2008年08月08日

病葉

toomyamai1.jpg
 

もれなくも鳴きあう蝉の調和かな

墓所近く病葉落ちぬあわれかな

病院の夜のひそけく白木槿

我がとなり粗末な墓の草刈られ参る人あり盆近しかな
 

草が伸びた隣の粗末な墓にも参る人がいた。草は刈られて花もさされていた。この墓は一体誰なのだろうか?縁のある人はいたのだ。墓は立派である必要はない、誰かが掃除して墓参りする人が必要なのである。それが今は跡継ぐ人がいなくなるから問題なのである。介護とか墓参りとかは心が必要であり金で頼んでも心をこめてやれないとだめなのだ。それがむずかしいから金だけで解決しない問題が老後にできてくるのである。
金があれば豪華なホテルに泊まりサ−ビスを受けられて満足だが介護は豪華な設備に入ってもすべて満足かというとそうはいかない、むしろ看護婦とか介護士に好かれる人がいいとなると金持ちや地位のあった威張る人は敬遠される。つまり老後は価値観が変わる、健康であり金があればこれまでは別に問題なかった。しかし老後は価値観が変わってしまうから生き方も今までのようなものと違うからとまどうのだ。どうしても老後は弱者になるということを自覚しないと世話になるということを自覚しないとだめになる。いくら金あってもそうなのである。看護婦であれ介護士であれホテルに泊まるような世話とは違う、生活全般の世話になるからむずかしい。ホテルだったら一夜限りでサ−ビスも限定されているからお世辞笑いで一場もしのげる。でも四六時中生活を一緒にして顔を合わせて介護されることは大変なことである。そこにホテルに泊まるのとはわけがちがう、深刻な問題が生れてくる。世話する人も世話される人もかかわり方が深くなってしまうのだ。だから嫌な人でも一場をしのぐようにはできない、嫌な人だったら心に現れるから嫌だとなったら世話もしたくないしやめてしまうだろう。だから介護士などがやめてゆくのもわかるのである。金を高くもらったとしても果たしてこの介護の問題、老人の世話の問題解決するのだろうか?老後は価値観が今までと違うからそうなってしまうのだ。

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