新春短歌十首(海と桜と船と・東海から九州へ・・・)
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伊豆の桜と富士山
瀬戸内海-写真
開聞岳
写真はいいのが一杯あります、これは一例です
朝桜富士の嶺の映える伊豆の海
(東海)
東海に朝日の昇り紅梅の映えて電車のひた走るかな
駿河湾波うちひびき富士の山望みて春や心高鳴る
(瀬戸内海)
瀬戸の海見えて今しも花盛り行き交ふ船や島見ゆかな
島一ついづこにありや菜の花の咲きて行く船遅かりしかな
瀬戸内の島の古りにき夕暮れに梅の香りて宮居静けし
春の日の海に昇りて船は行く四国の沖や大阪へ入る
瀬戸の海入り来る船や古ゆ難波の港春日さすかな
淡路島今宵城にし春の月波おだやかに我が泊まるかな
(四国)
菜の花の咲きて沖にし船の行く遍路の旅も電車にのりぬ
(長崎)
春の日に海をわたりて韓国へ慶州にしも桜咲くかな
長崎に春の雨ふりあわれかな出島の跡に旅人たたずむ
春の日や長崎去りぬ大船の去りにし後や雨しととふる
春の日や石畳みの坂歩みつつ昔偲びて長崎の暮る
開聞岳春の夕日に染まりつつ船は去りゆく影そ濃くして
青春18切符でここから韓国まで行ったのは長かった、やはり長距離に旅の醍醐味がある、そうなるとどうしても時間がかかる、それで勤め人は旅がしにくいのである。
自分は金はないけど時間がふんだんにあったからできたのである。
要するに何度も言うようにその時間が人生では貴重であり帰って来ないのである。
ここに短歌にしたのでも相当に時間をかけてまわっているからだ。
旅とはあとから思い出すのも楽しみとなる。そのために車などだとなかなか思い出しにくいだろう。運転に集中するから外の景色も見ないからである。
鉄道だと外の景色が見えるからいいと車に乗っている人が駅で言っていた。
車に乗っている人は電車や鉄道のことが良くわからないのである。
これも車社会だからこそである。
自分は電車と船でも相当に旅した。一週間かけて東京から沖縄に船で行ったこともある
それだけ暇であり時間があったことなのである。
その船は貨物船のようなものであり大きな船ではなかったのである。
船の旅は気持ちに余裕ができるからいい、急ぐ必要がないからである。
瀬戸内海も相当にまわった、その時は瀬戸大橋はできていない、でも瀬戸大橋ができたときも行った、その時島に港があっても用がなくなっていたともなる
日本の魅力はやはり海に囲まれていることである。
常に海が見えて船が行くのが見えるのである。
いづれにしろこれまでも書いたが自分は旅が以前として心の中でつづいているのである。回想する旅ができて旅も完成するのである。旅しているとき発見しえないものが回想の旅で発見しているのである。
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