なぜバングラデシュやイスラム圏にテロが起きるのか?
(明治維新のように近代化できなかったため)
なぜイスラムの国々がヨーロッパからみると遅れてしまったのか?
このテーマが文明史的テーマだから簡単な解答はないだろう。
原因として
●気候
●宗教
●遊牧民と農耕民
●海と陸の対立
中世まではイスラム圏が文明的に進んでいた。学問でも化学でも数学でもイスラム圏が優れていた。代数がイスラム圏から入ってきたのは宗教が影響していた。
なぜなら偶像崇拝を徹底して幾何学紋様とかしか芸術として許されなかったからである。数学は高度な抽象化だからイスラムではあっていたのである。
そうしたイスラム文化が入ってきて総合的なものとしてイタリアでルネサンスが起きたのである。
十字軍はヨーロッパが遅れていたために起こった。富める国への略奪だったのである。
宗教の名を借りて略奪のための戦争だったのである。十字軍でイスラム圏からの富と文化がもたらされた。
日本でも秀吉が韓国を攻めて陶工などを戦利品として日本に移住させたように戦争では文化も流入してくる。アレキサンダーがギリシャの文化を戦争でもたらした。
仏像はまさにギリシャの文化、彫刻をインドにもたらしたのである。
歴史的にふりかえればイスラムが遅れていたとはならないのだから気候とか宗教とか遊牧民とか農耕民とかの差が影響していたとも思われない
いかに砂漠でも人間社会には不利な条件でも文明が起きる
それはエジプトでもマヤとかインカでも自然条件が恵まれているとは言えなくても起きている。だからこの三つが原因ともならないかもしれない。
中世はヨーロッパは暗黒時代であり閉ざされた時代だった。その時はイスラム文化の方が栄えていたとなる。シロクロードとか一時はイスラム圏が経済的に文化的に興隆していたのである。
その中世の閉鎖された時代を宗教革命とか技術革命とか産業革命とか国民国家とか近代化するのがヨーロッパだった。
大航海時代がありヨーロッパはアジアへ北米南米大陸へ進出したのである。
一方その大航海時代にイスラム圏は中世のままであり停滞して取り残された。
それがなぜなのか?そこにもむずかしい問題がある。
政教分離がないというのも大きな原因だった。ヨーロッパはカトリックの宗教的政治的支配から脱出して国家形成をした。
ただそもそもがヨーロッパ文明がキリスト教文明でありキリスト教とイスラム教の相違が後の歴史の流れを変えたという見方もある。
カトリックとプロテスタントが分かれたときプロテスタントが産業革命の基になった。
資本主義が修道院から生まれたというときプロテスタントにはそういう信仰、思想があってできた。勤勉の思想であり神に仕える信仰である。
それがドイツとイギリスに起きたというときそこが寒い地帯ということも影響していた。なぜなら熱帯地域だと勤勉の思想は起こらない、暑いととにかく働く気になれない
それでカトリック地帯は比較的地中海気候であたたかいから勤勉ではない、今でもシスタとか昼間は寝ているのは暑いから働けないのである。
それは砂漠のイスラム圏でもにている、一日中日影で水パイプを吸っているのもそのためである。人間にとって気候の影響は大きいのである。
ただ暑いからといって文明が興らないとはならない、エジプトでもマヤでも暑い所であり文明が起こっているからである。
だから必ずしも気候だけが文明が起きたり衰退したりする条件とも思えないのである。
ともかくエジプトでもイギリスのポンドが紙幣になっていたりイスラム圏もイギリスが支配してアジアも植民地としたのである。
だから太平洋戦争は日本とイギリスの戦争でありシンガボールを日本軍が最初に陥落したことは世界史的に大きな事件だったのである。
自分の姉が従軍看護婦としてイギリスの赤十字社の病院にいたからである。
それはシンガポールではなくマレーシアのジョホールバルだった。
イギリスが世界を制覇したという時代があり英語が世界の共通語のようになったのである世界史からみればではなぜイスラム圏は近代化できないのか?
