チューリップ(人の住まない小高の不思議)
我がここに住みつつあわれ二三人花散るあとを人の行くかな
チューリップ庭に映えつつ新しき家に住むかなつばめとびかふ
隣にも代わりて住めるその庭にチューリップ咲き幼子のあり
自分の回りも変わってしまった、新しい人が移り住んだこともある
組では子供がいなくなっていたが一人幼子をもつ夫婦が住むようになった。
今は隣でもどういう人が住んでいるのかわかりにくい
一軒は津波の被害のために新築した人である。
自分の家など二代くらいで古くはない、農家だったら何代もつづいている
それでもいつしかこの辺で古株になっているのである。
草の戸も住替る代ぞひなの家 芭蕉
前はそこにも老人が住んでいた、その人は去ったからこの句とにている
人間というのはいろいろ環境が変わるけど世代交代とかをしてゆくのは代わりがない、
そこに人間としての普遍的なものがあり現代でも同じようなことがくりかえされるから
普遍的な価値をもっているのである。
全体的に南相馬市は変化が激しいのである。
新築の家が建ちつづけているし原町辺りは大きな施設が何カ所か建ってい小高の人でここに家を建てた人もいるからである。
今日はスーパーは混んでいた、土曜日であり他からの人が来るからこむ
除染関係とかの人もいるから結構こむのである。
それでも桜が咲いた土手の道はちらほら人が行くだけである。
ただ工事しているから落ち着かないことはある。
不思議なのは小高である。桜が咲いても桜が散ってもそこには人が住んでいない
するとそういう世界は何なのだろうと前からも不思議だった
人が住まない街の不思議である。
チューリップでも新しい人が新しい家に住んで映える
子供が幼子がいれば余計にチューリップもその子供に映える
つまり人間がいて花も映えているのである。
小高では桜が咲いて散っても誰も通らない、小高の人は見に行った人がいても住んでいないのだから日常的にその道を歩く人はいないのである。
だから人が住んでいない街とは何なのだろうとなる
ではこういうことがかつてあったのかとなるとあった
人間が住む前は原野であり森であった
そこには動物や植物も繁茂していた
人口をみれば江戸時代が三千万人であり大正時代で6千万人になった
これをふりかえれば日本は開墾されない土地は広がっていたのである。
その時はそこには人間は住んでいないのである。
大熊とか富岡とか辺りは明治になって開墾された土地なのである。
そこは相馬藩との境目であり原野が森が広がっていた
夜の森とは余の森だったのである。余とは相馬藩の殿様だったのである。
小高や浪江とか避難区域はそうした原野や森にもどったともなる
そして人間がいないということは自然だけになる世界をなかなか経験できない
普通身近に住んでいる場所でそういう所が開発されてなくなっているからである。
感じることは一段とシーンとして静寂が支配している
自然だけだったら当然そうなる、田舎の街だからもともと静かだったけどそれも人が住まなくなったとき余計にそうなったのである。
それで街が暗いから帰りたくないというのもわかる、要するに原始の状態にもどればそうなる
江戸時代ももどるようになる、灯もともしいし一段と静まり返るとなる
小高をどうするのかというとむずかしい゛要するに前例のないことだからどうしていいかわからないのである、人が住まない街とかをどうするのか?
それを模索するのにも今までのやり方も通用しない、では新しいやり方は何なのかとなるそれは簡単には解決できない問題なのである。
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