2016年08月03日

丸森から古いものを探しに来た人 (自分の家が店屋だったときのガラスケースと母の記憶)


丸森から古いものを探しに来た人


(自分の家が店屋だったときのガラスケースと母の記憶)


glassscase111.jpg

これだった、8000円くらいで売っていた。



今日は丸森から古いものありませんかと家に入って来た者があった。
最初に言ったのが鉄瓶ないかということだった。
鉄瓶はあったがどこにあるかわからないと家捜したのである。
とにかく古いものがほしいということだった。
その人に投げたい古いタンスがあると言ったらそれをひきとるという
自分はその古いタンスを捨てるのに困っていたのである。
その人は家の中を探して見つけたのが自分の家で駄菓子屋のようなものをしていたときのガラスのケースだった
このケースはばら売りするための菓子などを入れていたのである。
戦後すぐは物がなく袋で売っていない、飴なども一つ一つ売っていたのである。
江戸時代に飴屋が飴売りがいたのと同じである。
親は子供に飴玉買ってこいと5円とかもたされて近くの駄菓子屋に行かされた
戦前からまもなく江戸時代でも商売はバラ売りであり、一個一個売っていた。
酒でも樽から一合とか買っていたのである。
金がないからその日暮らしというときそういう生活だった。
貯金をしている人はまれである。第一銀行がない時代すらあった
それは大正時代ではそうだった。銀行が田舎にはなかったのである。
銀行があるのは盛岡の煉瓦の銀行が有名なように都会だけだったのである。


それからその人は刀ないかとが探した、この家は古い家ではないからないと言った
野馬追いに出るような家ならあるだろう、蔵があるような家ならあるだろう。
柱時計がないかとも探していた。それはいつも家の中にあったがなくなっていた。
いろいろ探したがもってゆくようなものはない、なんでも茶碗を見せたら古く見せることができるという、古いものがとにかく価値があるということである。
骨董品屋なのか,丸森にそんな店があるのか?あそこは仙台の人が来たりしているかもしれない。なんか図々しいが古いタンスを投げるのに困っていたから助かったと思い歓迎したのである。
ただ失敗したのはばら売りの菓子などを入れていたケースをもっていかれたことである。それは母が駄菓子屋をしていたとき使っていたものだからである。
母は毎日店でこまめに働いていた。ただ自分は店が嫌だった。
食事しているとき必ずお客さんが来て立って店にでていたから満足にご飯が食べられないほどだった、そのことが一番嫌だったし親となにか遊んだこともない、遠くに遊びに連れていってもらったこともないことが嫌だった。
だから親子とかで楽しんだ記憶がないのである。
母はただ働くだけでありそれしかない、スーパーが近くにできたとき店ははやらなくなった。それでも80くらいまで細々と店をしていた。ほとんどもうけはなくなっていてもしていたのである。そしてそれから売れない売れないと毎日なげていた。
それも嫌だった。母は性格的に細かいし貧乏性でありおおらかさがなかった。
それは自分の性格にもなっている。やせている人は性格的におおらかさにかけるのである

その人か古いものないかというとき古いものにはすでに単なる物ではなく思い出が記憶がつまっている、人間が死ぬと残るのはその人が使っていた物であり人間そのものは何も残らない、だから駄菓子屋をしていたときのあのガラスケースが貴重なもののように見えたそれに他の人はどうであれ自分の家にとって価値あるものだった。
それを見たとき自分の家で店でこまめに働いていた母を思い出したのである。
つまりそういうふうに物は最後は記憶するものとして残っているのだ。
その記憶されたものに価値がある。要するに何度も書いているけど人間が最後に残るのは記憶なのである。記憶は物として具体的に残るから古い物に価値がある。
その物には過去の記憶が重いものとして残されていたのである。
今や自分の家で店やっていたなどわからなくなっている、何か一軒一軒の家にはそうした記憶が残されている

