2017年01月29日

大内村ではなぜ人口の半分が帰還しているのか? (老人がもともと多く帰ったから?)

大内村ではなぜ人口の半分が帰還しているのか?


(老人がもともと多く帰ったから?)


大内村の人口3,038人

現在の避難者数

平成28年8月1日現在

920人 内訳… 県内734人、県外186人

郵便物の送付先を自宅住所にした方を帰還者とした人口:1,830/2,750(66.5%)(平成28年8月1日現在)

現在の帰還者数

平成28年8月1日現在

778世帯 1,830人

○川内村住基人口 2,756人(1,248世帯)
・65歳以上 1,062人
・高齢者率 38.53%
○村内生活者 1,779人(748世帯)
・65歳以上 717人
・高齢者率 40.30% ・生活者率 64.6%

大内村の復興の方針

@ 村に住み続ける誇りや意義をどう取り戻していくか
A 補償させることは重要だが、それ以上に生きる意欲や
目標を見失わないこと
B 短期的・集中的に投資
C 「戻る」「戻らない」の対立構図を生み出さない
 (二極化が鮮明)
D 戻るための新たな制度設計の必要性
 避難者のモラルだけでは解決できない
E 帰還に関わらず生活再建(バリエーションを認める)
F 新しい村づくり ⇒ コンパクトビレッジ



大内村は三〇〇〇人くらいの人口で1830人が帰っている、これは他と比べると多い、小高では一割もまだ帰っていない、この差は何なのだろうか?

一つはもともと高齢者率が40パーセント近くで高かった、それでこの辺でも故郷に帰りたいというのは高齢者である。高齢者の特徴は過去の思い出に生きることなのである。
するとその思い出はその土地に深く結びついている

自分も故郷とそんなにかかわらなくても家族が二人死んでもう思い出に生きているとなるそして何かこの思い出すということが不思議なのである。
死者は何なのか?それは今生きている人があると認めるときある、だから親子でも親にひどいめにあった人は親を思い出したくない、墓参りすらしないとまでなる

ただあの人はいい人だったなとか思い出すときその人が死んでも生きている感じになる
そしてその思い出が甘美なものになるのである。
なぜそうなるのか?人間は生きているときは何かしら嫌な点がある、そういうものを見ないでいい点だけを死者に見る傾向があるのだ。
だから死者は過去は美化される、江戸時代でもその暮らしは過酷だったのである。
でも何かその時代をふりかえるとき良く見えるのである。
それはその現実を生きる必要がないからである。
いつの時代でも現実を生きることはどんなに豊かでも苦しい面があるからだ。
今の時代は過酷な労働を強いられている、豊かでも余裕がないとかある

ともかく大内村は帰らない人が多いと思ったが実際は老人が多くかえって帰る人が多かった。人口の半分が帰っているのは多いなと思った。
その原因はやはり老人がもともと多く老人が帰ったからなのだろうとなる。
小高でも帰ったのほとんど老人だからである。
若い人は流出しているのである。
そして大内村とか3000人の山村とかなると人と人の結びつきが強い、みんな親戚関係とかなるかもしれない,それは一万の町とかとも違う結びつきがあった
そして何度も言っているように老人は自分もそうだが今や家族をみんな失って思い出に生きているのである。
その思い出すにしてもそこで生活していたところでないと思い出が活きてこないのである思い出はその場所に深く結びついているからだ。
それが故郷ともなる、それで子供が避難してから6年ともなると小学校は別な土地で過ごしていたのである。つまりもうそこに小学校の思い出はなかったのである。

村の再建の方針としてB 短期的・集中的に投資というのは老人が多いからかもしれない
若い人だったら長期的な視点でできる、でも老人が多いということは先がないからできない、それで短期的に集中的に成果を上げることを望まれたのかもしれない
ただこの方針を見ると意外と帰るとか帰らないとか強制していない、強制できないのだろう。
帰る人と帰らない人を分断しないためだろう。
この辺では補償金でもめたように心が一つにならないと復興できないからだろう。
強制しても強制したからといって不満が残ったらいろいろ残らさせられたとかなり村に生きる意欲もなくなるからだろう。

大内村は原発の煙突が見えたとか近かった、それで三分の一が原発で働いていたということは意外と豊かだったのかもしれない、現金収入が相当にあったからだ。
すると老人も蓄えがあり年金暮らしでもできるから帰ったのか?
その辺の事情がのみこめない、まず老人になると小高の人も国民年金ではたりないから一生東電で政府で補償してくれと実際に要求したことでもわかる。
老人はもう苦労したくない、楽したいのである。苦労もできないのである。

でも老人ばかり帰って村が維持できるのか?そのことが心配なのである。
老人だけが残り若い人がいないと村が消滅してゆく危機になる
三匹獅子舞いでも中学校と小学生ですでに20人もいないようだからである。
そういうところで村が維持できるのだろうかとなる

小高の場合は南相馬市内だからまだ医療施設もあり人もいる、それでも65歳以上の割合が全国平均より10パーセントくらい高くなったし、看護師でも震災当時の減った状態からわずかしか増えていない、ということは流出した看護師は帰ってこないということである。それでまともな医療も受けられないとなっているのがこの辺である。

ともかく思い出に生きる場所が故郷とするとき大内村で半分も帰ったというとき老人がもともと多くそうなったとみる。老人は慣れない場所には移りにくいのである。
特に大内村はそうした人のつながりの強い山村だからそうなった。
その仲間も死んでゆくが死者でもやはり思い出して村に以前としているような感じになる自分もそのことを経験している。ある死んだ人を思い出したときその人が以前としてこの町にいる感じになったのである。
まして人と人のつながりが強い大内村だったら死者とのつながりも深いものがあると見たそれでこれだけ帰る人が多いのかと思ったのである。
ただいろいろな事情があるからこれは本当はまだその理由はわからない、自分の推測である。




タグ:大内村
posted by 老鶯 at 19:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
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