5000キロ自転車で走ってきた老人
(元気な老人に元気ない若者?)
5000キロ駆けぬけて来ぬ夏の暮
5000キロ駆けて我が町夏燕
街道や木槿の咲きて夕暮れぬ
街道の道の細しや木槿かな
六万石城跡あわれ木槿かな
六号線鳴きあう蝉のひびくかな
ミンミンの高くひびきて六号線
五本松夕蝉鳴いて帰るかな
今日六号線であった人には驚いた。自転車で5000キロ走ったという、日数は50日間であり一日百キロ走っているという、普通のマウテンバイクでありテントなどは積んでいない
京都から走ってきた、イワキの方に行けるかと聞いてきた。
今日は原町に泊まる、年は60代だろう、退職した人だろう。
そんなに休みはとれないからだ。前も鹿児島から歩いて青森までゆく人にも驚いた。
その人も退職した人だった、何か退職するとこうして今までできないこに挑戦する人がいる、60代でも元気な人は元気である。そういう人が結構多いのである。
自転車、バイク、車の旅があるが自転車は一番きつい。
バイクなどは若者に多いけど楽だなと自分も自転車旅行したとき見ていた。
若者だったらもっときつい旅したらいいのにと思う
今の世の中高齢化社会というけど元気な老人も多い、特に60代には多い、団塊の世代が入っている、60代は相当にアクティブである。スポーツが好きである。
でもこのレベルになると自分も経験しているからすごいと思う
何か一カ月走ってくらくらしてやめた。この人はホテルに泊まるだけでも相当な日数であり金もかかる。老人は金がかかるというよりもう体力があることの方が大事になる。
自分も百万かかってももう一度ヒマラヤに上りたいとなる
なぜならそれが最後だともなるからしたいことをして死にたいとなるからだ。
この気持ちが若い人にはわからないのである。したいことをしないで死ぬことは最悪である。だからこそ退職してから自由になりこういうことに体力がある人は挑戦する
なんか今はこういう老人を見ると若者より老人が元気だなとつくづく思う。
全国で旅行しているのは退職した老人が多いのである。
そして若者と比べるとこうして自由に旅している老人などが最後に人生を謳歌していて
若者はただ働かせられているだけだとか老人のために税金をとられているだけだとか嘆くこういう老人を見てうらやましく思っているのである。
老人は若者であり若者は年寄りだということさえ見受けられる社会なのである。
若者だったらもっと無謀なことをしてもいいが何かそれもない、犯罪であったがそれも介護施設とか知的障害者にその無謀さは向かった、介護とかで働かせられている若者の不満も大きいし何かそれが老人に向けられてくる
だから若者と老人を比べると今の若者は損だとなる。
ひさしぶりに相馬市に行った。このころ異常暑かったがだんだん気温が下がり自転車で走り安くなるかもしれない,自分も今度買った電動自転車のロードで走ってみたいと思った本当に行くとしたらこれが最後かもしれない、この自転車が軽く走り安いし意外と荷物は乗せられないが長距離向きだと思ったからである。
だからスイスイ遠くまで走ったら気持ちいいだろうなと思った。
お盆にもなりなんか秋めいてきている、でもまだまだ今年は暑さがつづくみたいだ。
街道の道はソバナとか木槿がにあう、五本松は二本枯れていたのが残念
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