山桜短歌十首(栃窪から佐須から霊山へ)
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佐須の峠
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栃窪に老いゆく人やシャガの花
飯館村石に芽吹きや峠越ゆ
花の影休みて去るや峠かな
山桜風に吹きゆれけたたまし朝鳥鳴きぬ声のひびけり
山深みたずね分け入りいづくより朝に風吹きなお花散りぬ
人住まぬ佐須を去りゆく枝垂桜帰りを待ちて庭に咲くかな
八重桜夕日のさして赤しかないつ帰らむや村人を待つ
磐を打つ流れひびきて朝清し高みに朝映え山桜咲く
山桜山間深くなお咲きぬその清しさや風に散りなむ
山桜高みになおも残り咲き散りゆくものや流れ清しも
霊山に雲の乱れて流るかな山桜映え南朝滅ぶ
山桜なおも散りしも霊山を落ちのぶ方は我が里なりき
吾妻峰に残れる雪や山桜霊山に映え岩の黒しも
栃窪村では田んぼをつくっていたが飼料米にするという、栃窪は水がいいので米がうまいと前は自分の家でも栃窪から米を買っていた。
飼料米になるのもわびしいともなる、老人か杖をついて歩いていた
その土地で生れて育ち死ぬのも幸せだとなる
だから原発避難者は不幸だとなる
山桜はまだ咲いていた。飯館村には人は住んでいない、一軒一軒に枝垂桜が咲いていた
八重桜も咲いていた、山桜はもともと日本の山だったらどこにでもけ咲いていた
しかし万葉集時代は山桜は注目されていない、外来の中国から入った梅の方が人気があったのだ、桜の宴ではなく梅の宴だった、だから人間はつくづく人間は身近にあるいいものを理解していないのである。
それは今もつづいている、外来のものばかりいいものとするのか特に日本の風潮なのである。
それで本居宣長が大和心と唐心を区別して大和心を見直したのである。
とにかく明治維新以来外来のものに席巻されて何が日本の心かもわからなくなった
そして言葉だけがとびかっているだけである。
民主主義となれば自己中心の利益主義権利しか主張しない
外来のものがいいとしてももともとあった日本の良さがほとんど喪失した
それより大和心が何なのかわかなくなったのである。
ただ自然というのは自然の美は変わらないからそこから日本を意識する
山桜はいたるところに咲いている、それもあまり注目していなかった。
桜というとき染井吉野が主流になったからである。
山桜は山に咲くからより清しさがある、天然の美があるが染井吉野は何か艶なものなのである。
霊山というとき南北朝の争いの場でありはかなく炎上して終わった
そこから落ち延びたのが南相馬市の鹿島の真野である。
そこにお浜下りの祭りが残されている、それは落ち延びた時の姿が祭となった
でもあんな恰好していたというのも不思議である。そもそも途中にそんなに家もない時代である。
ともかく歴史的なものがあるとその歴史とともに心象風景がつくられる
今回は曇っていた、それで雲が霊山の上を乱れ流れていた
それは何か落ち延びてゆく人をイメージするのである。
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