2017年01月18日

新装の新地駅短歌十首 (一変した新地駅の驚きー観光スポットになった)


新装の新地駅短歌十首


(一変した新地駅の驚きー観光スポットになった)


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New station ,SHINCH


all new station

SHINCHI on the Jyoban line

Mt.ZAO in the distance

the snowy severest one

flight of swans in refreshed place

turn around

Kinkasan on the Ocean

in the distance

Shinch station in the future

clear sky in winter


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蔵王
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駅前の開発地 クリック拡大

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新しき街の息吹や新地駅年の明けしも海広しかな

新地駅新装なりて海広く新しき年や金華山も見ゆ

新地駅雪の蔵王の迫り見ゆ白鳥も飛び年も明けにき

新地駅広々として清しかな冬の空澄み電車来たりぬ

新しき新地駅にそおりたちて雪の蔵王の厳しく迫る

新地駅おりたち帰る女高生都会めきたる新装なりぬ

新しき新地駅にそ二本の樹の植えにけるかな冬の日暮れぬ

新地駅電車の待つやうれしかな海広く見え復興成りぬ

新地駅タクシー乗り場に障害者乗る場もうけぬその配慮かな

新地駅昔を想うものもなし悲しく津波被害埋もれぬ


新地駅に今日行って驚いた。全く変わってしまい昔の面影は全く消えて別な町になっていた。雪の蔵王が見えて牡鹿半島も金華山もまじかく見えた、あんなに近くにはっきり見えるのも新鮮である。それは海が広く見えるようになったからである。
そして土盛りして高い所に駅を作ったからである。
だから駅をわたる通路の高架でなくても下のホームからも見える
駅からの景観が抜群になったのである。

そしてもともと新地駅は回りに家がないし海側の港があったところは全部津波で家がなくなった。それで広い土地が自由に利用されるようになり改造された新しい街作りをするようになった。
本当にその土地が広いのである。そこにコンパクトシティのように施設ができる
住宅もできる、温泉も出たということで温泉施設もできる
文化会館もできるとか駅を中心に新しい街が形成されるのである。

何か自分がおりたときそこが全く異次元の別な世界のように見えた驚きである。
宇宙ステーションではないが何かそんな感じの不思議さがあった。
テーマパークというかデズニーランドというか仮想の世界に来たのかとも思った。
こんなふうに変わるものかという驚きである。そこは人工的空間と自然空間がマッチしていたのである。
都会だとこんなに見晴らしがいい場所はないからである。

ともかく雪の蔵王もまじかに見えたし海も広々と見えて金華山も見えたし牡鹿半島も見えた。その景観が素晴らしいとなる、だからここは駅だけでも観光スポットになると思った何しろ広々として気持ちいいし景観がいいからだ。
ここは新しく開発するのには適した場所だったのである。駅前には家がなかったからである。
そして国からも金が出たからである。それは原発の被害がなかったから人口も減っていない、つまり津波だげの被害だったらこんなふうに復興できたのである。
原発の被害地は放射能被害などで復興できなくなったのである。
その差が大きすぎたのである。新地駅と小高駅を比べるとその差が歴然としているからである。

まあ、白鳥が飛んできたのも新しい駅にふさわしかった。またあの駅に行ってみるだけで価値がある。まだまだ整備は完了していないがあの駅には価値がある。
あれだけの広い土地にまだ住宅は建っていない、その点鹿島は新しい家が建ってほぼ完了した。やはり新地では原発などの補償金が出ないことがその差なのかもしれない
新地には原発の被害者、小高でも浪江でも他でも家を建てているのである。
土地が安いと建てやすいからである。

いづれにしろこれだけ変わることには驚きである。なにしろこの辺は常に変化して驚きの連続だったのである。それがまだつづいていたのである。
駅前はどこもさびれたがこれから駅前が復活するという人もいる、駅は他からの人を迎える玄関でありここからその市町村の印象が決まるとうときそれは家でも同じだから玄関を大事にしろという人がいる、玄関は人の出入りがあるから福を呼ぶから大事だと言っているのである。
新地駅はだからその玄関だけは特別立派になった。そしてその前に新しい街が生れて復興するとなる

ただあの駅見たらもう津波のことは忘れられる、わからなくなる、天然ガスのLPGのパイプウラインを仙台までつなぐという大阪から来た人がいたがそうした大工事もある。
その人が掘ったら津波で埋もれた靴とかなにか出てきたというときわずかにそんなことで津波のことを思い出す、でも新地駅から津波の被害を想像するものは何もなくなったとなる
それもまた歴史が埋もれるということで問題があるかもしれない。昔を何か残すことも必要だからである。
ともかくまた行きたくなったのが新しい新地駅である。

5年半ぶりに開通した常磐線 (駅は人間臭い場所だった-新地駅の記憶(詩)


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