2016年09月17日

秋の蝉(十年以上買物が仕事だったー昨夜は一六夜)


秋の蝉(十年以上買物が仕事だったー昨夜は一六夜)

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一六夜の月


秋の蝉なお一つ鳴き買い物に

一面に夏菊や蝶三羽舞う

家事十年男一人やめぐる秋



秋の蝉一つ鳴きにつ買い物に男一人の暮らしやあわれ

十六夜の月の薄雲に光るかな無月の後に微笑むごとく

微笑みつ去りにし女の面影や十六夜の月雲間に光る


買い物というとき介護の前からもしてたから20年くらいしているかもしれない。
家事というとき意外と料理が主だと思っていたが実際は買い物が主になる
何か料理するにしても材料を買う必要があるしいろいろ買わねばならない
すると今は買う種類が多いのである。どこになにがあり何を買っていいかとなる
それが一番わかりにくいことだったのである。

自分が仕事したというときこの買い物だったのである。だから買い物難民とか言われるけど買い物が不便なところは現代では苦しい、だんだん体が弱ってきたら近くにスーパーがないとまた苦しくなる、何かやっと歩いているような老人も買い物に来ているからである手押し車でも買い物に来ている人はいる、自分の母親90過ぎてもそうして買物していた。
ともかく家事というとき買物が一番時間がかかる、特に介護のときは買物から何からいろいろあったから忙しかったし時間の余裕がなかった。何かにいつも追われていたのであるただ人間は人の苦労がつくづくわからないのである
知り合いの人は妻が死んで一人暮らしであり大きな家にいるから淋しいといつも言っている、そしてあんたは介護している人でも家にいたから良かったんだよと何度も言うのである。

それは妻を介護する経験をしていないからなのである。こういうことは常にある
仕事だった人の苦労など経験してみないとわからないのである。
なんか自分は主婦ではない主夫になっていたのである。
その知り合いの人は買物はせずに親密な女性に頼んでいる
何か男が買物や家事を嫌うということは前はあった
そんなものは女性がするものだというのがあった。
でもその人は糖尿病だから手のこんだ料理はしている、自分はほとんど買ったものですましている、料理は女性でもうまいへたがあり簡単にできないものである。

朝顔に我は飯食う男なり 芭蕉

朝顔というのはイメージすると妻とかの女性なのかもしれない、でも一人身だから淋しく黙々と飯を食う男なんだとイメージする、何か人間は男女があって調和している
女性がいないと男性だけだと淋しいものとなる

ともかく秋になった、十五夜には月が出ない無月だった。昨日は一六夜(いざよい)であり薄雲に満月が光っていた。最近は曇りがつづいている
なぜいざようなのか不思議である。

ほほえみつ去りにし女の面影や十六夜の月雲間に光る

これってもしかしたら恋の歌なのか?女性の魅力は何かこの微笑みにある。
ただ肉体的なものにあるだけではない、肉体と関係なく人間には女性を慕うものがあるのかもしれない、男女の関係はやはり死ぬまで消えないものなのだろう
若いときはどうしても肉体的なものを求める、それでかえって覚めた眼で女性を見れないのである。

ガラス越し身をきよらかに照らしゐる十六夜の月は香のある如し      小林みどり

これは女性的な感性なのだろう、月に香りを感じるということはそんなにないだろう。
いざよいはいざなうでありいざなうには女性が男性をいざなうということがあるかもしれない、女性の微笑みもそうである。

タグ:買物 秋の蝉
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