2017年01月16日

豊洲市場と原発事故の問題は同じ構図 (専門家集団に会社でも素人は太刀打ちできない)


豊洲市場と原発事故の問題は同じ構図

(専門家集団に会社でも素人は太刀打ちできない)


これほど多くの東京ガス製造工場で、一様にシアンやベンゼンが検出されたということは「石炭の乾留技術は土壌汚染を前提に成り立っていた」と結論付けざるを得ない。

そもそもなぜ東京ガスの跡地に生鮮を扱う豊洲市場が作られたのか?
そこからしてこの問題が発生している
東京ガスがとても売りに出せるようなものでなかったとして東京都に売れておおもうけした。これもおかしな話だった。

「あんな汚染した土地を売っておおもうけした」

そんなことだったのだろうか?東京ガスの会社の責任も重いとなる、なぜならなんらか会社では専門集団なのだからそういう汚染のことを知っていたからである。
でも利益があるということでその土地を売りおおもうけしたのである。
その会社の責任は相当に重いとなる、なんでも利益になるからといってすべて是認されるわけではない、会社は大きな公共的なものであり社会的責任必ず背負っているのである。
そして何かこの問題も利権がからんでいてはっきりしないにしろ東京都議会の議員がかかわりその利権が金がまわっていた。だから手抜き工事が行われた。
その金はどこにまわっていたのか?石原慎太郎などがその手抜き工事を是認して金がまわっていたかと追求がある。別荘を鹿島建設に高く売ったとかなんとかある。
みんな生鮮食料を扱うことがどういうことか意識していなかった
まず生鮮食料を扱うことはそんな汚染していることが一番の問題になるからである。
それが東京ガスとか東京都議会の議員とか建設会社にゼネコンに食い物にされたともなる

この構図が原発事故と酷似しているのである。何か他の事故でも事故になったりこういう問題起きると原発と比べてきたが酷似しているのである。
そこには様々な人々が利権とかかわっていたのである。
ただここでは住民とかいないし生鮮食料品を扱う人たちは別に利権と関係していない
かえって苦しんでいる人たちである。利権はまわっていない
原発の場合は地元住民とか漁業関係者とか議員関係でもやはり利権があり多額の金がまわっていたのである。
原発は豊洲市場とは比べることもできない何千倍なのか?巨大な利権の巣窟だったのである。天下り先として検察とか警察関係も東電がお得意先だったとなる
こういう構図は何か問題が起きる事故が起きるとかいつでも問題になっているバターンなのである。

原発事故でもこれだけ危険なものなのに生鮮食料を扱う豊洲市場とにていたのである。
生鮮食料を扱うことはまず安全性が第一になる、原発は最初から門とも安全性を第一にするものだった。
でも地権者と県の許可で議論もせずに建てられたとなるとその時から今の災いになる原因があったのである、災いは起きたときすでにどうにもならないという状態になっている
その災いの根を断つのは事故が事件が起きてからは遅いのである。
ただそうした危険なものでも意外と簡単に作られてしまうことが問題だったのである。

民主主義はコンセンス得ることが根幹にある。みんなでそれなりに議論して合意することが民主主義の基本としてある。
では豊洲市場問題でそれが行われていたかとなるとされていない、肝心の豊洲市場で魚を扱う人たちが一番被害があるのだからかかわってもいいようだがそういうふうにも見えない、それは原発でも同じである。そこの住民が一番被害を受けるのだから積極的にかかわるべきであった。それも広範囲にかかわる必要があったが実際は地権者と県で基本的に許可されて建てられたということは今になれば信じられないものとして法律もあったともなる

豊洲市場問題でも地権者は東京ガスでありそこは東京ガスが危険な場所と専門集団だから知っていたのである。でも利益のために東京都に売りおおもうけしたのである。
だから日本でも土地の私的所有権が強すぎるのである。

「この土地は俺のものだ、会社のものもだ、どうしようが勝手だ」

この土地所有権の権利が課題に認められすぎたのである。江戸時代はみんな共有財産として土地でも山でも海でもあった。それが今度は会社だとか組合だとか集団でその権利を得るようになった。それから無数に私的所有権を得ることになり俺の土地は売るのは勝手だとなってしまった。
土地はつながっているから公共的なものとしての役割があるから細分化して私的に所有することになじまないのである。
だからそもそも豊洲市場でも東京ガスが汚染しているのを知っていたのに東京都に売っておおもうけしたこと自体が詐欺であり犯罪でもあったとなる
商品の欠陥を知っていて売ったとなるからだ。買った方も東京都も悪いとなる。
そこにまた利権がからんで東京都の議員などがかかわっていたとかなる

原発でも科学者は原発が危険なことを知っていた。まだ建てられた当初はフクシマ原発の時は危険をわかっていた。日本にはまだその技術がなかったのである。
それでお古のマーク1の原子炉をアメリカから買った、買わせられたともなる。
そしてその原発を利権として利用したのが正力松太郎とかだった、自分の会社読売新聞社をテレビ局を成長させるためにそうしたからである。
これも豊洲市場が利権の場所となっているのとにている
科学者の責任は余り問われないが科学者はやはり東京ガスのように専門家集団であり原発の危険は知っていても知らせなかったのである。
強力な安全神話を作った共同責任者だったのである。

そして日本の技術は優秀なんだとかばかり言っている科学者が国民をだましていたともなる、日本の技術は確かに家電とか他の分野で素材とかでは優れている
でも全部は優れていない、原発はアメリカが今でも優れている、だから日本の技術が優秀だから事故が起きないというとき嘘だったのである。
ただ科学の素人は「日本の技術は優秀なんだ」と科学者が言うとき原発でも同じだと思わせる、それが危険だったのである。自分でも科学に弱いからそう思っていたからである。そういう錯覚をうむからあまり日本の技術は優秀だというのも危険なのである。
ある部分については優秀だというのはいいとしても原発ではそうではなかったのである。そういう誤解をもたらしたのが科学者でもあったのだ。
ただ東京ガスと同じように危険な土地と知っていたのに知らせないことは原発にかかわった科学者でも同じだったのである。でも科学者の責任は現代では一切問われないのである
そもそも豊洲市場では魚を売買する人たちと東京都民でも一番かかわっているのだからコンセンスを得る必要があった。それもここではできていない、原発でもそうである。
広域的に住民のコンセンスを得る必要があったが原子力となると素人などわからないからそのコンセンサスを得る議論する席にすらつけなかったのである。
住民にしても利益を得ればいいとしかなかったのも問題なのである。
素人は素人なりに参加できたかもしれないからである、それは巻町でできていたからである。

素人的にも何か直感的に危険を感じることがある

東京ガスの跡地で大丈夫なの?

原発って危険じゃないの?

こういう疑問は素人でももっていた、でもどっちでも素人は肝心の都民とか市場で魚を実際に扱う人たちは除外されていたとなる。
そこに現代の複雑な文明の問題があった。素人は科学にはかかわれない、法律でも専門的なことにかかわれないから一番被害を受ける人たちのことは無視される
会社だって専門家集団でありたちうちできない、安全だと言われればそうなのかとなり反論もできない,原発だってそうである。
マスコミがあったとしてもそういうチェックする機能は果たしていない、原発でも宣伝費をもらえばいいとかしかないのである。
専門家集団に現代社会は牛耳られていることが問題だということにもなる
一見議員などがいてもそうした人たちも科学には弱い、文系も多い、するとその人たちもチェック機能が働かないのである。別な科学者集団に頼るほかないとなる
現実に最近有害物質を調べたら80倍とか危険状態にあったと報告されている
つまりそこが危険でもその危険も報告されないしチェック機能がないのは原発でも同じだったのである。


科学者の責任は問われない科学万能社会
(日本人の技術は優秀だという思い上がり)



タグ:専門家集団
posted by 老鶯 at 10:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
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