2016年05月05日

認知症になる人とならない人の相違 (社会的であれ家族であれ働いている人はならない)


認知症になる人とならない人の相違


(社会的であれ家族であれ働いている人はならない)


武田邦彦氏の今日の解説は前もしていたが納得する、赤ワインがいいのではなく認知症
にならない人活発に活動しいるからならないという。赤ワインが原因ではないと言っている、ボリフェノールがいいとなると自分も飲んでいる。
でもなぜ認知症にな人とならない人の相違は何なのかということでてある。
それは先天的なものもありいちがいには言えない

そして人間の寿命がどうして決まるのか?これは必ずしも健康によって決まらないという
人間は家族であれ社会であれ無用化するとき早く死んでしまうという。
女性の場合は家族が大事であり家族で料理であれ孫の世話であれ家族の中で役割があれば長寿になり認知症にもならないという。
この考え方は前にも書いたが納得する

というのは自分には特殊な事情で二人の母親がいたような状態だった
一人は役所に勤めていたがやりたくないとやめてから何もしていない
趣味をしていたがそれは何ら才能があるわけではなく付き合いでしていたのである。
もともと看護師とか保健婦をしていたのだからそういう方面の仕事にあっていた。
でももう嫌だといって55才くらいで早期退職してからは何もしなかったのである。

結局何もしなくてもいい状態にされていたのである。
母は毎日料理を出したりしていたし家事もしていた、92才頃まで本当に元気だったのである。
一人は姉になるが実際はもう一人の母親のような存在だった
姉は料理もしなければ掃除もしない家事もしない何もしないのである。
そのことに注意をしていなかったが認知症になったときなぜなったのかとふりかえったら姉は何もしない、怠け者になりいつしか社会からも忘れられて家族でも用なきものとなっていたのである。
家族でも何か用なきものとなっていた。それが認知症になった原因なことはまちがいない
この人間が家族であれ社会であれ用なきものとなることがいかに怖いか?
生きながらその人は社会からも忘れ去られる、姉は活発な女性であり活動的な女性だったけど退職してから何もしなくなり社会からも忘れ去られていたのである。
家族でも用なきものとなり社会でも何も用のないものとなり忘れられてしまっていたのである。
母は内向きだから家事をしていた、料理を94才頃までしていたのである。
掃除も異常にこだわりしていた。他の趣味はなにもないから花にも興味もないとか異常だった、つまり趣味がないとなると認知症になりやすいとか言うがそうでもない
それより家族のなかでも役割がないことが脳も働かなくなるから認知症にもなりやすいのである。

それで嫁に「何もしなくていいですよ、テレビを見ていてください」と嫁に言われた姑はボケやすいと言われるのである。
料理でもしてみると用意するものがいろいろあり整理するのが大変である。
でも料理は相当に頭を働かすから認知症お予防になるのである。
女性は家族の中で役割をもちつづけることが大事である。
でも現代では今の年寄りは家族でも社会でも無用のものとされやすいのである。
退職したりするともう用なきものとなる、社会的役割も終わる
奇妙だけど金持ちの奥さんがいてその人が家政婦になんてもしてもらっていたら奥さんが認知症になる
誰でも金持ちの奥さんで家事でもしてもらう人がいいとみるがうらやましとなるがのそうでもない
何でもしてもらうことは老人になると頭も働かないからボケやすくなるのである。
だから奴隷のようにこき使われていた女性がかわいそうだがと普通はみるがかえって何もしない人がボケたとなれば
見方が変わってくる、認知症になることはとにかく悲惨だからである。
だから人間は何がいいのか幸せなのかわからないということである。

人間は健康だから長生きするのではなく何か用かあれば長生きする
芸術家だったら傑作をものにしようと死ぬまで絵筆をふるうとかあるだろう。
何かそうした社会的役割をもっているとき人は死なないというのは納得する
要するに家族内で役割がないときその人はすでに死んでいるとなる
生きていても死んでいるとなる、そして認知症になり大迷惑をかける
奇妙だが認知症になったときいろいろかまう人がいるから世話されることで生きているともなる、それも世話する方からすると大変な苦労を強いられることになる


この認知症になるということは善人とか悪人とか関係ないのである。
かえって悪人でも社会的に活躍していると認知症にならないと奇妙なことになる
政治家であれそういう人はいる、70近くになってよくアメリカの大統領候補になれると思う。あういう人は認知症にならないのである。
その人がどうのこうのは関係ないのである。
ある人は口が悪い医者だったが90才まで現役だったが一週間くらいで死んだ
ある人は最後まで自転車屋をしていたがこの人も急に病気になり一週間くらいで死んだのである。
仕事しながら死んだともなる、こういう死に方が理想なのである。
だから現代の社会は会社中心だとするとき退職することは社会から消えることであり社会から用なきものとされることになるから認知症になるものも増える
そうなると社会の負担は莫大なものとなってゆくのである。

現代はみんな会社人間になっているというときその会社から離れたらその存在価値もなくなる
そういう社会は認知症を増やす社会かもしれない、人間はともかく長生きの時代になったときそれに対処する社会的条件が調っていないのである。
老人が会社にいつまでもいるからかえって若者が伸びられないというのは本当である。
人間の能力は誰もわからない、本人すらわからない、やってみてやらせてみてわかるのである。
今は長寿社会になると親から財産を引き継ぐのは60代ともなる
するとそこで財産を引き継いでも活かすことができなくなるという問題もある
高齢化社会の問題はいろいろあるけど若い人が老人が上にいて活躍できないということもある
一方で老人から見ると社会的に無用化されて老人は無駄だとされることも大問題なのである。それは若者にも認知症とか増えたら大負担になるからである。
高齢化社会はこうしていろいろな矛盾をかかえてしいるのはやはり人類がまだ経験していないものだからである。
ただ認知症になる原因は家族でも社会でも役割を失うことなことはまちがいない
それは社会的死あり家族内死出あり生きていて死んだ状態にされているのである。

康と寿命(武田邦彦)
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