晩冬に仙台まで途中下車の旅(俳句十首)
キクチスーパー山下駅にできたので便利
亘理駅
仙台駅
仙台の駅が変わっていた
これも変わったものである。
満月が出ていた
雲ににじみ光っていたが雪がちらついた
一本の冬樹や社に古碑並ぶ
みちのくや途中下車して冬の雲
金華山駅より見えて冬の暮
冬の空城郭映えぬ亘理駅
城郭のかつてはあらむ寒椿
亘理駅枯木五本や風鳴りぬ
亘理駅一羽飛びゆく冬鴎
岩沼駅貨物列車に冬芒
線別る福島の方冬の暮
仙台に冬満月や新幹線
満月の雲ににじみて光るかな仙台あわれ雪しぐれかな
仙台に古本買いて帰るかな枯木並木に灯のともるかな
新地辺りからはいつも金華山とかが見えるようになった。この辺には金華山の碑がある。それは明治時代頃のものでありその頃お参りが参盛んになった。古いものではないのである。むしろ湯殿とかは古いのである。
山下駅におりた、キクチスーパーが駅にできていた。広いスーパーである。あれだと駅前に人を集められる、そこで休む場所があったので弁当を食べた。
駅前にスーパーがあると便利である。駅をおりてすぐ買い物できるし車がなくてもできるからだ。
鹿島駅で老人が車がないのでバスを走らせてほしいと言っていた。
高齢化社会は足が問題になる、それで路面電車が復活したりしている。車も運転すると老人は事故を起こしやすいからである。
前は原町の前にスーパーがあったが今はない、図書館があるがあれもいいものかどうかわからない。やはり買い物する店が必要なのだ。
自分も自転車でゆくと何か最近腰が痛くなるのである。だから自分にとっても足になるものが必要になる。
仙台は便利になったから時々また気軽に行けるのがいい、次は亘理駅によった。
残念だったのはあの城の中は見れなかった、休館だったのである。
あの城はあそこに案たわけではないけど立派であり見応えがある。
中通には城はあるが浜通りにはないからだ。
亘理駅で冬の鴎が一羽飛んでいるのを見たことがある、それであそこも海が近いと思った現実に津波の被害がやはり大きかったからである。
浜吉田というのも浜がついていたから海が近かった、しかし海が見えないので近いと思わなかった、だから浜吉田の駅まで津波が来ていたのには驚いたのである。
亘理駅で五本の枯木が風に鳴っているというとき写生なのである。写生だと何か単純だけど力強い句、簡潔なた句になるのである。
岩沼駅はいつも貨物列車がとまっている、あそこは工場地帯だから引き込み線もあるからだ。原発事故以降は双葉、大熊は通らないので貨物列車とスーパーヒタチなどの急行は通らない、だからそれも不思議である。
自分は介護で家族が鹿島の厚生病院に入院していたとき窓から貨物列車を見ていたのである。その貨物列車がなんとも病院にふさわしいものだった。
重い荷物を運ぶとき病人もそういう感じになるからだ。
何か電車には常に人間的なものを感じるのである。
仙台ではまた古本屋によって本を買った。やはり通販だけでは買い物は面白くないしわからないことがある。本でも中味が見れないからである。
そして仙台だと変わったものが研究した本でもある。
今日は万葉集の絵があるのを買った、それは見れないようになっていた。
でも書店の人にみせてもらい買った、四〇〇〇円だった、これは骨董品だと思った。
相当に紙まで古くなっていたのである。
仙台駅に冬の満月が出ていた。それが曇って雪がちらついた、それはちょっとふっただけのものであり雪しぐれだった。冬の終わり頃に雪しぐれがある。
これは情緒的に日本的な微妙な感覚をかもしだすものだった。
日本の季節は微妙に変化するのである。だから季語が無数にあるのだ。
実際自分は雪時雨は経験していないからである。
帰りは山下駅で十数分下りの電車をまった、強風のため必ず遅れるのである。
駒ヶ峰と山下駅までは高架橋になり風の影響を受けやすくなったのである。
だから風がこの頃必ず吹くから遅れているのである。
これも困ったものだと思って帰ってきた。
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