近代化というとき政治でも経済でも技術でも総合的なものとしての近代化がある
イスラム圏はそれを成し得なかった。
そして工業化できなかった、台湾とか中国とか朝鮮では工業化している、台湾とかも暑い国だしなぜそんな小さな国でできたのにイスラム圏ではできないのかとなる
台湾ではパソコンとかの部品関係だけどそれにしてもそういう工業化の能力があったとなる
今回のバングラデッシュのテロ事件でもイスラム国の信じられない野蛮性がなぜ生まれているのか?
これもイスラム圏が近代化できない、中世の延長でしかなく停滞したままだでありそれがただ暴力となってその捌け口を見いだしている。
日本だと明治維新で若い人はヨーロッパに習い近代化した。ヨーロッパとかアメリカは当時は遠いのである。飛行機もない時代だからである。
エジプトであれシリアであれ中東はヨーロッパと接近している。
シリアの難民が陸伝いでドイツまで逃れるように接近しているのである。
だから西欧文明を学ぶとしたら地理的に有利だったのに近代化していないのである。
そしてヨーロッパの文明お基はイスラムの文化であり自分たちは教えたものだとと言ってなぐさめているのである。
そういう歴史的に見るときイスラム圏が遅れてしまった、近代化できなかったのはなぜかとなる。近代化がこうしたヨーロッパの歴史から起きたとするとき別にイスラム教を基にした西欧文明に対抗する新しい文明は起こりうる、それは尊皇攘夷とかともにているのだ攘夷とは外国人とかの文化でも排斥することから起きていたからでてある。
ただ日本の近代化もヨーロッパとは違っていた。
天皇が一番上に置いた立憲君主制でありヨーロッパの近代化とは違っていたのである。
日本でもイスラム圏と共通した問題がありそれが太平洋戦争までつづいていたのである。つまりイスラム圏ではまだ江戸時代から明治維新の時代にありそれで外国人や欧米文化を排斥するのものがあり、裕福な学生でも知識人でもテロが起きたともなる。
日本でも明治維新のとき攘夷が起きたようにそういうことが若者の間で起きた。
それは日本でも侍のエリートに起きたのだから彼らもテロでもそうした思想に基づいているということもありうる。
ともかくなぜイスラム圏は子供が多く貧民も多い人口過多なのだろうか?
なぜか繁殖力だけは強くその繁殖力でヨーロッパに移民を送りやがてイスラム圏の文明を作り支配するということまで言っていることでもわかる。
そんなことで人口圧力だけでヨーロッパ文明を支配したとしてもそれは歴史の逆戻りでありやはり停滞したものとなる。
もし欧米文明に挑戦を受けて新しいイスラム文明を作るのなら別である。
それは日本では明治維新でそうしたことをある程度は成しているからである。
それが成し得ないからこそただ暴力となりテロとなり不満の捌け口となっているだけにしか見えないのである。
暴力だけでは武力だけでは文明を興すこともまた世界に通じるということはないのであるモンゴル帝国のようにそこには文明も文化もないからただ何も跡には残らなかったとなるただ領土を拡大化しただけでだったとなる。
確かに欧米文明とイスラム文明の衝突が起きているがそれが何かマヤやインカ文明との衝突のようにも見える、進んだ国と遅れた取り残された国とのトインビーの言うように文明の衝突である、
その証拠にイスラム圏からは宗教と石油だけであり何も産み出していない、イスラム圏から学ぶものが何もないということがそれを証明しているのではないか?
日本でもアジアでも学んできたのはヨーロッパであり欧米文化だったとことでもわかる。中世時代にはあったとしても今はなにもない、ただ人口が多くそこから移民が大量に流れてくる、それも単純労働者が多いのである。
そういうふうに文明的に遅れていることがテロとなり暴力として捌け口となっている。
だからエリートである学生がまた今回の残虐なテロを起こしたともなる
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