人間は私利私欲から離れられない
(舛添知事も政治家も美辞麗句を並べるだけだった)
舛添知事はその生い立ちからして素質からして別にぼっちゃんでもないし力量がありのしあがってきたとなる、前の鳩山首相とは違ってる。
あの人なら東大でも出れるだろうとなる。専属の家庭教師でも何でも金でできるものはできるからである。
舛添知事は貧乏だったというときその当時はみんなそうだけど奨学金もらって東大を出た体力もあってその体力があることがまた女性遍歴になった。
自分などは体力もないし精神的にもだめだとなるとそういう人のことは理解できない
ただ天才がいてそういう人は別に努力しなくてもいろいろなことができる
そもそもなぜ次の総理候補とまで言われた人がここまで責められて墜落したのか?
女性問題がありそのことは知られていた。公私混同というけど私生活が公的なものに必ず反映する、私生活がふしだらなものは公でもふしだらになる
そもそもその区別はできない、東京都知事のような役職には品格が求められるとか責められた。
政治家に品格を求める?そんなことが国会議員でも問われるのか?
政治家に求めるものが庶民では何なのか?まさか宗教者ならそうなるが政治家にそんなことが求められるのか、庶民がそんなことを求めて要求して一票を投じるのか?
政治家に求められているのは利権である。道路を作ってくれとか新幹線を作って駅を作ってくれとか保育所を増やしてくれとか時給をあげてくれとか直接日々の生活にかかわることであり何か抽象的な品格など求めるだろか
政治家はたいがい利権にかかわり汚いといの通説である。
人間はどうしても欲があるから私生活でも公的なものでも欲がでてくる。
その欲に負けて問題を起こす、今回もそうだった。
それが舛添知事が「せこい」ということで責められているのはそんな人格と品格がないものは東京都知事にふさわしくないというのも解せないのである。
だからこそただマスコミで有名だからといって都民は投票したのである。
青島とかの前の知事もそうである。あの人にどんな品格があるのか、漫才師かコメデアンだろう。要するに庶民にとって東京都の知事でも政治家でも人格とか品格を求めているのか?そういう人格と品格とは普通の社会では表にでてこない
庶民は俗的なものでありその俗世ににあった人間は理解する、あいつも俺と変わりないなということで理解する、だからこそ芸能人がテレビを占有しているのである。
政治家もマスコミもそういう低俗なものにあわせる、視聴率をとるためにはそうなるからテレビでも低俗になり政治家も低俗になる。政治家もそうした低俗なものから選ばれるのだから人格と品格は関係ないのである。
ただ舛添知事の場合は女性関係で乱れていたことはわかっていたのである。
それがなぜ知事になるときに暴かれて責められなかったのが謎である。
例えば公明党とか創価は宗教団体だか婦人部はモラルに厳しいから反対したというがそれも定かではない、まずカルト宗教団体にモラルを求めることは無理である。
なぜあれほどの会員がいるのかとなると低俗な庶民の要求に合わせているから政治と同じなのである。エホバとかもみんなそうである。なぜ誰でも人を見ず会員にすることを目的にしているのか?それはこの世で数で権力をもつためだとなる
数は力であり民主主義では権力である。創価などはそれをあからさまにして実行している10分の一が活動していてもあとは幽霊会員であり選挙の一票としてカウントされだけの人でありその幽霊会員に一票入れさせるのか幹部の日々の活動だからである。
舛添知事は何をまちがったのか?なぜこれほど責められたのか?政治資金ならもっとおおがかりにごまかしても責められていない議員が多いからである。
人格が品格が東京都知事にはそぐわないというのもだからわからないのである。
結局何か金銭的にも精神的にも余裕がない人は上に立つべきではない、重要な仕事はまかせられないということはある。
舛添知事は女性関係の乱れで離婚して子供に養育費を一億になるくらい払いつづけねばならないとか一カ月40万以上払わなければならないとかなると金銭的に余裕がなく追い詰められる、するとなんとか節約したり公金に手を出すということでてくる。
ただそのやり方がせこかったというだけである。
まず借金しているとか金に追い詰められている人は怖い、事業に失敗して借金した人が自分の所にきてひどいめにあったことを書いてきた。
相手が病気だろうが何だろうが頭の中は借金を返すことしかないから怖いのである。
そこから殺人までになるのも普通にある。犯罪の動機が借金が多いのである。
だから借金があるかどうかを調べるのである。
借金をしている人と共同の事業したりするのも危険がある。そういう人が上に立ったらまして東京都知事のような大きな権力をもったらどうなるのか?
