2016年12月17日

ボランティアすべきは原発避難者の方でもあった (ボランティアがすべていいものとしで働かなかった)


ボランティアすべきは原発避難者の方でもあった

(ボランティアがすべていいものとしで働かなかった)


この辺ではともかくいろんなことが問題になった。あらゆる問題の場所になったのであるその一つにボランティア問題もあった。
津波もあり原発事故もありその被害があまりに大きく目立つからそれだけボランティアがかけつけた。
近くの津波の被害にあった所では京都ナンバーとか関西の方からも来ていたしありがたいことだった。その時はみんな感謝していた。
二年くらいはそういうボランティアでも必要だった。

ところが何かボランティアとはその後も来ていた。
それも何か自転車旅行のついでにとか寄っていた若者もいた。
そういう人たちは遊んでいるからと普通は地元でも受け入れられない
だから普通は通りすぎてゆくだけなのである。
でもここでは被災地では人手が必要としたので受け入れたのである。

でもボランティアでも疑問なのは日頃何かボランティアしているのか?
全然していないけどこういう特別な被災地だから来たという人が多かった。
地元の人もそれで助かるし受け入れたからである。
それは別に批判はできない、助くれているのだからとやかく言えない

でも原発避難者が仮設にいてボランティアが来ていたときボランティアの人が働いているのに地元の人たちが仮設に住んでパチンコだとか遊んでいたので働けと怒っていたのである。ボランティアがいいように使われたという問題もあった。
実際復興とか除染とか何でも地元の人はほとんどなにもしていない、外部の人たちが来てしたのである。
地元の人たちはほとんど何もせず仮設に移り住んだ人たちもギャンブルに興じるとかしている人たちも多かった。そのことも何か変だったのである。
だからボランティアに来た人たちが馬鹿らしいと思うのも当然だった

それから何かボランティアというとき実際はいろんな人たちがいた
NPOでも詐欺があったようにいかがわしい人たちも入ってきたのである。
ここでは何かマスコミで報道するようないい面だけではなかった
人間の悪い面も被災地ではあったのである。ただそういうことはあまり報道しない
ただボランティアというと何かみんないい人たちでありと思うのもまた疑問なのである。

例えばこういう際に宗教団体とかも来て宣伝する、何か自分たちのエゴのために活動する人たちもいたのである。近くの原発避難者の仮設には入れ代わり立ち代わり援助する人たちが来ていたのである。
ただ外から見ていたからどういう援助かはわかりにくくかった。
でもそういう人たちが絶えず来ていたことは最初の内は確かだった。
そういうボランティアがくることでまたマスコミでもいろいろ原発避難者の立場にたって報道していた、それは最初のうちはしょうがないといえる

でもボランティアというとき何か突然にこういうことがあったからと助ける人になれるのか?
第一日頃近くで困って苦しんでいる人がいてもボランティアして助けているかというとほとんど近くではないだろう
でも常に隣近所であれどこであれいろいろと今では介護とか苦しんでいる人たちはいるがほとんど無関心なのである。
あたかも被災地にかけつけたボランティアの人たちをみると善意の人たちのように見えるまた地元でもボランティアを歓迎するからボランティアの人たちも気分いいし助けられる人たちも気分いいとなる

ただそれはこの辺では津波の被害者もいたが原発避難者だけであり普通の人たちは何の援助もなかったのである。
自分も別に被災地区域であり介護とか病気で苦しんでいたけどボランティアなどは関係ない、仮設住宅地に入っただけだからである。
いづれにしろ普通は近くに苦しんでいる人たちがいても助けない、無関心である。
都会だったらさらにそうなる,田舎だと他人の苦しみが楽しみにもなるのが刺激を与えるものさえになっているのだ。
苦しんでいてもそれを助けたりしないのである。

だからボランティアは全面的に肯定されるものだが何かそれだけではない、自分の売名のためにボランティアになる人もいた、福島県の詩人とかでそういう人がいた。
一躍有名になったのである。
そういう人はここにきても原発避難者は遊んでばかりいないで働けとか言わないのであるかわいそうだから援助する、そして援助される方もいい人だとなり援助する人も有名になったりしていいことなにる。

でも地元に住んでいる人たちにすると一体ボランティアは何なのか?
ただかわいそうだかわいそうだとして汚い現実を見ないのである。
ギャンブルで毎日遊んでいるならもっと働けと言ってもいいはずである。
そういうことは言わない、どっちにとっても都合のいいようにしかつきあわないのであるでも地元の人にすればボランティアでも今になると来なくなったが本当は長くボランティアしてもらうのがいい、それよりもう真剣に考える人は援助ではない、もうその被災地にすみつく人だとなる。
そういう若者が女川にいたから感心したのである。
一時的にいい格好して歓迎されてあとは来ない、そういうボランティアはただいい格好したくてそうしたのかともなる
有名になった詩人などはそうだろう。一見応援しているように見えても自分の売名のためにしているのである。
マスコミはまたそういうものをとりあげるからである。

