2016年06月08日

夏つばめ(日々行く道)


夏つばめ(日々行く道)

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川の中が放置していたら木が育ち森になってゆく
津波の跡や原発事故で荒地化したところも放置していると
森になってゆくのである、日本では草原はないのである。
だから森というのは自然そのものであり街の中に森ができたら
気持いいのである。
でも今は街の中に森がある所はまれである。
わずかに鎮守の杜(もり)というように神社のあるところが名残りとしてある。
ここの川岸も半分の木は切られている

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軽快にロードに走る夏燕

一、二、三、次々に飛ぶ夏つばめ

夏菊の朝一面に広がりぬ

老鶯の鳴く声聞きつ畑仕事


この道の木蔭の長く叢に鶯鳴くや我が日々通る


夏燕が盛んに飛んでいる、土手の道は木蔭が長くつづくから涼しいし気持がいい
木蔭というとき車だとそうした自然を感じないのである。
風も感じないから自然を詩にするときできないとなる
電車だってそうである。でも車はもう欠かせないのである。
自分は別に仕事もしていないから自転車で生活できているだけである。

ここ十年は遠くに行っていない、なんか近間を行ったり来たりしているだけである。
それでもなぜこれほど買い物があるのか?何かしら買うものが毎日ある。
だからスーパーとドラッグストアとホームセンターに毎日のように寄っている
そうして回っている内に家事をしていると時間がすぎてゆく

介護は終わったけどやはり忙しい,ただ自分の創作に作品の整理とかに時間をとれるようになった。
家の整理もあるが自分の今までインターネットに書いたものの整理がある。
それもかなりの手間なのである。
自分にはだから仕事が一人でこなせないほどある。

何か頭が回転する、頭脳が明晰になり何かわからないものがわかるようになる。
それも不思議な現象である。
本でもぱらぱらとめくっただけで何を言おうとしているのかわかる。
そしてこれが自分の文に引用できるなと今までの一方的に読まさせられているのとは違う読み方になっている
本は明らかに自分の文脈で読むとき活きてくるのである。
本でも知識は膨大でありそれに追われていたら何もできない
読んでいない本が山のように積まれている、こんな本があったのかと読み直している。
そしてほとんどの本は利用していない、ただ読んでも覚えてもいなかった。
そして積まれているだけだったのである。
ただ本を集める蒐集家になっていたのである。

人間はいろんな場所に住んでいる、他から見るとそこがどういう場所かわかりにくい、相馬藩内ならイメージできるが実地に踏んでいない場所はイメージしにくい。
写真を見ても良くわからない、自分の住んでいる所は川があり平地であり一万の小さな町である。
だから自然は豊だとなる、ただ木蔭の道が街内にはかえって今はあるが海の方に行くと木蔭がない、津波で木蔭がなくなったのである。
これが意外と困ったことなのである。暑い時強い陽ざしをうけるからである。
木蔭はやはり自然の樹とか山の陰とかなると涼しいのである。
建物の陰では暑く感じるのである。ともかく今年は春からすぐに夏になってしまったのである。




夏の日の道

川は街中をゆるやかに流れ
つばめが盛んに飛び交う
橙の夏菊が一面に土手に広がる
叢深く老鶯の鳴き
畑に老夫婦が働く
我が知る人も働く
老いて畑の実りを楽しみとす
家々の庭々は良く手入れされている
我が庭にも新しい薔薇の花が咲く
軽快に最新のロードで走る人
ここに木蔭の長い道がある
この道を日々買い物に行く
この町に生きることは幸いなのか?
たりないものが多くある
でも満たされるものがある
でもここが終の棲家なのか?
十年間遠くに行かず
この町を走り回っている





タグ:夏つばめ
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