2017年02月06日

冬の暮(鹿島駅の写真と詩)



冬の暮(鹿島駅の写真と詩)

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思わぬものが写っていた  

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鹿島駅今日も待つ人冬芒

待つ人や枯木一本駅舎かな


鹿島駅待つ人一人山脈の雲に翳りて冬の朝かな

鹿島駅乗る人一人待ちにけり枯れし芒や朝の一時

鹿島駅引き込み線の残りけり我がたどりつつ冬のくれかな

北風の今日も唸りて遅るかな電車を待てる駅に我がいぬ


故郷の駅

この駅になにかあれかし
年明くも芒の枯れにしままに
80となれる人こそあわれ
昔の駅のことを語りぬ
鉛色の雲の棚引きて
今日も見送りのあり
故郷に親交をあたため
また一人去りにけるかな
人の世の歳月の流れの早しも
すでに還らざる人もありしも
もはや会うことなしも悲し
我が腹からもみな墓に眠りぬ
墓ののみ名を留める人もあり
今我を迎え送る人もなしも
なぜ今我の他者を迎えて見送りぬ
我も老いしも故郷の駅に・・・・


鹿島駅のなんでもない風景が心にしみる、それはなぜか?やはり年を重ねて見る目が違ってきた、なんでもない風景にこそ実は深いものを見いだすのである。
ただそれを見いだせない、たいがい死をまじかにしたときはどんな人でもありふれた光景でもこれが最後だとなったら全然違って貴重なものに見える

自分でも家族はみんな死んだし迎える人もなくなり心境が変わってしまった。
人は結局みんな別れてゆく、永遠に会わないという感覚になる
「さよならだけが人生だ」というのは本当に実感である。
人は何度も会えると思ったがもう会えないとなる

駅で別れて遂には会えないともなる、墓に入った同級の人もいるし家族でも会えなくなるもう墓に眠っているだけである。
今まで見てきたなんでもない風景すら見納めだとかなる

引き込み線はまだ残っていた。これも注意していないから見ていなかった。
ここから貨物の車両が入り荷物を運んだのである。
それで縄屋とかあり梱包に使っていた。それもずいぶん昔のことである。
八〇の人は別な所から高架橋を渡ったと言っていた。
蒸気機関車の時代である。
引き込み線は原町紡績の工場の中まで通じていた。
汽車で作ったものを運んでいたし材料も運んでいた。
原ノ町は機関区になっていたからである。

こういう駅は別にありふれている、でも年を重ねれば全く違って見えるのである。
今日はこの写真をとった後北風が強くうなり吹いた。
この辺は朝は静かでもそのあと風が吹いてくるから注意である。
そしてまた今回も六〇分とか遅れた、運休もあった。
新しくなった路線は高く作ったので風の影響を受けやすくなった。
しょっちゅう遅れているのである。

撮り鉄という人がいるけど何もないありふれた駅に人生があり物語があることを見いだすのはむずかしいだろう。でも駅にはそういう物語が人生が感じられる
車には道の駅でもバスでも感じにくい、駅はそういう人生の出会いとか別れとかを演出する場である。

鉄道の駅は玄関であり待ちあう場所であり迎える見送る場所なのである。
そこに他の乗り物とは違う意味がありそれが見直されるかもしれない。
そういうものは混んでいる駅だと見いだしにくい、こうした平凡な田舎の駅だと今は冬芒になっていて季節感があり感じる、写真も季節を感じないと情緒がない
これが原町駅とか相馬市の駅になると枯れた芒が見えないので季節を感じなくなるのである。

タグ:鹿島駅
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