2016年07月12日

選挙は民意を反映ししていない (50パーセントでは民意はわからない)


選挙は民意を反映ししていない


(50パーセントでは民意はわからない)


票を入れるとき個人名を書くのと政党名を書くのはかなり違う。
個人名を書くとき個人に対する思い入れが強くなる
人を選んでいるのでありその人にたくすということがある。
だからその人のことを良くしらないとできない
でも政党名だとか誰でもいいのかとなる、個人は人物は関係ないのかとなる

選挙は投票所にそれぞれが行くがそれが結構手間であり行かない人も多い
投票する側にすると一票は何か重く感じる
でも投票される側にすると百万分の一の重みしかないのもぞのギャップが大きすぎるのである。
投票する側は一票でも自分の思い入れが託すことがあっても立候補した人にとっては百万分の一にしかすぎないのである。

だからそもそも民主主義は成り立たない、限界に来ている。
ギリシャから発した民主主義、デモクラシーというけどその都市というのが一万くらいの規模であり直接投票だったのである。
だから一票の重みは今とはまるで違っていたのである。

民主主義とか選挙でも最善のものではない、これは時代的にもあわなくなっているのかもしれない、現実はみんな組織票で決まっているのだろう。
宗教団体の票であったり農協の票であったり労働組合とかそうした組織票が体制を決める第一50パーセントしか投票率がないということは民主主義がもう機能していないともなる民意は反映していないとなる

民意といっても何が民意なのかもわからないだろう。
創価とかの宗教団体が民意なのか?民意といっても何が民意なのかわからない
50パーセンが投票しないということはすでに民意は反映されていないで組織票によって体制は投票する前から決まってるとなる。
民主主義は民意を反映するのに機能しなくなっている、それが50パーセントしか投票しないということがそれを示しているのである。
だから棄権した方がいいという意見は何かもっと投票したいという制度でも工夫でも必要だとなる
要するに現代では様々な人の要求を満たすことはできない、それに政治家も答えることができない、政治家自体もただ自分の欲をみたせばいいとなる

第一百万の票をもらったからといってその百万人もの人を満足させることなどできない
だから政治家は選挙のときお願いしますと頭を下げてあとは知らないともなる
いくら投票する側が一票の重みを感じても投票される側は百万分の一なのだから感じないのである。
市町村の選挙だと少ないから直接選挙にもなる、400票くらいになると誰が市町村で自分に投票しているかもわかるだろう。その顔さえ浮かんでくるだろう。
そういう選挙と県知事選挙とか国政選挙は規模が大きすぎるから民主主義が成り立たない、機能しなくなっているのだ。自分が投票した人についても今回ほとんどわからなかったいつも政治に注目しているわけではないし何をしている人なのかもわからないからであるそのために創価のような宗教団体が幅をきかしている、その組織票に自民が頼っているというのももう民意は反映していない

創価が民意なのか?または労働組合が民意なのか、国民の中の何か大きな組織団体が民意なのか?その中に入らないものは民意として反映しない
数がこれだけ多くなればともかく個人が一票に書いたとしてもそんなものは百万分の一なのである。
とにかく数が集まらない限り民意としては反映されない
だから創価などのまとまった票に頼ることになる、それが民意だとなってしまうのである創価などは選挙の何年も前から選挙の準備をしている、創価は日々の選挙のための活動なのである。たから選挙には強いのである。選挙に勝つことが仏法の勝利なのだから信仰なのだから当然だとなる。

民主主義は数なのだからともかく票を集めない限りなんら国政には影響しないのである。だから投票する側でも無力を感じて棄権するようになる、要するに一票など入れても入れなくても同じだという感覚になる
大衆民主主義はともかく数を集めない限り何の力も発揮することができないのである。
民主主義で選挙でもナチスが生まれたというのもわかる
なぜなら数が力であり権力になるからである。それがどんな凶悪なものでも数を集めれば政権がとれるのである。
民主主義はそうして容易に独裁政権すら生み席巻されて甚大な被害をもたらしたのである
なんでも投票で決めていたら数で決めていたら数が正義となってしまう、赤信号みんなで渡れば怖くないとなりナチスのようなファシズムとなり大衆が暴走することになる
みんな数に恐れをなす、創価が750万か凄いな、怖いなとなる。
その数の前に恐れ逆らえないなとなる、それが独裁に向かい戦争にも向かう
安倍首相はすでにそれを実行しようとしている
現代の民主主義はかえって独裁になりやすいのである。愚民化してパンとサーカスになりやすい、テレビはサーカスを提供している、あとはパンだ、経済のことだとなる

すでに自民党一党独裁化していてもう政権交代はない、何でもやり放題となる
健全な野党もなくなりもうやり放題になる。
そして後で戦争のように泣きを見るのは国民なのである。
民主主義はもう機能しない、選挙をしても50パーセントが投票しないのだから機能していなのである。
本当はせめて60ハーセントととか投票率が越えないなら選挙は無効とかの法律があればいい、50パーセントは民意ではない、創価とか他の組織団体の主張が通るのであり民意ではないのである。一票入れれば成仏するまでとなっていれば投票する動機になる。
そんなことありうるのか?それがカルト宗教団体なのである。
幸福実現党も創価とにたようなことを言っている。
政教分離には反対しているのである。
一党独裁に向かっているとき戦前の体制に近づき戦争へ進む準備ができたとなる


様々な職業に組織に団体に地域に分化した現代で民意とは何なのか?
民意というとき国民全体なのだけどその国民というのはあまりにも多様なのである。
ただ数が多いから民意だとなるが50パーセントしか反映していなとしたら数で民意を計ることはできない、創価などが必ず投票するからそっちの方が組織団体の票が民意になる。投票する権利はあるのに投票しないやつが悪いんだともなる
あなたたちが民意を反映させたいなら投票しろ、しないから結果を受け入れろともなる
投票できる権利があるのにしない、それが自由な民主主義なのだともなる
タグ:選挙
posted by 老鶯 at 09:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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