春満月(津波より五年すぎて平和を感じるー松川浦へ)
新しき加工場でき蕗の薹
津波後松川浦に春の鴨
おおらかに春満月や姉の顔
ほほえむや春満月に星一つ
春満月我が家をのぞく平和かな
屋形にそ春満月や幸めぐる
春満月徐々に平和のもどるかな
人のあれ鬼越館に春満月
梅の花日々ににおいて散るころにさらに濃くして匂いけるかな
ゆくりかに春満月の昇りつつここに落ち着く五本松かな
東風吹きて松川浦のさざなみぬかなたに広く海を望みぬ
津波から五年は一つの区切りなのか?何か今日は春満月が出てさらに平和を感じた。
何か落ち着いてきたなという感じである。
去年とも違う、さらに平和な感じである。自然を感じるというときその人の人間の心境が大きく左右している。
自然は同じでも例えば月をみてもその人の感じはその心境によって変わってくる
津波から五年を過ぎてやはり悲しみもまだ深いが何か平和もまた前より満ちわたるような気がする
5年も過ぎたのだからかいつまでも悲しい悲しいと嘆くだけの時は終わった。
磯部には新しい水産加工場とかできたしこの辺はいろいろ新しい建物だたった
いつまでも過去を引きづっているわけにはいかない
原発事故の被害地域は復興が遅れている、放射能が足かせになり遅れている
それにしてもいい春満月である。それで姉のことを思い出した。
姉は性格がおおらかであり陽気な性格でありいつもにこにこしていた。
自分と母内向的であったが姉は正反対でありそれが良かった。
神経質な人はかえってこうしておおからな人と接していた方が安らぐのである。
ただそれがすべていい方向には働かないがみんな性格とかは良くも悪くも働く
春満月というとき人間は自然に人間を見ているのである。人間の心境で自然を見ているのである。今日の春満月は姉の顔にそっくりだとか見ている
そして微笑んでいるというとき一つ星が輝いていたがそれは子供なのである。
人間は家族の人間関係が大きく影響する、自分の場合特殊だったがそうだった。
相馬市の道の駅に鬼越館跡があるがあれも外から来た人は気づかない
でもそこにも人は住んでいたのである。
鬼越館というと何か怖い名前だが北風の意味でつけられた。
北風がふきつける館だったとなる
それに春満月が昇ったのも不思議な取り合わせだった。
ともかく歴史的なものは知っておく必要がある。
それからいつものように五本松を見て帰って来た。
五本松というときも人を見ているのである。五人の人としてみている
それから屋形に帰ると満月が光っている
屋形の人を知っているからあの人は不幸だったが幸運がめぐってきたのかなどと思う。
何か自然に人間その時その時の心境で見ているのである。
タグ:春満月
【日々の感想(今日の俳句短歌と詩)の最新記事】