふえてくる、ではカルト教団に入っていたらまねがれるのかとなったらむしろ不幸はカルト教団の方が多いのである。
統計とればまちがいないてのである。なぜならそういう人たちもともと入っているからそうなるのである。貧すれば鈍するとなっているからである。

要するカルト教団に入る清水富美加のように闇の迷路に入ってゆく、そしてぬけだせなくなる、それも親が悪いともなる、なぜなら親の因果が子に報いである。
親がカルト教団に入っていればそのカルマを受け継ぐことになるからだ。
この辺では原発事故で住めなくなったように親が先祖のためにそうさせられたのである。ただすでに自分などにも責任はあったとふりかえればなる
この世の中はカルマから逃れられない、カルト教団に入ったことは親でも子にその因果が報いとなる、カルマを作り出したのが親である、先祖であるともなる









posted by 老鶯 at 17:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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