2016年12月26日

原発事故の自主避難者と小高はにている (放射線量は低いのに帰らない)


  原発事故の自主避難者と小高はにている

  (放射線量は低いのに帰らない)

福島に住むのも自由だし 戻らず避難先に永住するのもその人達の自由だから。
自主避難者ばかり サポートを付けるのはちょっと本来不公平な事でもありますよね。本来福島県のお金は 福島を復興させるために使うのが妥当だと思うし

避難していない人達は なんのサポートもなく自力で生活しているわけだから そろそろ自主避難した人達には自立してもらわないと

打ち切るのは当然・・そのお金は県内の復興の為に使うべきです

出て行った人に使うものではないと思います。請求するなら東電へ個人的に訴訟を起こすべきでは?

福島に戻る気もないのなら 各避難先に永住すべき!

↑自主避難者の方々は 福島県内でも線量の低い地域の人達ですよ?

実際の線量は0.1μsv/h以下です。放射線管理区域よりはるかに低い線量です。レントゲン1回取ったり 飛行機で海外へ行った方が福島にいるより被ばくします。


自主避難者というのもわかりにくい、ええ、まだいたのという感じである。
最初から自主避難者は地元でも批判されていた。それが5年すぎてもまだいるということは福島県民でも何か普通ではないと感じる

とにかく放射能が放射脳と言われるように放射能に過敏になればきりがない、またそれを責めるとお前は放射能のことを知っているのかとなりめんどうになる。
子供を守るために母親が必死なのにそんなこと言えるのかとなる
この放射能問題だからめんどうなのである。

小高でもそうである。俺たちは被害者であり高い補償金をもらうのは当然である。俺たちは同情されるのが当然である。故郷に住めなくなったのだからと確かにその精神的被害が大きかった。でもそれを言うときりがなくなるのである。

小高の人でも自主避難者を批判するこの人のようになっている
そもそも復興とはなになのかわからないのだ

個々人の復興→避難区域から出て自分の家を建てる

故郷の復興→故郷に住みつづけて復興する

この二つに分かれる、だからこの人は避難区域から出た人は
避難していない人達は なんのサポートもなく自力で生活しているわけだから そろそろ自主避難した人達には自立してもらわないと

こうなる、でも避難者は土地をもっていればその土地の賠償を要求するしその土地に住んでいたことで賠償を請求する、しかしもう故郷には住まないのである。
実際は放射線量が低い場所でも住まないで外に出たのである。小高などはこの辺と変わりないからである。
そして復興復興と言うけと肝心のそこに住む人がその町をになう若い人が流出したのである。
だから過剰な補償金をもらった結果、それを資金にしてみんな肝心の復興すべき故郷を捨てたのである。
もし補償金の額が少ないのなら、もう苦しくてもここで生活する他ないとなっていたかもしれない、でも補償金も多くもらった結果その資金で外に出て家を建てた方がいいとなったのである。

だから何のための補償金かもわからなくなった。故郷を復興させるためではない補償金が支払われたのである。
この辺はみんな補償金のことしか頭になくなったのである。
小高でも浪江は5000万以上ここよりもらっているとか浪江は浪江では補償金の額があっちは多いとかもめているのである。
何か故郷をなんとかこうして復興させるという声がほとんどないのである。
ただ補償金をもっと欲しいしかないのである。

ただ小高の場合は国の支持が間違っていた。三〇キロ圏内で区切り避難させたことがそもそもの間違いだったのである。ただ間違いといってもその時は判断することがむずかしかった。でも5年は長すぎたのである。3年くらいでも良かったのである。3年でも長かかったのである。そのうちだんだん帰る人がへっていったのである。
原発事故では避難するにもスピーディが機能しないとか政府とか東電が適切に判断しないことがこうしてあとあとまで地元民を混乱させたのである。

そしてなぜ原発避難者が批判されるのか?それは国民であれ周辺のものであれ負担を強いられるからである。
何も補償金もらっても消費しているから地元の人も助けているのよと仮設に住んでいる人がいう、それも補償金のせいだったのである。
消費者は王様だというのが社会にしても避難されてきた土地では負担になっている
病院でも福祉関係でもいわき市では数が多いからパニックになったのである。
鹿島区だってそれほどでないにしろそういうことはあった、避難先ではなにかしら負担になったことがあった。消費してくれるからいいとだけではなかったのである。

だから今度浪江の人などが相当二千人以上くらい南相馬市の復興住宅に入る
すると何が起こるのか?人口は増えるから消費は増える、でも一方で医療とか福祉関係は負担が増える、看護師不足でもあり病人が増えれば対応しきれなくなる
ただ移ってくる人でも看護師もいるから補充されることはある。
ただ近くの復興住宅に移る浪江の人も病気で医者の心配をしていた。
南相馬市に移り住む人はまた老人が多いしそういう人は病気もちがまた多いのである。
そうなるとますます市が高齢化して医療や介護などの負担が増えることになるのである。一般的に老人は60以上になると生産的活動はしない、そして補償金頼みの人もいるがそれも浪江だと打ち切られる、そうなるとどうして生活するのか?
小高の遊び人は生活保護だと言っていた。するとそれも市や国の負担になるのである。

人間つくづくかわいそうだと同情するのは悪いことではない、でも実際にそういってでは障害児を世話してくれとか老人を病人を介護してくれとなるととてもできない
金をだせといってもそれだって簡単にはできない
口でかわいそうだとは言えても実際に世話するとなると負担になるからできない
つまり補償金がもらえなくなった人は60以上が多くそうなりやすいのである。
生産活動しないから市町村の負担になってくる。
でも俺たちは被害者なのだとは強くこの五年ですりこまれたからそれも当然だと思う人が多い、それは権利だとまである。第一生活保護は今は権利なのである。
だからその権利を主張するのが当然だとなる、特に原発被害者などはそれを堂々と主張できる。俺たちは被害者なのだと迫れば受け入れられるからだ。
結局仮設に住んでいた五年でもほとんどの人はギャンブルとかで遊んでいたのである。
その五年間は他人まかせであり関心があるのは故郷の復興ではない、補償金だけだったのである。

だから復興というとき本当にむずかしい、復興するといってもその意欲もなくなっている放射能問題もやっかいでありそれを言われるとそれが理由になり反対もできない
何かそうしていろいろな悪条件で復興することがむずかしくなったのである。
南相馬市でも小高が復興しないと負担になるから復興してくれといっても帰るのは老人がほとんどである、ただ自分たちは被害者だとなりその権利を主張するだけだとなる
それもまた正当化されるから批判もできない、結果的にいづれにしろ負担が増えて負担を背負わねばならない人がでてくる。
それがすぐにではなく徐々に市民が町民が村民が感じてくるものだろう。
生産しないとなると税金も入らないし自治体の財政だって苦しくなってゆく
今は補償金とか国とかの援助があるけどいつまでもつづくものではない
だからこれから五年後とか10年後はさらに厳しいものとして現れる
その頃まで生きるとなるとここでは相当に苦しいとなるかもしれない。
夕張のようになってゆく恐怖がある。それは少子高齢化でそうなってゆく゛限界集落化してゆく、それがこの辺では極端になり現れ早めにそうなってゆく恐怖なのである。






posted by 老鶯 at 13:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
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