2016年10月01日

明治維新は何であったのか? (廃藩置県で藩と侍をなくすことが最後の目的になった)


明治維新は何であったのか?


(廃藩置県で藩と侍をなくすことが最後の目的になった)


明治維新はわかりにくい、様々な説がある。
明治維新の画期的なことは廃藩置県である。
藩ごとに国が分割されていて藩同士は敵対していた。
戦国時代に城が築かれて城下町ができたけど敵に攻められないように作られていた
隣の藩で敵である。だから飢饉があっても隣の藩でも協力しないのである。
相馬藩では天明の飢饉でも伊達藩は協力しないが相馬藩内では協力した。
飯館村が山中郷が飢饉のときは相馬藩内で援助している。

明治維新は何か国家理念などもない、藩同士の利権争い、権力闘争だった。
薩摩と長州は背後にイギリスとかと結びそれぞれに幕府を倒そうとしていたのだ。
つまり薩摩の西郷はあとでわかるように西南戦争を起こしたように薩摩藩を維持するために死んだのである。
だから明治維新の目的がなんだったのか?西郷にすれば薩摩藩や侍は消えてはならないものだったのである。

会津は会津で会津藩を維持しようとして蝦夷地をプロイセンに売り幕府と会津藩を維持しようとしていたのである。外国勢力と結びつかないと戦いないからそうなった。
つまり江戸時代は藩から脱してものを考える思想をもちにくかった。
だから藩単位でみんな動いていた。藩が優先していたのである。
だからこそ薩摩長州が同盟することは大きなことでありありえないことであり歴史を動かしたのである。東北列藩同盟もうまくいかてかったのもそのためである。
藩は敵同士だから当然そうなった。

なぜ坂本龍馬が英雄になったのか?それはグラバー邸の武器商人としてであっても薩摩と長州を結びつけたとされるからである。江戸時代だと敵対する藩同士を結びつけることは最高にむずかしいことだったのである。
それぞれの藩内の道すらその藩主の許可がないと通行できないのである。
そういう藩中心の世界であるとき薩摩長州が同盟することになり日本を変えたのである。
まず西欧列強に日本が対抗するときとても藩があってはできない、日本が一丸となって西欧に列強に立ち向かうことはできないのである。
廃藩置県を実行して天皇中心の中央集権体制ができたとき西欧列強に立ち向かうことができた。
だから西南戦争では会津藩の侍が参戦して国民軍として西郷軍と戦っているのである。
西南戦争で侍はなくなったのである。その時国民になり国民皆兵になったのである。

明治維新は今になといろいろな見方が生まれている、でも幕府が継続していたらどうなったのか?廃藩置県は実行できたのか?
明治維新を成し遂げた方でも西郷のような人物が出てくるとしたら藩をなくすことは最大の障壁となったろう。それが幕府でできたのかという疑問である。

幕臣であった人たちは薩摩長州による政権に不満だった。それもわかる。テロリスト集団が政権を握ったというのもわかる。実質の政権など運営できないというのもわかる。
ではどうして幕府が藩をなくし侍をなくして強力な中央集権国家を作りあげることができたのか?

幕臣には相当に優秀な人がいた、その人たちは明治以降重要な役職にも抜擢されている。榎本 武揚などがそうである。内村鑑三などもそうである。優秀な人材は幕臣から輩出している。だから別に幕府で廃藩置県できるならそれでも良かった。
だから大きな疑問は幕府が廃藩置県をして侍階級をなくすことができたのかが議論にもなる
その前の薩摩長州や幕府を倒した維新の志士はテロリストだとしても幕府が藩を廃止して侍をなくすことが自らできたのか?
会津だったらあれだけ藩に忠誠を誓い白虎隊のように城が燃えたから自刀としてゆくような強烈な藩への主君への忠誠心があるものを廃止できるか?
西南の戦争自体がそれを如実に語っているのである。

明治維新を議論するときここが肝心な所ではないか?
いろいろあっても明治維新は最初は藩同士の権力闘争であり国家理念などない、だからこそ西南戦争が起きた。幕府を倒してもやはり藩を維持するのが侍であった。
幕府が継続してもそれは同じであり廃藩置県はできなかったのではないか?
西郷であれ会津であれ藩と侍の維持には命をかけてくるからである。

明治維新は最初は西郷に象徴するようにただ倒幕の藩による政権交代の戦いだった。
吉田松陰とかに何か国家理念などもちえようがないのである。
高杉晋作にしてもそうである。幕府を倒すということが先決でありそのあとの政権構想国家構想などありえないのである。何か思想というものに基づいての行動ではない。
まずその時藩を廃止するとか侍がなくなるなど想像もできなかったろう。
とても未来の国家のイメージなどもちえなかったのである。
高杉晋作の奇兵隊に参加した庶民もただ幕府を倒して自分たちが権力をにぎり支配者になれるということで参加したのである。
そして伊藤博文が初代の首相になったのである。

そういう人は今でも野党系統にいる、創価でもそういう野心家が入ってきている。
政権をとれば地位でも金も入るとなり活動する。政治活動がすべてになっていることでもわかる。それは宗教とはあまりにも反したものなのである。
カルト宗教団体になるとそこに入っている人の思惑はあまりにも多様であり複雑すぎるのである。それはどこの団体でも同じなのである。
だから何か人間が革命などというときそこには様々な思惑が入り乱れるのである。
まず純粋に思想的に殉じるなどという人はまれだろう。何か利権とか栄達とかを考える
それは中国の共産政権ともにないる、ただ共産主義の理念があっても結局権力闘争でありあとは共産党幹部の王朝となって腐敗したのとにている。
理念などあっても人間の欲が勝るから実行できないのである。

ただ廃藩置県とかでもすべてはいいとはならなかった。武士の伝統的な精神文化も失われた。地域地域の文化も失われた。地方地方に培う文化がありそれで人も育つ、それが国家一色になってしまったのである。
でも廃藩置県がなかったらとても西欧列強には太刀打ちできないから植民地化されたりしたことはまちがいない、西南戦争が内戦であったようにさらに大きな内戦の混乱で日本は疲弊したからである。

いづれにしろ明治維新は今になるとタブーとされるものが解放されていろいろ議論になるフログではなかなか議論ができない、一方的発言で終わる
でも議論すれば相手であれ自分であれ弱点が攻めれて論点が明確になることは確かであるそれがフログの問題点ではある。

posted by 老鶯 at 10:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/177095326
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック