2016年03月16日

原発避難区域を偲ぶ短歌十首(桜など) (それが現実だということの重みが違う)


原発避難区域を偲ぶ短歌十首(桜など)


(それが現実だということの重みが違う)


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白いのは砂であり川は曲がって流れて海に注いでいた

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津波の後に砂場は消えた

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小良が浜はおらが浜であり相馬藩の境で争った地域である。
つまり熊川が境になっていたのである。



ふるさとに残せし墓のあわれかな春の彼岸に人の帰りぬ

その道を行く人なしも故郷の帰れぬ人や春の日くれぬ

高瀬川流れの早しさへづりの高くもひびきなお奥に入る

葛尾の落合に来てあわれかな草に埋もれし碑の古りかな

たずぬるも更地となりぬあわれかな老女一人の帰る秋かな

楢葉町よりしことあり海望み梅の香りて行く道偲ぶ

熊川を沿いて下りぬ桜咲き海の開けて船の行くかも

一軒の残されし家をしみじみと見ゆ人の帰れず枯野の中に

理容店蔦の這いにつ淋しかも人の帰れず秋の日くれぬ

竜田駅電車通りて金木犀においけるかな下りる人多し


原発避難区域はやはりこれまでの歴史でもあったのかという不思議である。
廃村とか小さな村にはある、その規模は小さいのである。
ここにはまた津波の跡もまだ生々しく村が消滅している
そういうものが重なって異様なものとなっている
だからこれが本当に最初は夢ではないかとか現実に思えなかった。
何なのか理解できなかった。今でもそういうことがある
自分は別に津波の被害にもあってないし普通に故郷に住んでいる
だから本当のところ避難した人の気持とかこのことを避難した人がどう感じているかはわからない

原発避難民のことを非難したのはそれはまた周りの事情もありそれを言っただけである。つまり原発避難区域の人たちのことはかわいそうだというときそれが必ず補償金と結びつくことが問題なのである。
そうしてかわいそうだというとききりがなくなってくる、そのことを言えば延々と補償金を要求できるからである
それとは別に一体この避難区域は何なのかと考えるときこれが5年過ぎてようやく現実としての重みをもってきたのではないか?
何か避難区域の人の住まない一軒を家を見ているとそう思った。
ここにも人が住んでいた、それも江戸時代とかから長く代々住んでいた家もある
そこで浪江までとか野馬追いに出る家が今でもある
そういう家の歴史でも重みがそこにあることを5年過ぎて意識するようになった。
普通だったら一軒一軒の家のことなどありふれていて当たり前だから考えないのである。5年すぎたら何かそれがまるで遺跡のようにすら見えてくるだろう。

この原発避難区域の不思議は最初は本当に映画の猿の惑星のように見えたのである。
こんなことがありうるのかという不思議である。
だからこれが現実だということを理解するのは5年もかかったのかもしれない
それは津波の被害地でもそうなっている、なかなか現実として受け入れられないのであるおそらく津波で家族を失った人もそうだろう。これが現実なのかということなのである。それはシリアとかでも起きている、27万人も死んだとかそれが信じられない、そんなに死んだのか、街は破壊され瓦礫の山になっている。
そして一人の少女が奴隷として売られレイプされるからガソリンをかけて死のとした。
その少女は15才である。これもこの世の現実なのかと思う。
その現実の重みは当事者でないとわからないだろう。

それと同じように原発避難区域もそうである。もちろんシリアとは違い原発貴族とも言われているから余りにも違う。
でもこれが現実だということその重みが違っているのだ。
現実とは映画の世界とは全く違う重みがある、人一人死ぬのでも重みがある。
自分が一身上体験した苦しみも現実だった。
みんなそうして厳しい現実に生きている、
こういうふうに当たり前ではない、異常化した世界が現実だということを理解することは本当にむずかしい,それは戦争でも起きたことである。
戦争の現実を理解することは今になれば不可能である。
バタバタ戦場では人が臣でく現実を理解できないからだ。
それを映画で見ても娯楽にさえなってしまうからである。
この辺ではそういう厳しい現実を体験した人が多い、ただそうは言っても原発避難民は恵まれていた。それは津波の被害者とかと比べるとである。

でも故郷を失うということがどういうことか?この現実をなかなか理解できないだろう。
それと補償金を結びつけないとき、一体それが何なのだろうとなる
何か残された一軒一軒の家がその重みを語っている
ただ飯館村とかで千軒の家が壊されるというときその時も家もなくなり思い出もなくなりそこにあったという重みも家がなくなって消えることがありうるだろう。
やはり家というのは何か一つのそこに存在した重みを残すのである。
家が消えるとあとは人の語りとかなり具体性がなくなってしまう。
墓も家と同じように何か現実にここに生きたという人が残したものであり重みをもっている

ただ原発避難民がどれだけ被害を受けたか、どれだけ貴重なものを失ったかとわかる
だからすべてが許されるとなるのか?それは周りの人のこともあるのだからそうはならない、これは別なものとしてまた考えねばならぬ
俺たちの失ったものを考えろというとき津波の被害者はそれ以上に失っているのである。ともかくこの辺の状態は以前として混乱しているし様々な思いが入り乱れているのであるそれは避難区域以外でもそうでありそこに葛藤があり様々な思いがありそれをみんな知ることは不可能である。


実朝の歌に何か原発避難民と同じ心境の短歌があった。


ふるさとは見しごともあらず荒れにける影ぞ昔の春の夜の月

散りめればとふ人もなし故郷は花ぞ昔の主なりけり

里あれぬ志賀の花園のそのかみの昔の春の恋しかるらむ


この短歌と心境的には通じている。この故郷というとき小さな村の規模だろう。
鎌倉時代となると人口は極端に少ないからだ
ただ「故郷は花ぞ昔の主なりけり」こうなっているのはにている。
庭に桜が咲いていても空家と化して人は住んでいないからだ。

志賀の花園というときそこは相当に古い由緒ある場所であった。だからこの短歌には深いものがある。

自分はなんか不思議だったのは避難区域の道である。そこも確かに人が歩いていた道である。でも誰も歩いていない、そこはかつて人が通っていた道だなとみるのも不思議なのである。
なぜ人は廃墟にひかれるのかというとそこはセットの映画の舞台ではない、現実にそこに人が住んでいたのでありその重みが違うからである。

ともかく自分は楢葉とかにもよったりした。ただ何かやはり双葉とか富岡とか越えるとなじみがない、でも双葉は姉から父が酒屋で丁稚していたことや葛尾村の出身であったことでなじみがある

さらに大熊でも楢葉でも良くわからない、地理的にもわからない、ただこの辺はいつも電車で通っていたしよったこともあり思い出して短歌を作った。
一番印象に残っていたのは熊川をそって下り海に出たときである。
そこにも家があり春の太平洋が開けて船が行く景色だった
ここも津波でもう家も桜もなくなったろう。ここは記憶に明確に残っていた。
思い出すとき記憶がつくづく大事だと何度も書いてきたけどここでもそうだった。
記憶として蘇るときそこに自分が確かにいたということを再確認するのである。
そして詩とか短歌にできるのである。


NHKの放送の原発近くの熊川の津波の被害の写真 
(ここを通った桜が咲いている写真があった)





posted by 老鶯 at 11:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
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