2016年09月05日

なぜブラックな職業が多いのか? (社会自体がブラックだから)


なぜブラックな職業が多いのか?


(社会自体がブラックだから)


葬儀屋 僧侶 

人の不幸を喜ぶい卑しいお仕事です

カルト宗教団体

人の不幸が商売の種

風俗業

手っとり早い女性の稼ぎ場 金のため魂まで売る職業

ギャンブル(パチンコ屋など)

趣味も何もない暇つぶしの場の提供
でもギャンブル場だから身を滅ぼす人も

政治家

利権のブローカー

弁護士

ヤクザの示談屋とにている
最近は数が増えたので人気がない

医療関係

弱者となる病人相手
弱みにつけこむ商売
いらない薬やいらない手術でもうける

福祉関係(介護など)

弱者を相手にしぼりとる
弱者相手の職業だから人間のあくどさが一番現れる

銀行や証券会社

銀行は汚い消費者金融などに出資してもうけている
弱者には金は貸さないし冷たい
証券会社はマネーゲームでもうける
他人の金を利用して損しない、銀行も同じ

官僚、公務員

税金にたかる無駄使いが多い、天下り先のため大企業と結託

公明党共産党員

貧困ビジネス、弱者を相手に幹部が上前をはねて贅沢をする

学者、知識人

現体制擁護で富裕層につく、御用学者で得する

マスコミ

会社の宣伝機関、正義を装う、愚かな大衆操作の機関

皇室

権力に祭りあげられて利用される無能な人形

大企業(トヨタなど)

労働者は奴隷、派遣は一時期の部品
いらなくなれば容赦なく切り捨て
経団連は日本を牛耳る

軍隊

人を殺すのを生業とする職業

警察

権力を傘にして威張る組織
富裕層や権力側につく団体
弱者は無視

検察

正義の味方を装い権力側につく、大企業や大組織は罰しない
東電の幹部を見ればわかる、あれだけの事故でも罰せられない
百円盗んでも刑務所に入れられるのに

農協

政府から補助金をしぼりとる団体
農民もまたブラックなのか?

不動産屋

土地で暴利をむさぼること

建築関係

除染関係でも一人十万出しても一万しか労働者に払わない
ピンハネ団体

コンビニ

会社の正社員が店主や店員を搾取するシステム

暴力団

悪が支配することを標榜する正直な団体



そもそもブラックというとき自分が問題にしているのはモラルの面である。この世を見ればどんな職業でもブラックなものが大半になる。
一見まともだと見えるのもブラックである。もちろん全部がブラックとなはらないが表と裏がある。職業には何かしらブラックなものがある。
だから職業とは業でありカルマであり職業につかないことがこの世の悪に染まらないために出家した、世俗とたちきって修行に励んだのがもともと仏教の教えであり実践されたが今では戒名とかでもうけるあくどいブラックになったのが寺とかである。

第一この世で清く正しく生きることなど不可能にある。なぜならこれだけ社会がブラックだとなるとブラックに染まらざるを得ないだろう。いくら自分はそうならないとしてもそのブラック社会では困難を究める、だからこそ出家する世俗から離れることになった。
世俗から離れるといってもまたカトリックでも仏教でもそこもブラックになってくる
それが宗教の歴史でもあった。ブラックになる、悪の力がそれだけこの世では強いということを証明しているのである。
なぜなら今でも一番ブラックなのが宗教団体だからである。宗教を標榜しているからにはブラックでありえないと思っていても全く逆でありそこは真っ黒なのである。
そのことからしてこの世がどういうところか自ずと判明する

だいだいこの世でブラックでないものを探すこと自体むずかしい、そもそも何かしら罪を犯していない人間はいない、それは刑罰を受ける受けないの問題ではない、心の中で悪意をもったときすでに心に罪を犯しているとしたら人間は必ず悪意をもつからそんな人は一人もいないとなる、そんな人がいたら神だとなってしまう。
悪意というとき自然の驚きはそうした悪意をもっていない、花を見ればわかるように全く悪意はないてのである。
心であの人が憎い殺したいとまで思うときすでに殺人に向かっている
借金した人が金がどうしても欲しいとなり自分が病気になったとき脅迫してきたときその人は殺人者になっていたのである。でもそういう人も善人で通っているのがこの世である殺人を犯さない限り自分は善人だと思っているのがこの世なのである。
お前は悪人だということを意識できないのである。だから別に悪いことをしないのに優れた宗教者は自分は最大の悪人だとしていることでもわかる。
それだけ自分の罪を意識できるからかえって優れているとなるのだ。
自分も反省すれば悪人だとなるがそれでもいくらそうしたとしても深刻度がそれほどないのである。
本当に悪人だと意識できることはよほどモラル感のある人でないといない、そういう人は本当にまれである。だからこの世はほとんど善人だと思っているのである。

