2016年07月09日

末続村の新妻氏からのコメントがありました (興味深いのでここにものせておきます)


末続村の新妻氏からのコメントがありました


(興味深いのでここにものせておきます)


すみません、パソコンの整理に忙しくコメントを見逃していました
メールで知らせが来ると思っていたのでプログのコメントを見なかった


貴重な郷土史の発言ありがとうございます


末続の新妻氏のコメント

suixuguuu2.jpg

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原発の影響も隣町の広野までは避難区域でしたが、末続は原発の場所から25キロ地点でありながらもかろうじて避難区域からは外れました。

末続駅を境に山側は津波の影響は何もなく、海側は壊滅状態です。

母実家の新妻家は山側の一番奥に家屋敷を構えておりますが、原発の影響で若い世代は近隣の町に出て行ってしまい、久しぶりに墓参りなどで帰郷しても、子供達の姿なく何とも寂しい限りです。

将来的には消滅してしまうのかもしれないとの思いもあながち外れてはいない厳しい現実も感じます。

処で母実家の新妻家ですが、先のコメントに書いた先祖からの言い伝えですが、

1 仏壇にキキョウの花は捧げない。墓にも。
2 里芋は栽培しない。

というのがあり、理由は

昔、新妻家の先祖である殿様が、間者であるキキョウという名の腰元の手引きにより敵に矢を放たれ、倒れて亡くなった場所が里芋畑だったと。縁側から崩れ落ちたらしいとの。

代々言い伝えられて来た事により現在でもそれを継承しています。
他の新妻家ではそんな事は無いらしく、里芋は近隣の家の方がお裾分けしてくれるそうです。(食するのはいいみたいです。)

当主である叔父も祖父も代々ご先祖様から言い伝えられて守って来た事を自分の代で無くしたくない、と言っていました。
現在は原発の風評により作物は作らなくなってしまいましたが。


他にも色々聞いた話はあるのですが、末続という地名もこちらの記事記載にあるようにこんな由緒あるとは思っていませんでした。

あ、思い出した事が。末続は天領だったとも母から聞いてます。

色々と思い出しつらつら書き出してしまいました。

有り難うございました。

・・・・・・・・・・・・・・・・

コメントの自分の答え

末続とは天領だったのですか?とすると末続という地名は他から来た姓で末続というのは代官の話があるからそこから来たのか?
興味深い話です、なぜ末続なのかわからなかった

末続の由来をたどると末継であり島根県に神社があるからもともとは渡来人系である。
つまり須恵器というのがあり末は陶(すえ)陶器のことでしょう
陶器を作る人の末裔とか陶を継ぐから出た名前でしょう

末次と起源をともにする。はっきりとした出自は不明。近年、長崎県に多く、特に南高来郡口之津町に多数みられる。

現島根県である出雲国島根郡末次村が起源(ルーツ)である、宇多天皇の皇子敦実親王を祖とする源氏(宇多源氏)。現広島県西部である安芸国末次庄が起源(ルーツ)である、大江氏(土師の族で相撲の元祖の野見宿禰の子孫。平城天皇の子孫ともいわれる)などにもみられる。

長崎県に多いということはやはり島根県が基で移った人たちでしょう
末続、末継、末次などがあり末次が一番多くて一万人くらいいる
末続はやはり姓が地名化したものでしょう
でも新妻氏が末続の姓になったのは末続という姓は相当に古くそのあとに千葉氏系統の新妻氏が入って来たとなるのでしょうか


(昔、新妻家の先祖である殿様が、間者であるキキョウという名の腰元の手引きにより敵に矢を放たれ、倒れて亡くなった場所が里芋畑だったと。縁側から崩れ落ちたらしいとの)

そんな言い伝えが残っていたんですか?
まるで時代劇ですね、これは作り話ではないんですね
忍者とかでも女性が出てくるでしょう

落ち武者の伝説ではこういう禁止されている話がタブーが伝わっている、身を隠しているからそういうことがあった、・・・をしてはいけないということがあった。
それは山深く隠れていて交流があまりないからそうした伝説が伝えられ守られてきた
いろいろ外部と交わるとそういう一族意識もなくなってしまうでしょう

南相馬市の鹿島区では栃窪村は山の方の村ですが大谷一族というのがあり大谷(おおがい)という姓が多いです、そういうことが各地の村にあります
新妻一族というのがす末続村に墓地をみたら80パーセントくらいあったのには驚きました栃窪村にしても一割くらいか大谷(おおがい)ですから

末続村は何かそういう地形にあった。何か山と海の狭隘な地域でありだから余り外からの人の出入りが少なく新妻一族が代々継がれてきた。
栃木県の湯西川でも山の奥で落人伝説で有名である。

原発から25キロですか、微妙な地点ですね
鹿島区は30キロ地点です
30キロ内だと原発補償金がもらえる地点です
なかなか地理的にわかりにくいのですがやはり相馬藩の境だったようです
相馬藩の参勤交代で江戸に行くとき末続村の人が出迎えたということはどこかで書いてあったようです
つまり岩城藩から相馬藩に移った人も武士もいたからです


何か北海道の方が自分の先祖がいたということを書いてきたことてなどあった。
新妻という姓は結構多いですからルーツをたどる人がいるのでしょう。
末続で津波で七人死んだ、駅の前の所だった。
あとは山が多いから助かった、ただ末続でも一部しか見ていないからわからない所があった。末続が何か地形的に変わっているから印象に残っていた。
歴史的にも地形的にも印象に残る場所だった。

メールでコメントが来るのかと見ていたのですが来なかった

それでプログのコメント欄を見てなかったので遅れてしまいました。
また何か言い伝えなどあったら書いてみてください

末続村と新妻氏については全国的に興味をもっている人がいるみたいです
末続の姓の人は興味をもっています 

興味深い話ありがとうございました、また何かありましたら書いて下さい




今いろいろ書いたもの整理中です、メールの方でスバムがあったのでそれで追われていたのも見逃していた要因だった
量が多くて自分で書いたものがわからなくなり整理中です






タグ:末続村
posted by 老鶯 at 15:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)
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