2016年04月06日

良くも悪くもカルマはめぐる (恵み(めぐみ)はめぐるである


良くも悪くもカルマはめぐる


(恵み(めぐみ)はめぐるである


カルマというとき悪いものをイメージするけどそもそもカルマが災いだとするとき災い転じて福となるとかある。
原発事故でもこれもみんな損したわけではない、補償金もらって得したと思っている人もいる、ニートとか遊び人のような人は喜んでいたのである。
いつもなら見向きもされないがかわいそうでもないのにかわいそですねとか常に同情されているのも変だった、そういう人は病気でもなんでもないからである
一方普通の生活ではどんなに苦しんでいても同情されない人も多い、ただ放っておかれるのも普通なのである。
だから今回の原発事故ではかわいそうでない人もかわいそうだとされたから変な面があった
結果的にその人たちは同情されるべきだとなりそれを要求できるとなった。


つまり何か悪いことでもそれがすべてに悪いものとして働かない、カルマも悪いカルマだとしてもそのカルマに耐えていれば災いも良いものになってゆくかもしれない
確かに原発事故は最悪だったがその最悪を最善のものに変えるということもありうる。
そもそも何が幸福で何が不幸かも人間は最後まで見ないとわからないのである。
意外と最後に不幸に見舞われる人間がいる、自分の家族でもそうだった
病気もしないし頭もいいしと幸運に恵まれていた人が最後は最悪の認知症になってしまったからである。
人間は最後に不幸になる人が結構多いのである。それはどんな金持ちでもまねがれないのである。金持ちはか家族関係などで問題が多いことはありうる


カルマとは日本語だ恵みにもなる、恵みはめぐるなのであ。幸も不幸も回りめぐってゆく、金も天下の回りものだというのともにている。
幸福が幸福の基と必ずしもならない、不幸が幸福の基になることが普通にある。
病気から快癒したときなどは最高の幸福を味わうからである。
そういう不幸を経験していなければ本当の幸福は得られないともなる

だから金持ちで何でも恵まれていることも危険である。
それで金持ちの土地持ちの姉妹が餓死したというのもうそうである
いろいろと社会経験とか苦労していないからそうなる
お嬢さんとして育つ人もいつどうなるかわからないから危険なのである。
親がいつまでも生きていないし守ってくれないからである。
その幸福が恵まれた環境がかえって後の災いの元とともなっていたのである。
それは自分も経験したからわかる
恵まれすぎることも後の災いとなるのである。


カルマがめぐるというとき具体的な自分が経験したというかなぜ自分がその人に代償的役割をしているのかということもそうである
その人は70万くらいの働いた金をもらいなかったのである。
そのことを延々と自分にくどいていた。でもなぜかその分を自分が支払っていたのである自分が余裕があるからそうしている、その人に自分は払う義務もなにもなかったのだけど払っている、つまりその人に恩もなにもないのに払っている
70万という金が未払いになった分を自分が払っていたのである
カルマとは別にカルマを受けた災いをもたらした人自身が払うことでもない
全然関係ない人がカルマを負って償ってくれるということがある

運も不運も金もめぐりめぐってゆくのが人間社会である。だから何が幸福になるかはわからない、幸福だと思っていたものが不幸の因になるし不幸と思っていたものが幸福の因になっていたなど普通にあることなのだ。
例えは誰か死ぬということは不幸だけど何か人間が一人死ぬとその分幸福になる人がいる財産をもらったりして貧乏な人が一挙に金持ちになったりするのである。
いつまでも生きていて災いになる人も人間には多いということがある
そういう災いをもたらすものがいなくなったとき時代が変わるということもある
人間は生きている限り財産でも金でも地位でも放さない、それで老人が長生きすると社会に弊害が起きる
人間が死ぬというとき新陳代謝が社会全体に起きる
だから高齢化社会の問題は60代とかで親の財産をもらことなのだ。
もっと早くもらっていたら死んでいたらいい面としてはその金で自分のしたいことができるということである。
いつまでも高齢の親が財産をもっていたらまず何かしようにもできないのである。


めぐみ(恵み)はめぐるである。水は流れてめぐりめぐって潤して実りをもたらす、恵みはめぐることで起きてくる、金も一カ所にとどまらず巡り巡ってくときグローバルに恵みをもたらす、グローバル資本主義社会というのは悪い面も大きいがいい面としては富が世界をめぐれば幸福をもたらす、でも少数に金が独占さされば格差社会となり不幸になることが問題なのである。
めぐるは英語ではrollでありrollには役割という意味があり俳優の役の意味がある
人間も年によって役割が変わってくる、だから若いとき美人ではないとか不幸に思っている人が多い、ところが老人になれば美人だと関係ない、みんな皺が増えていくら装ってもどうにもならなくなり美が基準でなくなる
かえって美人でなくても話が面白いとか何か別な要素に価値が出てくるのである。
役回りが年とともに変わる、その役回りをうまくこなせないと今度は美人だったけど不幸だったとかなる
だから若いときは不幸でも老人になって幸福になっている人もいるのである。

いづれにしろカルマは逃れられない、不幸は逃れられない、カルト宗教団体に入っても逃れられない、誰かが代わってカルマを背負ってくれる人がいるかとなると逆にそういう場所には不幸な人が多いから悪いカルマを背負わされるのである。
そこが助け合う場所というより不幸な人たちがさらにブラックな所にゆき苦しむことになるのと同じである。
そういう場所でカルマを落とせるならみんな入るだろう、かえって悪いカルマを受けやすくなる場所なのである。


なぜ家系とかがカルマに影響するかというと結婚すればどうしても相手の家系の影響を受ける、いいカルマを受ければいいのだが悪いカルマもその家系内でめぐるから危険なのである。カルマを否が応でも結婚したりしたら相手の家系のカルマを受けるから怖いのである、それは結婚したりして長い時間が過ぎてはじめて問題が起きてわかったとかなる
その女性は実際はいい人と結婚した、金にも恵まれた人と結婚したのだけど最後になり
60代になり事業の失敗が明らかになったのである。
それがカルマなのかどうかわからないにしてもやはりカルマはいつかめぐりめぐってくる自分にしてもそうだったからだ。それは誰でもそうでありカルマからは逃れられない
カルマは死をもって消滅するとかある、死は一つの救いでもある
もし死ななかったら延々のカルマを背負い生きなければならないとなると地獄だからである、それはまさにシンジホスの神話のように重い岩を延々と持ち上げていなければならない、カルマがきれなかったらそうなる


タグ:カルマ
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