2017年01月27日

逃れられないカルマの怖さ (事業失敗のカルマを受けた自分)


逃れられないカルマの怖さ

(事業失敗のカルマを受けた自分)


カルマというときそもそもアダムの原罪というカルマがありプロメテウスがゼウスから火を盗んで過酷な刑罰を受けたなど人類的なものとしてあった。
だから今でもそういうカルマは継続していて解消しないのである。

●個々人のカルマ
●家族のカルマ
●地域のカルマ
●国のカルマ
●人類のカルマ

普通カルマというとき個々人もあるが家族のカルマ、家のカルマを一番意識しやすいかもしれない、家にはどんな家でもプラスの面とマイナスの面がある。
そういうカルマを業をもったものがカルマである。
人間個人にしてもみんなカルマを業をもっている、それから逃れられないのである。
つまり人間は罪を犯すものとしてあり罪を犯さず生きることはできない
なぜなら殺傷を禁止するといっても動物を食べることはやはり業となっている
動物を犠牲にして人間は生きているのである。そういうところから仏教は生れてきた。

カルマというときそれぞれの家がもっているカルマがあることはまちがいない、それで昔は結婚というとき家といえの結婚だったのである。
家柄がいいとかその家がどんな家かで親が結婚を決めていたのである。
それが意外とかえって離婚が少ないし互いに幸福だったということもある。
ただ女性だけでは生活できないとか今とは違っているから一概には言えない
問題は昔から伝統的なものには何かしら意味があり価値があり継続されてきたのであるそこには必ずいい面があり何かを守るものとしてあった。

家同士の結婚が古いとかなるときでは恋愛結婚になったときみんなうまくいっているかとなると離婚が増えた、三分の一は離婚しているのである。
恋愛結婚がいいようでもこれもうまくいっていないことでわかる。
家のカルマの怖さはなかなかわかりにくい、でも結婚の怖さは必ずその家のカルマを受けざるを得ないことなのである。それは親戚にも及ぶから怖いのである。家風というものもあり悪い家風もありそれに染まるのである。
そして長男と長女はその家のカルマを一身に受け継ぐ、そのカルマから逃れられないから怖いのである。

自分の家もいい面と悪い面のカルマを受け継いでいた。
それは事業失敗のカルマである。父親でも親戚といってもそれほどでもない、兄弟関係というものでもない、でもやはりそのカルマの影響があった。
二つの家が事業に失敗したということはあまりないだろう。今でもそこは更地になっている。事業で失敗して家は売られたのである。
もう一軒これまで書いてきたが自分に最も影響した。そのカルマを身をもって受けた。
自分が苦しいときその人も事業に失敗して借金をかかえていた。
そういう人が来たことで最悪のときに自分が苦しいときに関係した、それで自分はそのために恐怖を味わった。

自分もそういうカルマを受けざるを得ない家系としてあったのかとなる
母方でも父親が機織りの事業を失敗して一家離散になった。
ただ事業失敗というときそれは20人に一人しか成功していないというとき珍しくはない
だからなんらかそういうことで回りにも影響してくる
連帯保証人で苦しみ自殺した人とかめずらしくないとかある。
だからこの事業失敗はめずらいことではないのかもしれない、それにしても自分の家の関係は事業失敗が多い、自分の父親自体が酒屋に勤めてその酒屋が倒産してもめたのであるこれほど事業失敗が家の関係にあることは自分もそのカルマを受けざる得なかったのかとなる

いづれにしろカルマは逃れられない、そのカルマを誰かに肩代わりもできない、長男、長女が一番受ける、もし肩代わりして誰かにそのカルマ肩代わりさせようとするとかえってカルマが重くなる。カルマは他人に責任転嫁できないのである。
借金とそれはにていたのである。借金もカルマを作ったことなのである。
その借金の肩代わりをしようとすることはできない、自分でその家族で負うほか払う他ないとなる
自分はこの十年で家族のカルマを負い清算したように思う、ただまだカルマが残っていることはある。
結婚の怖さは必ず結婚相手のカルマを背負うことになることにある。
それは60以降とかにそういうカルマが現れて苦しむことがあるのだ。
60以降は個人的にも家族的にもカルマの清算を強いられるからである。

カルマは地域的なものでも起きてくる、現実にこの辺では津波や原発事故でカルマを作ったからである。もともと津波でもこの辺では400年前に起きていたのである。
そのカルマが今になって現れたのである。だから地域的カルマとして津波のことをもっと知るべきだったのである。
地域的カルマというときとこに地の利がありいい面と悪い面に働く、雪国が嫌だなと思うときでもキャベツが雪の下であまくなるということがありいい面としても働いていたのである。青森では寒くてもリンゴがうまいとかいい面として働くから地域にもカルマがある
ともかくカルマの怖さは人類的なものとしてあり人間は生れたときみんなカルマを背負うことになる。そしてまた人間は新たなカルマを作るのである。

この辺では原発事故でプルトニウムが二万年も消えないというカルマを背負った。
カルマの恐ろしさがここにあった。子孫はそのカルマを背負わされたのである。
それは地域的だけではなく日本自体のカルマともなっていたのである。
20兆円も廃炉作業に税金がかかるということでもわかる。
そのカルマは簡単には消えないから怖いのである。
タグ:カルマ
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