2016年12月08日

年の瀬、短歌十首(死者を偲ぶ街)


年の瀬、短歌十首(死者を偲ぶ街)

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母死して一年すぎむ冬の陽の没りて余光や田舎の暮れぬ

その一生忙しく終ゆ師走にそ死ぬはふさわし母なりしかな

我が姉と母とのここに安らかにあれと祈りつ年の終えなむ

我が庭にねじこむ石に広き葉の散りて重なる今日も来る女

この家の庭に石置き冬となり椿の映えて我が日々通る

年の瀬に老人一人また死にぬこの街に生きし女やしのびけるかな

街中に死者は眠りぬこの道を今日も行きにつ年も暮れなむ

駅により誰かよりなむ淋しきや冬の薔薇咲く田舎町かな

駅前の自転車やかな営みのここにつづきて冬に入るかな

美しきわたりの鴨や来たりけり冬の鴎も飛び来る街

夜の霧深くもおおい街の灯や芒のしげりともしきかな


何か母が死んで一周忌が12日だけど不思議な感じになる、姉と母とは60年間も一緒にいただから二人が死んだということが自分にとってどういうことなのかまだわからない
死者が何なのかということはこうして親しい人が死んでみないと実感としてわからない
最近やはり近くで自分の親のような親しかった女性が死んだ、するとそれも何か身近に感じた。
死者とは全く骨となり灰となり何もなくなるのか?
現実は物理的物質的には科学的にみればそうである。唯物論的にはそうなる。

でも死者はやはり存在し続けるという感覚をもつのも人間は単なる物質的な存在ではないからである。そうでなければ死者をいつまでも偲んだり墓参りしたりしないからである。その体は消えてもなにか霊魂なのかなにかわからないが残っていると感じる
その死者を過剰に思いよせたことにより日本の仏教があった。
死者の供養のための仏教と化したのである。仏教はシャカの教えは死者にそんなに重きを置かないからである。
死者を通じての共同性として檀家が生まれたのである。
それはそれなりの村の共同性だった。
ただ戒名であれそれは仏教とは何の関係もない、別にそんなことで救われることも成仏することもない、それは日本的習性となっただけである。

ただ死者を偲ぶということはやはり死者とのつながりを持続させることであるから悪いことではない、国家が「記憶の共同体」だというときまさにそれは故郷というときそういうものがありもともとは村とかから国になった。おくにはどこですかというとき国はもともと小さな村のようなものだったからである。
そこに記憶の共同体としてあったのである。
それを感じたのは自分の家族が死んだことと近くの人が死んだことで感じたのである。

そして墓はすぐ近くにあり毎日墓の前う通っているから自分の場合は死者と親しいともなる、田舎というとき死者が眠るにふさわしい、都会だと騒々しいし死者も安らかに眠れないともなる、人間の感覚はやはり小さい狭い範囲だと理屈なしで一体化する
一万くらいの街だと何もないが何かそこは人間的な場所になる

自分は介護になってから10年間この近辺を行ったり来たりしているだけになったのであるそれでも見るべきものがある、田舎には季節の変化がある、都会では季節の変化が感じにくいのである。
社会を知るというとき小さな世界、田舎のようなところで考えるとわかりやすくなる
東京のような所ではもう混沌として何も考えこともできなくなる、人間はそこで主体性を喪失する、巨大な大都会の歯車と化してしまうのである。
そこでは死者を偲ぶということもしにくい、常に騒々しい今しかない、死者はそこで忘れられるのである。
だから死者を偲ぶのには田舎いいなと思った。
でも死者を偲ぶにしてもその街で生きていたということがなければ死者となっても偲ばれないともなる
それで東京から介護のために移住させるのは何か不自然であり田舎の人も抵抗がある
それは金では解決しない、何でもすべて金では解決しないのである。

原発事故で避難させられた人たちがそうした自分のアイディンティティの場所から切り離されたことが意外と大きな痛手だったことが外から見てわかりにくい
なぜなら墓も先祖も精神的に以前として結ばれていた場所だったのである。
そういう場所を新たに作ることは老人ならできないからである。
そこで小高の老婆は小さな家を新しく建てて住むというのもわかるのである。

自分の家の庭の石はねじこむ石となる、一人の年配の女性が何かとねじこんで入りこんだとなる、その女性は毎日来ている、仕事は5分くらいでありただ毎日来ているというだけである。それでも誰も来ないよりはいいとなる
何か一人になるとこれもまた新たな経験であり心境になる、なんか一人暮らしというのは今まで経験しないことだった。
介護でも母がいたのだから一人ではなかった。だから淋しいということもなかった。
家にはやはり以前として家族がいるという感じだったのである。
それで妻を亡くした人がしきりに介護する人でも家にいればいいと言うのもある程度はわかった。
がらんとした大きな家にいるのが何か不自然であり淋しいとなるからだ。


補足

俳句と短歌ではやはり短歌は生き延びるが俳句はむすかしいかもしれない、俳句はあまりにも短すぎるのである。
でも俳句でつちかった季語は日本の文化から消えることはない、
今回も本当は冬椿とか冬薔薇というとき短歌にすると冬の椿になり冬の薔薇になる。
俳句の方が簡潔に表現できる。でも何か表現しきれないものが俳句にでてきているから俳句はだんだん消失するかもしれない

石の庭ここ日々通り冬椿

この家の庭に石置き冬となり椿の映えて我が日々通る

これは同じものでも俳句になると簡潔になるのである。
つまり季語が冬椿がひきしめる役割を果す、冬椿からイメージするものがすでにできあがっているからである。

the setting stone

in the garden

red camellia japonica

そこはa stone ではなく新しい家でもthe stoneになっている、要するに家とに我があると定着するという感じになる、アパートとか復興住宅でも庭がないと定着するという感じを受けない、復興団地でもそうである。
おそらく家と庭があると大地に根付いたという感覚になるからかもしれない。




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