人間はなんらか生活するためには職業につかねばならない、ではこれだけブラックな職業が多いときブラックにならざるをえない。
ただ変なのは例えばトヨタでも大企業でも派遣などを安く使って使い捨てだけどそうさせる上のものは幹部であれ正社員ですらそういう派遣がいて会社も成り立つとき搾取しているからブラックになる、派遣とか下で働く人は苦しいけどブラックな人とは言えないのである。
建築関係でも毎日暑いのに家を建てるために働いている、その人たちが別にブラックな訳ではない、ブラックになるのは建築関係の会社だったら事業をとるために政治家にワイロを贈るとかしたらブラックになる。それは上の人のすることであり下で働く人はブラックとは言えない
ただ東電では幹部がブラックになったが普通の社員はその責任がさほど問われない、月給も下がるわけではないしボーナスも普通にもらっている、それで東電の社員はずるいという人もいる。

大きな利益があり地位ある人は責任があり収入も多いからブラックになりやすい。
その下で働く人は給料も安いからその労働はきついとしてもブラックにはなっていないのである。
だから「悲しむ人は幸いである」というときそういうふうに下で働く人は悲しむ人が多、でもブラックにはなっていないということなのかともなる
そういう下々の人はかえって心を清く保てるからキリストがそういう人たちは天国に入るとされたのである。

つまり一見この世で得している人たちは天国には入れないとなる、この世でこのブラックな社会でお前たちは十分に利益を得た、それは下々の人々の汗から生れたものでありあなたたちはそれ故に富を築いたから天国に入れないともなる
「卑いものが高くされ高い者が低くされる」となる
現実にブラックでないものを探すこと自体むずかしいからである。
どっちかというと理系的な職人的な仕事はブラックになりにくい、でも下々のものにしてもブラックではないかというそうでもない、農民だって今は補助金をもらったりしているから国の税金にたかるものだとかされる
この世に生きている限りなにかしらブラックになっている
意識せずにそうなっている場合もある。
生活保護者はずるいとかブラックだとかも言われる、そういう人もかなりいるからそう言われる
ただ一般的には権力をもっているもの金をもっているものはブラックの度合いが強いのである。下々のものはただそういう地位につけないからブラックにならないということは言える、人間は権力をもつとそのあくどさが露骨に現れるからである。

この世とはもともと天使が住んでいた、人間は天使でありこの世は天国だった、それがなぜかその天使かサタンになってしまったのである。もともと天使だったものが堕落して墜落してサタンになった。
だからこの世の魅力に負けてサタンになったのが人間なのである。
そうなれば当然この世がブラックになっているのは当然だとなる。
結局人間は金の魅力に勝てないというときもそうである。金のために魂をサタンに売り渡しているのだ。それは人間の欲から生れているからだ。
いくら宗教家を装ってもそれは偽善であり結局私利私欲を宗教を利用して追求しているだけだとなる、弁護士だって正義の味方のようでも私利私欲の追求になってしまう。
そうしなければ弁護士事務所も経営できないとなっているし医療福祉関係でも利益第一になるからブラックになってくる

この世になぜ自然の美が映えないのか?それはこのように職業でもブラックになっている
闇でおおわれている。こういう人間社会に自然の美は映えない、自然の美は天国で罪なき世界で本来の美を発揮する、それは飯館村で感じる草深い何か咲く花とにている
それはこの辺の街では感じないものである。だから何かいつもその不思議さを感じていたのである。ただ原発事故の汚染で変わってしまったしその前でも飯館村が良かったのはその暮らしが隠されていたからである。自然の中に隠されていたから露骨に人間の醜悪なものが隠されているから良かっただけだともなる
パチンコ屋もないし何もないが馬券売り場はあった、別に飯館村に住んでいる人が汚れていないということではない、要するに自然の中に隠されていたから良かったのである。
それも原発事故で大きな金が入ったりと混乱して前の飯館村とは違ってきたのである。
毎日ギャンブルでありギャンブラーになっというのもそうである。
かえって大きな補償金によって人間の醜さが露骨に現れたともなる
そもそも全体が荒地と化しているしフレコンパックとかソーラーパネルとかなるとそこが一体何なのだろうとなる、もう牛は飼えない、農業もできないとなればどうなってしまうのかとなる。

人間の社会が延々とこれだけブラックなものとしてあり変わりがないというとき、それは神の御意にとてもかなうものではない、とすると神はソドム、ゴムラのように怒り滅ぼすということがある、ノアの洪水のようなものも起きてくる、今回の津波などもそうである何か想像を絶する天変地異が起きてくる、そうして悪を一掃するか人間を滅ぼしてしまう恐怖がある。人間社会を変えることは不可能だからである。
社会主義だろうがカルト宗教だろうがそのたづさわる人間の欲は消えない、ゆえに結果的に何も変わらないのである。欲の故に滅びるということはそういうことだろう。







posted by 老鶯 at 17:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題
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