花の影(栃窪へ行く)
助の観音
上萱
八木沢の麓の大芦とかは人が住んでいない
ここには犬の墓があった
大原だけどここには人が住んでいない
栃窪に枝垂桜や葉山かな
石一つここに変わらず花の影
栃窪に古りにし家や花の影
栃窪に蓮華畑や眠る人
頂きに咲きて散りにき山桜
山鳩の驚き飛びぬ花の影
犬の墓ここにありしや夕桜
大原の蔵ある家や夕桜
深野のユッサに寄るや夕桜
風に散る枝垂桜や街道に影なしつつもこの家の古りぬ
ようやくに助の観音に着きにり残れる花を見て帰るかな
上萱になお残り咲く山桜またここにより帰りくるかな
山深くさえづり聞こゆその声のひびき鎮まる余韻に暮れぬ
新田川の上の岸辺に誰か見るキクザキイチゲの咲き開かむとす
カメラのレンズが汚れてきれいに写真かとれなかった。街道の枝垂桜は趣がある。
反対方向から撮ったら影がうまくでていた。
街道は道が細いのである。それが街道の面影を残していることなのである。
六号線のようになったらもう街道ではない、細いというとき「奥の細道」となるともっと細い道だったのである。
ただ今になるとあそこは車だと狭すぎるのである。
栃窪では畑とか田んぼを作るのはまだ少ないだろう。あそこは放射線量が高い、でも「花の影」というときそこに落ち着いた生活があるとき詩にもなる
そこにはまた暮らしがないとただ家があるというだけでは都会の郊外の家と同じである。山村の暮らしはもともと自然と調和していたから美しいとなる
貧しいが美しいとなる、その生活が放射能汚染で破壊されたのである。
あちこちに放射性物質を入れた袋があるのも嫌なのである。
葉山信仰は各地にある、ハは端にもなり当て字である。この信仰は田んぼと密接に関係していたのである。
比較的低い里山でありそこから田んぼに水を供給することで結びついていた。
これはだからどこにでもある神社である。
この辺では栃窪にあるのがふさわしいとなる、外にもあるが田んぼに水を供給するというとき栃窪がふさわしいとなるからである。
助の観音は飯館までの塩の道として有名である。助の観音とはまさに助ける観音だというときこの辺で泊まる場所だったのである。
ここまで自転車でのほって来るのか大変だった。電動自転車だからなんとか上れた。
つまりこうして苦しんでくるときその距離感を感じる、ああ、やっとついたというときそこがまさに助の観音だったのである。
歴史を実感するにはだから車だとあまりに便利だとできないのである。
そして上萱(うえがや)についた、一本の山桜がなお残り咲いていた。今回は山桜でも結構散っていた。これは染井吉野ではない、山桜は染井吉野のような華やかさがないのである清楚であり派手ではないのである。この辺が何か混同している
普通は染井吉野を見ているのであり山桜はまた別である。
吉野に咲いているのも染井吉野だろう。あんなふうに華やかには山桜だったら咲かない
いづれにしろ人間はあまり変わりすぎることは良くない、この辺のテーマが変わらないということの価値を見いだしたのである。
つまり石と樹とか自然のものはそんなに変わらないから価値がある。
石だったら千歳の磐とかなることに価値がある
めまぐるしく変わる世界には疲れてしまう、特に老人は変化に弱い
ここにまた変わらずに同じ石があるということで落ち着くのである
この辺の問題は変わりすぎたことなのである。
そして人間が死ぬというとき栃窪では耕さない畑が田んぼになっている所が蓮華畑になっていた。その近くに墓地がある。というとき人はそこに眠っている
蓮華畑であれ菜の花畑であれそういう村に眠るのは幸せだとなる
死んでから関係ないというけど都会のような団地のように区切られた所に押し込められるのを見ていると嫌なのである。
人間は死んだら自然に帰るというけど都会にその自然がないのである。
だから限界集落でありそういう山村がなくなることは経済的な問題だけではなく精神的にも影響する、一万くらいの町でも自分の家の墓は狭い、だからなにか窮屈に感じる
広々としたところに墓地があるというのは墓参りにするにも気持がいいとなる
。
今回は上萱でチェーンがはずれた、それも深くチェーンが入りこんでとれなくなった。
前にもそういうことがあったが今回は元にもどすことがなかなかできなかった。
木の枝ではずそうとしたができない、木は折れてしまう、それで上萱から出た八木沢の麓に家がありそこが空家になっていてカスガイとした鉄が残っていてそれでなんとかはずすことができた
まず木ではできない、それで考えたことは木の道具では人間は田んぼすら開墾したり何もできない、鍬でも鉄が必要であった、その前は石器が必要であった。
木では道具にならないのである。もちろん武器にもなりにくい、石器は鉄の代わりになっていたのだ。石器というのはあまり注目されていないけど人間が手にした大きな道具だったのである。これは武器にもなったからである。
鉄が発明される前は石器でありこれでしとめた獲物でも切り裂いたりできたことは大きな進歩だったのである。
帰りは原町のユッサに来て食事して帰ってきた、遅くなったが介護がないので余裕である介護がなくなったことでまた旅もできるかもしれない、体力的にもまだ最後の旅ができるかもしれない、ただ新しい自転車をヤマハのロードの軽いのを買おうとしたが坂をとても上れない、2、5アンペアでは上れない、そしてスポーツタイプになると道がでこぼこうしていると危険にもなる、日本の道は舗装していても凹凸があり危険なのである。
今のヤマハのはマウテンバイクタイプだから重いが悪路には本当に強いし安定しているから事故になりにくい、自転車も結構危険な場合がある。
それで20年前だったのか前歯を三本くらい折っていた。その時頭をうちつけると死んでいたのである。このことを忘れていたが思い出してヒヤッとした。
誰でもこうして死の危険がありそこから助かったということはある
それは普通に生活していてもそうである。津波などもそうだった。
自転車だって相当に危険なのである。
注意→栃窪から上萱の道は車では通れません、道路が崩れていて通れません
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