2016年09月03日

野馬追いの旗印の由来 (井形と升形の紋ー原町区の古い農家をたずねて探る)


野馬追いの旗印の由来


(井形と升形の紋ー原町区の古い農家をたずねて探る)


igatamonn1.jpg


igatamonn123344.jpg
手作りの椅子と机
igataaaaaaa111223.JPG




lnomonnnn111.jpg
igatamonn1233.jpg

古い道

batouuu1.jpg

馬を供養した馬頭観音
shimotttttttt1.JPG


 井戸の地上に出ている部分、あるいはその木組みを井筒、あるいは井桁と呼んでいる。井戸は水をたたえた大切な場所であり、汚してはいけないところであった。つまり、生活に欠かせないことから、家紋として用いられるようになったと考えられる。また、「井」という字の単純明快なことも武家の紋にふさわしかったのであろう。

野馬追いの旗の由来は家紋にある,井戸から由来する紋だからわかりやすい。昔は井戸は生活の中心としてあったからだ。井上という姓も多いのもそのためである。
南相馬市の原町区で六号線の入り口の道を行くと蔵の紋を見たらこの井桁である。
それで畑があり女性がいたので聞いてみた。


「ここの蔵を見たんですが古い家ですか」
「ええ、私は嫁いできたのですが古い家です」
「蔵の紋を見たんですがあれは何か野馬追いの旗で見たことあります」
「ええ、前は野馬追いにも出たことあるようです」
「そうですか、やはりここは古い家だった、ここに馬頭観音とあるのが気になっていたのですが何か由来がありますか」
「昔馬を飼っていたのですがそれが火事になって馬が死んだそうでそれを供養するために建てたんです」
「それは道にそってあるものではなかったからこの家で供養したものだった」
「古い道はこっちにあるんです」
「ええ、ここが古い道だったんですか」

そこは下高平村の領域であったみたいだ。原町の歴史は江戸時代は陸前浜街道であり雲雀が原は野馬追いのための馬が放牧していた広い原だった。そこから原町の名にもなっている。雲雀が原は今は小さいが昔はその十倍があり野馬土手があり馬が逃げられないようにしていた。だから原町中心部には古い農家はない、この辺は野馬土手の外の領域だったのか?
原町駅から街が発展して次に六号線から街が発展して六号線側に5年前くらいか道の駅ができたのである。原町村というのがありそこからは野馬追いに一騎出ていた。
原町村は小さな村だったのである。そもそも相馬藩の野馬追いには郷士が出るのであり農民であり侍であった。城勤めの侍は少なかったのである。
今でも野馬追いに出るのは相馬市内でも町内とか原町市内から出ないのである。
ここはもともと今の街内とは違う、広い畑や田んぼがある地域だったのである。
原町というとき自転車でしょっちゅう行っているがこの蔵に気づかなかった。
ここが古い農家らしいとは見ていたがやはり古い農家だった、ただ街が発展してい家が増えたから見逃しやすかったのである。何か近くで歴史でも新しいものでもわからないものが未だにあるのだ、この井形の紋は多いから野馬追いの旗にもある。

蔵の中を見たら中のものはかたづけてなにもない、古い椅子と机があった。それは手作りであり昔のものは同じものがない、大量生産でないからそうなっている。
何か一つ一つに個性があり味わいがあるのが昔の物なのである。
今の物はみんな大量生産だから何か人間味というか味わいがない、職人の技も活かされていないのである。機械で版を押したように同じをものを大量に作り出しているだけなのである。昔のものは一つ一つ職人がていねいに時間をかけて作っていたから味わいがある。そこに豊かさがありかえって今になると見直されるのである。
つまり文化とは大量に同じものを作るところにはない、個性がなければ物でも地域でも文化ではないのである。

ともかく郷土史というとき古い家とか古い村を知ることである。どこが古いか新しいのかわからなくなるときがあるからだ。蔵がある家は古い家なことはわかった。
街内でも農家があるところは古いのである。原町というと広いからなかなかわかりにくいのである。石神の農家では紙漉きしていた家に嫁いだ人もいる。
原町の領域は広いから郷土史と知るとなると地理的にわかりにくくなる。
とにかくすでに二代くらいの家でも必ず歴史があり物語がある
それは自分の家のことについても書いたがある。
ここの家の歴史は物語は馬頭観音があって飼っていた馬が火事で死んだということであるするとそこから馬のことをイメージするのである。ここに飼われていた馬が死んだのだなとなる、昔は必ず農耕馬として馬を飼っていた、この辺では野馬追いのためにも飼っていた。馬とは深くかかわる場所なのである。

masuuuuu1.JPG

masuuugataa1222.jpg

もう一つの紋として井形とにていたのが升形の紋である。この紋も野馬追いの旗印に多いこれは升形は益すということで縁起をかついだ紋であり旗印である
ますます増えるとは升のことだったのである。この紋も野馬追いの旗印に多い
だからといってそこからその由来をたどりどういうふうにもたらされたのかはわからない姓を見てもわからない、姓と紋とか旗印は一致しない場合も多いからだ。
ともかくこの升形の紋もシンプルであり旗印に多い、その一つの原型からいろいろに紋は変化している、それは野馬追いの旗印でもそうである。
ただ同一系統の旗として認識しておく必要がある。

蔵の紋井形にあれやこの家に古道も残り庭の石古る

古道というとき都路に古道という地名があるごとく古い道であり歴史の道なのである。
道も原町辺りだと変わってしまったということである。古い道がありそこが栄えたが
街も変わり忘れられてしまうのである。




posted by 老鶯 at 12:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/176728425
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック