鹿島区の大東建託のアバートには「いわき」ナンバーが多い
浪江や双葉や大熊などの人が移り住んでいる
大東建託のアパートが南相馬市の鹿島区で10棟以上建った、こんなに入る人がいるのだろうか?入っている人たちはどういう人なのだろうか?
それが不思議だったが今日車のナンバーを見たら半分は「いわき」のナンバーだった
いわきということは浪江から双葉から大熊とかは「いわき」ナンバーなのである。
するとなるほど浪江や双葉や大熊とか原発事故の避難区域から移住してきた人たちだということになる
そういう人たちが入っているから見込めるから10棟以上も建ったとなる、すでに十分に入っている。
東京から来た人がアパートを探しているかどこも一杯なんですよと聞いていた。
大東建託のアバートの車は横浜とか千葉とか遠い地域のもある
何かそういう会社関連の人が入っている
ともかく復興住宅を建てているがそれは地元の大工も参加しているが全国からきている
東京の人は小池のホテルに泊まって仕事している。
サッシは群馬県で作っているという、そこには群馬県の車のナンバーがあった。
佐賀県とかからも来ているのでそんな遠くから来ているのが不思議である。
なぜならそこは除染関係ではないからだ。
除染関係では沖縄の人がいたが沖縄からも多いですよと言っていたから別である。
この辺は今全国から仕事で来ている人が多いのである。
鹿島区の三里地域は高級住宅街になっている、その敷地が軽く百坪以上であり広い、農家の感覚である。全部ではないにしろ土地だけで今は相当な値段である。
家も大きいから相当な値段だろうなと見ている、とにかく何百軒という新しい家が建ったその家はみんな違っているから興味深く毎日見ているからどんな人が住んでいるのか気になるのである。
船主が建てた家が多いというとき何軒か同じタイプでありそれは間違いなくそうだろう。そして・・・丸とかいてあるものを軽トラに荷物を積んでいるのを見た
それは間違いなく船主の家の者である。
漁業関係者が津波で流された人が多いし漁業関係者がいて船主も多いから確かにそうだなとみる、磯部から来た人もいるということは他からの船主が集まっている
その人たちは原発前も後も補償金で金の心配はないからである。
それで回りの人たちは不満を言っているのもわかる、それは原発事故前から特別羽振りがいいから原発御殿とか言われてうらやましがっていたのである。
何かそれには反発を感じるのである
この辺ではそうした補償金でもめた。南相馬市では小高が避難区域になったけど鹿島区は補償金が30キロ圏外で少なかった。それで小高の人に反発してうまくいかなかった
なぜか小高の人は原発避難者でも常にボランティアなどがきてかわいそうだと応援されてきたのである。
ところが自分のことを書いてきたけど誰も自分が病気だ介護だというとき応援してくれる人もいなかった。かえって苦しめられたことを書いてきた。
小高の人たちはそんなに苦しいというものでもなかってのである。
自分の方が苦しかったから助けてもらえたい方だった、現実に別に仮設に入っても狭いのは嫌だが何かそれほど困るというものでもないし補償金もらって金がたまって喜んでいた人たちがいたのである。
だから自分は一身上のことで小高の人だけではない鹿島区にいた人にも大金を失う犯罪にあったとか原町区の親戚には借金の要求で病気のとき苦しめられたとか恨みに思うようになったのである。それは自分の一身上の特殊事情にしろかわいそうなのは自分の方だったと今では思っている、しかし誰も同情しないし責められるだけだったのである。
そういうことがあって何か小高の人たちにも回りの人たちにもいい感情をもてなくなったのである。
たいがい苦しめられた人は誰も助けてくれないとかなると今度苦しい状態にある人を見るとざまあみろとなるのが普通である。
市営住宅の狭い所に住んでいた人は狭い所に住んでみればわかるんだよと突き放すように言う。その人は小高の人とつきあってなんか金があるんだよと威張っていて嫌になりつきあわなくなった。ただその人の特殊な立場も影響している
別に小高の人にいろいろいるからである。そういう人と自分は話して別に悪い感情はもたなかった。その人は特別貧乏だから小高の人に不満だったのである。
ただはっきりいって小高の人たちも何か自重するものがあっても良かったと今では思う。原発事故の避難者はそんなに苦しいかとなると津波の被害者とか比べるとまた違っている家族が死んだり家が流されたりするのとは違っている
それより補償金をたんまりもらった人もいる、もう一億円くらいもらった人も中にはいるかもしれない、そうなるとまたもらわない人は不満になるのである。
小高の人たちはもうかわいそうだ、かわいそうだと言われ援助されるのが当然だという意識になった。だから自分が小高の人たちを責めたとき傷口に塩をぬって楽しいかという人もいた、何か少しでも小高の人を批判すると俺たちは被害者なのだ、故郷にも住めなくなったのだということで主張する、被害者の特権意識をもつようになった。
でも現実に自分の一身上でも苦しんでいる人はどこでもいるのである。
そういう人たちは普通はそんなに同情されない放置されるだけだとなる
だからなにかそこにしっくりいかないものを感じたのである。
こういう内部事情は外からわかりにくいのである。
ただ鹿島区は別に人口も減らないし外から移り住む人たちで増えたし新しいスーパーができたり医者も増えたりと悪いことはあまりなかった、だからとやかく言うということないとなるがふりかえるとやはり小高の人たちとは反発してしこりが残った
そういうことで南相馬市民として一体感をもてくなしたというのも現実だったのである。
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