なんか近くの古い医院の家が残っていたけど家そのものが記憶とてし残っている感じにもなる。それは街の記憶でもある。それが取り壊されると記憶も失われるだろう。
家自体が記憶なのである。だから奇妙なのは原発事故で人が住まなくなった家は何か遺跡のように見えたのである。そこで生活したものの記憶が家に残されているのである。
人間は以外とその時その時生きていてもそれがみんな記憶になり思い出になることを意識しないのである。人間は生きているのだけどその生きていることの貴重さを意識できないのである。人と出会ったとしてもその出会いが貴重なことを意識できない
でも最後になると老人になるともう二度と合わないということを意識させられるのであるただ何でもないものでもそこにあるものが貴重に見えてくる、そして人間はつくづく時間を無駄に使ったなとみんな後悔しているのである。

ただ正直物がありすぎるのも困る、断捨離というのがはやりだけど本当に最後は物はなければない方がすっきりして身が軽くなっていい。もう物がいらなくなる。
物が負担になるのである。みんな最後は80過ぎたりしたら何もいらないと言っている。
物がいらなくなる、かえって負担になる。なんか家すらあるのが重荷になる。
大きい家になると掃除であれかたずけるにしても負担なのである。
土地すらもっていることも負担になるだろう、死ぬ時は何もいらないとなる
家であれ土地でも金でも死ぬときはもっていけないからである。
それで天に宝を積めというときそうしたこの世の土地とか家とか金でもないとなる
この世の宝は死ぬときになるといらないとなるからだ。
ただはっきりいってこれを理解することは若いときでもさらに年とっても最高にむずかしいだろう。年取っても欲望は消えないからである。

あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に、宝をたくわえてはならない。むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい。あなたの宝のある所には、心もあるからである。
−マタイによる福音書 6:19-21

みんな物を蓄え金を蓄え富を蓄えようとしている。それはそれで否定はできない、でも最後には凡人でも悟る、なんにもいらないとほとんどの人が言うからである。
ただそれを若いときから悟るのは至難だとなる
年取っても金をいらないという人はいないのである。
要するに最後に残るのは記憶でありそれは物ではないから金でもないから奪われないとなる、最後に残ったものは記憶でありそれをたずさえて天国にも地獄にも行く
その土地でも家でも物でも何ももってはいけないからである。

そのガラスのケースは遠い日の記憶
菓子をばら売りして入れていたケース
母はこまめに働き売っていた
しかし今そのことを記憶している人があるだろうか
世は常に変わりそんな店のことは忘れられる
一軒一軒の家には何かしらそうした記憶があり
その記憶が街の歴史でもある
昔の日は二度ともどってこない
そのガラスのケースはただ今重く昔を語る
新聞紙をのりづけして袋を作り
ここで母が菓子をばら売りしていたことを

その頃袋がなくて新聞紙で袋を毎日作っていたのである。今思い出すと不思議に思う。それは相当な手間である。袋詰めすることは手間である。今ならみんな袋詰めされているからである。だから暇なく働いていたとなる。
ただ自分はそういう生活は嫌だった。自分はもともと商売にも向いていなかった。
母も実際は向いていなかったのである。ただここで店をしていたことがあったということ自体やがて忘れられる、それは一つの歴史が忘れられることかもしれない
そういう一軒一軒に歴史があるからだ。それで浪江の赤生木(あこうぎ)ではその一軒一軒の家の歴史を記録しようとしていることがいたということもわかる。
なぜなら村自体が消えてしまうからである。そしたらそういう歴史と記憶も消えてしまうそれは津波で村自体が消失したということでもそうなった。
村自体が消えて記憶も歴史も喪失してしまったのである。



神田のうたR「本郷弓町駄菓子屋懐古」(3)宝袋

さて、親からもらう小遣は五円か十円で、夏休みは五十円。二宮尊徳の一円札や国会議事堂の十円札、それに板垣退助の五十銭札が流通していた時代である。まだアルミの一円玉はなく、十円硬貨が出始めた頃だ

五円十円で買うものだった。二宮尊徳の一円札などあったの?こういうふうに過去の記憶を詳細に覚えて書いている人がいる。インターネットではそういう点で便利である。
戦前になると五銭屋とかあったから五銭が基準だったのだろう。


タグ:駄菓子屋
posted by 老鶯 at 17:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)
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