市町村でも全体が喪失したことが深刻だった
(復興には個々人ではなく全体が一致協力しないとできない)
江戸時代と明治以降変わったのは何なのか?様々なものが変わったが資本主義が導入されて私的所有を認めたことである。それで入会権がなくなり山が少人数の所有になりやがて無数の個人に分割された。
もともと山林とか土地は個々に所有しても大地はつながり森もつながっているし海でも広くつながっているから私的に所有しても勝手にしにくいのである。ここからここまで自分のものだからどうしようと勝手だとはならない、回りに迷惑をかけるからである。
農業は自然を相手にするから特にそうなのである。
だから農業人口が80ハーセントとかなっている戦前でも江戸時代でも土地は自分だけのものではなく共有するものということが生活の中で認識されていた。
入会権はそういうことで自然に発生した権利だったのである。
今だから飯館村でももう農業をしないというとき、そこが荒地化している、放射性物質の土を入れたフレコンバッグが延々と積まれている、それで一時それが破れて流れだしたということが問題になった。
そして住民はもうここでは牛も飼えないし農業もできないから土地を売りたいと言う人もいた。除染をしても無駄だからやめて補償金を一億円くれという人もいた。
他で移り新しい生活を始めた方がいいという人もいるからでありこれも一理ある。
でもそこで見逃されているのが飯館村の一区画は私的に所有されているのだからその個人の勝手にしていいのだという論理である。
ではそうした荒地は何の役にもたたないから放射性廃棄物の処理場にしようとかなり国で買い上げるようになるかもしれない、するとその影響が飯館村でもまわりと全体でつながっているからもしなんらかの事故があったり何かでそれが流れだして南相馬市にも影響する、真野ダムには回りから流れだした放射性物質が泥にたまっている
それが下流に流れだしてくるのである。
そういうことは原発を建てる時でもこれだけ広範囲に影響したとなるとなぜ双葉や大熊とかの一部の是非で原発が建てられたのかとなる。少なくても影響が30キロ圏内の合意がないと決められないものだったのである。
それ以上に福島市や二本松市、郡山市までの広範囲な地域の合意も必要だったのが原発だったのである。
海だって汚染されたから広範囲になる。原発が金になるからと一地域だけで決めるものではなかった。
こういうふうに自然は広く全体としてつながっている、人間は国境で自然を分断したけど自然はそもそも分断できないものなである。空でも海でも陸地でも川でも全体とてしてつながっていて分断できない、それで環境問題になると国を越えて協力せざるをえない、そうしなければ解決しないのである。
そして復興というとき何か問題になったのか?様々あるが深刻だったのは全体を失われたことなのである。一部ではない、一個人とか一農家が失われたのでない、町全体とか村全体が失われたそのことが深刻だったのである。一農家でも一個人の家でも欠落しても全体で補うことができる、でも全体が失われたら補うことはできなくなった。
現実の実生活でもそうだが自分のような外部から見るものでも復興というとき全体が復興することが復興だと認識した。
ようやく初秋となり実りそめた田んぼを栃窪村で見たときああ復興したなと感じた
そして古い碑がありたいがいそれらは豊作を祈るものとしてあった。社もそうである。
「今年はこの辺もようやく田んぼが実りで黄金色に輝きはじめたな」
「ああ、なんかうれしいな、元の村にもどったな」
「そうなると俺たちも活きてくるよな」
「村人みんなが豊作のために建ててくれたんだから」
「荒地になっていたら俺たちもただの石くれにすぎなくなっていた」
「そういうことだ、田んぼに実りがあって俺たちも生きていたんだよ」
こんなことを古い碑は言っていたとかなる
飯館村などは全体が荒地化しているから全体が死んでしまっている、確かに補償金でうるおって個々人ではかえって得したと感じている人も避難区域には実際は多いのである。
ただ補償金できるだけ個々人もらうことに懸命になる。
でも不思議なのは全体の市町村を見て復興させようとする人はまれなのである。
日々の生活のなかでも全体を見ている全体のために働いている人はいない、会社に勤めていれば会社に尽くして月給高くしてもらいたいと考える、市町村全体を見て良くしようとする人はまれでありそれよりそうした大きな全体は意識しにくいのである。
家のために尽くそうというのはわかりやすいけど市町村のためとなると意識しにくいからである。そういうふうに全体を意識をすることができないことが人間の盲点なのである。だから国とかなるとますます意識しにくい、戦後は特にそうであり民主主義はただ個々人のあくなき利益の追求になったのである。戦前は過剰に国というものを意識していたから全体を意識したが戦後は反動として個々人のエゴがむきだしになる社会になったのである
全体というとき景観問題でもそうである。景観は全体だから日頃意識しない、でも一部が自分が指摘したが土をとるために近くの森が切られて土がむき出しになったときいつも近くで見るから嫌だなと意識する、山でも一部がはげ山になっているとそこを集中的に意識するのである。景観を乱していることを意識する、景観は全体だからそこで一個人の所有になっている森であり山なのだから勝手にしていいとなっているが全体から見ると個人の勝手にしていいのかとなるのだ。
今回の津波で原発事故でも深刻だったのはこうして全体を失ったことなのである。
津波では村でも町自体が喪失した、何もなくなったのだから驚きである。
津波の被害地で商売はじめようとしたが誰も買うものがいないとなりはじめることができない、飯館村でも商売はじめるにも買ってくれる人やお客さんが来るのかとということでなかなかはじめられないのである。
補償金問題でも自分さえ補償金をもらえばいいとは考える、でも全体を市町村の全体を復興させようとする意識が少ない、だからもう全体が喪失したとき若い人でももう復興はできないと外に流出する、補償金もらって外でやり直した方がいいとなったのである。
個々人を考えればそうなる、でもそうなったら全体が喪失したのだから全体でもって全体を復興させようとする意識がないととても全体の復興はできない
それが個々人で分離してまとまらずできるだけ補償金を個々人でももらうことだけが優先されているのである。それは全体ではなく個々人の利益を求めてきたのが入会権でもわかるようにそういう社会に明治以降なったからだともなる
それで十津川部落では水害で村全体が失われたが村全員が一致して北海道に新天地を求めて復興したのである。それは村人全員が一致して復興に立ち向かったからできたのである
(移住住民は、故郷を去り、親や兄弟と別れ、絶海の地に移住してきて、移住者同士しか頼れるものはいないのだから、これまでにも増して一致団結し、お互いに助け合い、猜疑や軋轢を生むことなく、新村の隆盛と勤王の由緒相続を目指そう。)
(恩賜金及び、旧郷から受け継いだ共有金は、新村の基本財産となし、いかなる場合においてもこれを各自に分割して消費すべきものではない。但し、新村の共有財産の保護策が確立されるまでは、道庁に保護を依頼するものとする。)
恩賜金及び、旧郷から受け継いだ共有金は、新村の基本財産となし、いかなる場合においてもこれを各自に分割して消費すべきものではない。
ここでは財産自体が援助金でも共有であり個々人が勝手にできないものだった。
この辺はこれと全く逆なのである。補償金はやるから個々人は勝手に使い、村でも町でも出ていくのも自由だ、財産は個々人に分割されたから村も町も全体を維持できなくなったのである。時代といえばそれまでだがそのためにこういう時には復興できないということになったのである。ただ放射能問題があるから違うともなりさらに復興をできなものとしたのである。
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