2016年12月29日

投資、消費と浪費の相違 (消費という言葉は変えねばならない)


投資、消費と浪費の相違

(消費という言葉は変えねばならない)


投資というと何かポジティブなイメージになる。投資というのは何かを積極的に育てるというイメージである。
例えば教育に投資するとかがそうである。将来のために知識を身につけるために本を買うとかパソコンを買うとか旅行することも実際は消費に見えて投資なのである。
自分は何か普通に言う投資でもうけたことはない、消費しただけである
金を稼いだことはあるにしてもそれはアルバイトだからわずかである。
ほとんど消費しかしていないのである。でも浪費とは明らかに違っている
ほとんど消費でも金を稼がなくても投資にもなっていた。

その成果とは何なのか?それは自分のプログなどで示している、ただこれは一文にもなっていない、だから資本主義社会では自分は金を稼がないのだから浪費者にすぎていとなるでも自分としては浪費したわけではない、今まで経験したことを知識として無料で提供している。別に金に困らないから稼ぐ必要がない、だから無料で提供している。
でも金にならないとその人は無益な人だと社会ではされるのである。
あなたはただ浪費しただけだとされてしまうのである。

では巨万の金を稼いだ人が社会にとって有益な人だったのかとなるとそれも疑問なのである。収入の多寡でその人の価値を計れるかとなるとそれもわからない、つまり人間の価値が何かそもそもわからないし計れないものだからそうなる
人を裁くなというときそうである、人間は人を裁けないのである。
人間の価値を計ることも人間にはできない、それは神がするともなる

投資と消費は簡単に分けられない,一体になっていることが多いのである。
パソコンを買うことは消費である。でもこれを買って使いこなす方がずっとむずかしい、買うのはいいけど使いこなせない、使いこなす手間も大変である。
だからパソコンを買うことはすでに消費ではない、投資なのである。
パソコンを使って何かを産み出すという側面の方が強いのである。
だから自分がしているパソコンの抽象画などもそうである。
パソコンのソフトを通して創作しているのである。

投資というとき何か株でもうけるとか投資信託でもうけるとかそういうものになるが
実際はその投資は具体的に何に投資しているのかわからない,ただ金を得てそれをまた消費するということなのである。自分の場合その消費は浪費ではないのである。
その成果を無料で提供している、それでプログを読む人が結構多いのである。
消費というとき日々に食べることなどは単なる消費であるが食べなきゃ生きていけないし活動できないのだからそれも浪費とはならない、それは生きるために不可欠なものだからである。浪費とは酒を飲んでただ毎日ぶらぶらしていたりしたら浪費になる。

そもそも消費という言葉が良くなかったのである。消すということは何か浪費であり無駄であるというイメージがあるからだ。消費は一冊の本を買うことでも投資になっていることが多いのである。まず知識を吸収しようとしない人は本も買わないのである。
普通のブルーカラーの人など本を買わないし読まない、そもそもそういう知識関係のものに消費しないのである。それより消費できないのである。
だから何か消費するということはかえって投資できる人なのである。
本を買うということは知識をえるために投資している、でも知識を吸収しようとしない人は本は買わないからである。もちろんパソコンなどもやらないのてある。

結局消費することが人生になっても有益だったとなる、最初パソコンは高価なものでありパソコン通信の時代がありその時パソコンを40万くらいで買った人は浪費したのかというとそうではない、パソコンの開発に協力して投資して発展させていたのである。
まずその時パソコンを操作すること時代特殊な技術者にもなっていたからである。
そこからパソコン通信が生れて今日のスマホなどに発展したのである。
だからまずパソコンを買うことはすでに社会的にもパソコンを発展させる投資だったのである。

投資と消費は一体化していることが多いのである。自転車でも車でもただ買うだけであり消費するだけかともなる、でも車でも自転車でもそれは消費するためのものではない、様々な投資になっている、自分は自転車で買物しているから欠かせないものであり単に消費しているとか浪費しているとはならない、遊びに使ったからとしても浪費ではないのである。遊びにもギャンブルなどは違うが消費ではない、投資なのである。

要するに豊かな時代は金をいくら稼いでいるかで人の価値を決めない、そういう時代が好ましいとなる。なぜなら価値は多様であり金だけで人間の価値を決めることは問題なのである。ただ金の力は大きいからそれを指標としている、現実に金の力がこの社会では働くからである。
豊かな時代は投資と消費が分けられなくなる、仕事と遊びも分けられなくなる
そしてすべての価値を金で計れなくなる、そういう社会がいい社会なことはまちがいない、なぜなら人間の価値は多様だからである。
別に現実社会で金を稼がなくてもベーシックインカムのように自分のやりたいことをするそれは必ずしも消費にはならないのである。
そんなのんきな社会はありえないというがではなぜこんなに働かない人が増大していて社会が成り立っているのかとなる。老人をふくめて三分の一は直接金を稼いでいるように見えないからである。その代わり機械が仕事しているとかなる。

いづれにしろ消費という言葉が大きな錯覚をもたらしたのである。今の時代にあわないのである。消すということはマイナスのイメージしかないからである。
消費ではなく投資でもなく投費にでもなるからもしれない、投資+消費=投費になる。

資本を投じる、費用を投じるが投費になる

ただ費にはいい意味がない

「消費」「費力=力ヲ費ヤス」「費言=言ヲ費ヤス」「君子恵而不費=君子ハ恵ミテ費ヤサズ」〔論語〕
{名}ついえ(ツヒエ)。つかうための金品。もとでとなる金銭。支出する費用。「経費」「学費」「費用」
ヒナリ{形}つかいすぎである。よけいな。「辞費也」
{《解字》
会意兼形声。弗フツは「豆のつる+左右にはらいのけるしるし」の会意文字で、まとまった物を左と右にはらいわけること。拂(=払。はらう)の原字。費は「貝(財貨)+音符弗フツ」で、財貨を支払って、ばらばらに分散させてしまうこと。

この費を利用したことも問題である。この字の意味が消につながっていたのである。

他にもいい造語が必要なことは確かである。要するに時代によって不適切な言葉になるのもあるし廃れる言葉もある。だから常に言葉は新たに創造される必要がある。
同じ言葉でも意味も変わってくるのである。



タグ:投資と消費
posted by 老鶯 at 16:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題
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