2017年02月17日

奥の細道をだとる(秋の短歌十首)


奥の細道をだとる(秋の短歌十首)

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       山寺に対面石や朝の菊


八溝山奥に分け入り紅葉見ゆ清き流に散りて流れる

日光の華やかさを見て関所跡卯の花かざしみちのくに入る

草の花たどりて細道やみちのくに入る関所跡かな

白河の関所の跡や虫の音をここに聞きつつみちのくに入る

あわれかなしのぶもちずりこの辺り木槿の咲きて村もありなむ

平泉金色堂や秋のくれみちのくに住みまた来るかな

平泉見て帰るかなみちのくに秋の夕映え美しきかな

山寺や流れのひびき菊に石朝日のさしして清しかりけり

山寺や磐にひびける流れかな秋の夕日のさして暮れにき

山寺に清流ひびき秋の星きらめきにけり御堂見上げぬ

湯殿の碑みちのくに多しあわれかな晩菊の碑によりそい咲きぬ

最上川船着場に虫の音やここに待ちにし人のありしも

最上川旅行く人や一時を船着場かな虫の音を聞く




地理感覚がどうして養われるのか?地理がむずかしいのはその大きさを認識することができないことにある。確かに今なら車でどこまでも行けるということはある。
それで地理がわかったかというとわからない、車で行く感覚と電車で行く感覚は違う。
車だとゆっくり景色が見れないので記憶に残らないということがある。
ある地点に行くには便利でもその途中の感覚がぬけてしまう。
地理は一回くらいその地を踏んでもわからない、東北だと何回も行っているしなんとか実感としてわかる、それでも日本は山が多いからわかりにくいのである。

芭蕉の「奥の細道」は東北の空間認識と歴史的認識が合体して古典になった。それがなぜできたのか?それはやはりみちのくを歩いて旅したからである。
時代というのはもどることができない、しかし空間は今も変わらないものがある。
山がなくなったり海がなくなったりしないからである。
奥の細道をたどると自分は自転車で八溝山を分け入りぬけてきて白河に来た。
そして白河の関所のあった所が暗い森の道がありみちのくに入るという感覚が残っている白河市になると何もない都会化している、中通りは都会化しているから奥の細道をたどる旅がしにくい、それでもそれなりにまだその感覚が残っている所はある

しのぶもちずり石は市街から離れている所にあるから芭蕉の句も生きている。飯坂辺りも奥になり山間になるから奥の細道の感じが残っている
ただ飯坂から仙台までは何か奥の細道を感じるものがともしい、感覚的に変化を感じるのは宮城県から山形県に入る所である。
面白山のトンネルをぬけると山寺になりそこが山形県になるからだ。そこは国境のトンネルをぬけると雪国だったとなる、春でも雪が残っているからである。
宮城県と山形県の境界は明確であり山を越えたときトンネルをぬけたとき感覚的に風土も違ったものとなる
福島県と宮城県の境界はそうしたものを感じない、浜通りだったら海岸線を行くのだから全く別な国に来たとは感じないのである。平野だったら地理的に区切るものがないから別な国に来たとは感じないのである。

芭蕉の不思議はみちのくのことを風土的にも歴史的にも感じていたことである。歴史と一体となったみちのくを感じていたのである。
それは平泉でも三代の栄華ということで名文を書いたのでもわかる。
それから「語られぬ 湯殿に濡らす 袂(たもと)かな」とあるとき東北には湯殿の碑が多いしそれが古いのである。湯殿には湯治に東北の民が行っていたからである。
この句はそうした農民の苦労を語っている、いろいろ苦労があるが語りきれないとかなる湯殿の碑を見るとき何か古いからそこに東北の農民の苦労がにじんでいるという感じにもなる、だからこういう句を作ったことが不思議だとなる
普通旅しているとその土地のことを深く知り得ないからである。

山形県というとき最上川であり日本海に夕日が沈むのが印象的になる。最上川には途中に何もない所にも船着場があった、その方が情緒があった。山形県は太平洋側とは感覚的に違っている、宮城県と岩手県の境も明確ではない、むしろ地理的には今回の津波でわかったように福島県と宮城県と岩手県の海岸線は一体の地域だったのである。
岩手県でも区界(くざかい)となると雪が厚く積もり盛岡とは分断しているのだ。
むしろ海での交流があった。宮古から鉄の素材が浪江の請戸まで運ばれていたからであるそれが葛尾村に運ばれて製鉄されていたのである。そして葛尾大臣という人がいて栄えた跡が残っている

芭蕉が旅したときまだ東北がどういう所か知られていない、でもみちのくを一回の旅でこれほど共感しえたことが不思議だとなる
ただいかに芭蕉とはいえみちのくを旅してもそれは線の旅だった。とても全体の空間を認識はできない、それは何度も旅してようやく認識される、東北から茨城県とか関東になるとすでに地理がわからなくなる、空間をアイディンティティ化できなくなるのである。
東北でも空間をアイディンティティ化することはむずかしい。
福島県と宮城県と山形県がなんとかできるとなるがこれでも広いからむずかしい。
いづれにしろ自分はこうして旅した行程を記憶の中でたどっているのである。
電車でもしたがやはり自転車で行ったことが記憶として残っているのである。
ただ今になると自転車は無理になったのである。

旅というときやはり距離感がなくてったことが旅がなくなったことの一番大きな要因である。やっと歩いて坂を峠を越えて来たなとかいう感覚が達成感がなくなったのである。
芭蕉が平泉に到達したとき「五月雨やふりのこしてや光堂」と句を作ったのはやはりはるばるここまできて金色堂が残っていたなという感懐があった。
そのはるばる来たという距離があってこの句ができたのである。
新幹線で二時間ではこの句はできないし味わうこともできないのである。

だから自分は柴田の千本桜を自転車で見に行ったときみんな散っていた。そしてはるばるまた自転車で帰った、その道のりは遠かった。そのことが忘れられないのである。
せっかくこんな遠くまで苦労して来たのに桜は散ってしまった、見ることができなかったそしてまた遠い道のりを帰らねばならなかったとなったからである。
でもそこにも何か深い感懐をいだくものがあったのである。
それはそれだけの距離がそうさせた、今はその距離感覚が喪失したから深い感懐も抱くことができなくなったのである。

タグ:奥の細道
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