それが舛添知事の女性関係にあったのでありその金を支払うためにあれだけせこいをことをして公金を使っていたともなる
人間は権力をもつと変わる、大金が入ったりすると人格まで変わる、なんか自分が偉くなったと錯覚するのである。やはり金である程度は買えるものが多いからである。
金で従わすことができるものがふ多いし今の時代は金で動かせるからである。現実に社会は金で動いている、金でマスコミも買われているから真実は報道されないのである。
舛添はやはり金銭欲、名誉欲とか何かそういうことが人一倍強い人間だった。
またそれをかなえるだけの力量ももっていたのである。
もともと戦前などは政治家は金持ちの篤志家がしていたのでありそれもいい面はあった。そういう人は金をもっているから公金をだましとるなどしないからである。
今は市町村の議員でも金目あてになっているからかえって腐敗したとなる
金とか権力にまつわわるとどうしても人間は欲があるから腐敗しやすい
弁護士なども大きな遺産とか利権にかかわるからかえってその欲にまどわれされるようになる。それでモラルも失うことも多くなる
人間はつくづく欲から離れられないのである。利権から離れられない、そこに諸悪の原因がある。
舛添は自分の私欲のために東京都知事を利用した、自分が偉くなりアメリカで大金を使い凱旋パレードをしていた。自分が王様になったような気分になっていたのである。
権力はあくまでも何かを政策などを実行させるために都民や国民から委託されたものである。ただ自分が偉くなり都民が自分のためにあるように錯覚した。
自分の私利私欲が優先してしまったのである。それもやはり金銭的にでも余裕がないと人間はそうなる
そしてそもそも東京都知事となると全国からの寄せ集めであり東京に愛着をもつ人は少ない、すると余計に東京都民といってもその人たちと直接かかわるということもない
自分の名声とか金のためにとか利用すればいいとなりやすい、東京都民を愛せと言っても一千万人のよそ者でありできない、それより趣味の絵画でも何でも自分の私利私欲が優先する。政治家自体が一票とるために選挙では平身低頭するがあとは威張っているだけだとなる。
良く国民のために、都民のために、市民のために・・・選挙のとき絶叫していも選挙の時だけでありみんなもそれを知っている、私利私欲が優先するのが人間であり政治家は美辞麗句を言うだけだとなる、舛添は本に書いているが美辞麗句だであり政治家は私利私欲になっていはいけないと言っているし政治資金について厳しいことを言っていたが自分も同じだった。ただそれがせこいということで批判された、それもあんなに自分で政治資金を私利私欲に使ってはならない、厳しく責められるべきだと言っていたからである。
美辞麗句や理想を語る人間ほど悪人な可能性が高い理由とは
これも一理ある、カルト宗教団体になぜだまされるのか?美辞麗句をならべたてる
その実はブラックそのものであり権力を我が物にしたいだけだとなる
つまりこの世の中建て前と本音があり本音は隠され美辞麗句が並べ立てられているだけだとなる、それはあらゆる人に職業でもそうだろう。
何か買ってもらうたに誇大に宣伝したりいろいろといいことばかりを言うが実際の所は効果がわからないのが多いのである。人間はだからみんなジキルとハイドになっているのである。
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