なんかもし本当にボランティアでも助けるとなると犠牲が強いられる、そうなるとそんなことは嫌だとなる、一時的に歓迎されてあとは知らないというのが多い、それが無益だとは言わないがボランティアはそういう人が多いことは確かである。
そういものだからそれはそれで必要だとも言える
ただなにか本当に助けるというのではない、自分たちエゴのために来ている人たちもいるのである。

マザーテレサがまずは近くの人たちを助けなさいというときそうだろう。
アフリカの奥地まで行って助けようとするよりまず隣近所で苦しんでいる人たちはいくらでもいる。なにもアフリカくんだりまでゆく必要がないのである。
何かそういうことがボランティアにも疑問をもつということがある。
自分が助けられたらこんなこといわないが自分が苦しんでいるとき全く助けてくれないからそう思うようになったともなる
ただ自分の場合はこれまでの苦しみは自分のカルマだった。あまりにも楽した結果として苦しめられたのである。そういう自覚が自分にはあった。

そのカルマというときも原発事故避難者に関しては原発の一〇キロ圏とか二十キロ圏とか三〇キロ圏内とか区切られたけどそれ相応の責任、カルマもあったのかとなる
それだけ原発に近ければ近いほど恩恵を受けていたとなるからだ。
現実に浪江町と小高町の中間点に東北電力の原発の工事がはじまるところだったからである。もしそこで事故が起きたらもう南相馬市でも相馬市でも壊滅状態になった恐怖であるその時はまだ合併していない時だったから知らない人が多かったのである。

ボランティアでもみんな善意だけの人ではない、売名の人も結構多いし別な目的もある場合もある。
本当の慈善となると犠牲を強いられるかもしれない、そうなると誰でもできるものではないという自覚をもつべきである。
ただ被災地でも耳に痛いことを言う人は拒否される、なんでもかわいそうだからとなんでも楽にしてくれる人たちがボランティアが歓迎されるのである。

それより飯館村の人が相馬市のトマト農家で働きたいというとき断られたのはなぜか?
津波の被害者が補償金ももらえないからそっちが優先にした。
では働けないのか?そうでもないかもしれない、つまりそうなら

ボランティアで働かせてください 無料でいいです

そうしたら働けたかもしれない、なかなかこういうことは事情があるから簡単にはいかないことはわかる

それから浪江の工場経営の人が仲間が仕事をくれないと訴えるとき工場経営者だったら補償金の額が大きくなる、すると金があるんだから仕事を頼まなくてもいいだろう。
こっちは金を稼ぐために必死だとかなる
でもこれも

なんとかボランティアで働かせてくれ、協力したいんだ

なんかそんなふうになれば前のように協力関係ができるかもしれない、他でもギャンブルばかりしていんたらその土地の人はどう思うのか?
それを考えたら介護の仕事でもさせろとか言うのもわかる
ボランティアになるのは原発避難者の方にも言えたのである。
どんなに見たって毎日ギャンブルに興じているのが苦しいのかとなるからだ。
だからボランティアというけどそうできるように外からは見られていたのである。

現実に最初自分の所に知っている人が働かせてくれと頼みに来た人がいた。
一〇万でもらえばいいとか言ってきたのである。
その時は補償金のことがわからなかったからである。
でもこれも今になるとむしろ働かせてもらいたいのは原発避難者ではなかった。
その回りの人たちでもあった。なぜなら最底辺層になると生活がぎりぎたであり苦しいからである。
それで同級生だったか仮設に住んでいる小高の人の所に行き何か仕事にならないかと行った人がいた。
その人はフィリンピンの女性といた。そして小高の人たちに何かと言われ行かなくなったその人は何かしてくれるのにも金をとるとは思わなかったのかもしれない。
なぜなら原発避難者でもボランティアが来て無料で奉仕したり何かと援助も補償金も入ってきたからである。

だから鹿島の人もそういうふうに援助してくれるのかと思っていたのかもしれない
つまりそういうふうに常に援助されるものだと思っていたからである。
でもその人は生活に困っていたのである。
だからむしろボランティアする方が原発避難者だったということもあったのである。
原発避難者にとってそんなことは微塵も考えないことだったのである。
ただ自分たちは援助されるべきであり援助するなど考えもしないことだったのある。
でも毎日ギャンブルしているような人たちがかわいそうだとか援助すべき人たちとは見えない、むしろ回りの人たちにボランティアでも援助するということはできないことではなかった。
でも常に自分たちは援助されるべきものであり援助するなど微塵も考えないことだった。だからボランティアでも全面的にいいものだったとは限らない、ただボランティアでも
ギャンブルでパチンコなどで遊んでいるのを見て怒った人もいたのである。
なんで働かないんだと馬鹿らしくなったのである。
そして一番働いたのは自衛隊だったという人もいる
なぜなら泥をかきわけて津波の死体を探していたり瓦礫のかたづけをしたのは自衛隊だったからである。それでトラウマになったり自殺した人まで出たからである。







posted by 老鶯 at 09:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
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