2016年03月12日

地方創生の切り札は「よそ者」「馬鹿者」そして「若者」 (原発避難区域でもそうである)


地方創生の切り札は「よそ者」「馬鹿者」そして「若者」


(原発避難区域でもそうである)


地方創生の切り札は「よそ者」「馬鹿者」そして「若者」――増田寛也氏インタビュー
PRESIDENT Online スペシャル

石川教授:

もうみんな好きなこと言う、自由に言う。そこでみんなが意見を出してしまえば、(全体を)見回してみるゆとりが出るわけですね、そうすると、物事の大事なもの、枝葉のもの、それは自ずとわかるんです。一番大事なエッセンス、それをみんなで拾い出して、それを大事に着地させる。(自由な話し合いは)そういうプロセスだと思ってます。

〜宮城・岩沼市玉浦の集団移転〜


自分をこきおろした原発避難民より「よそ者」「馬鹿者」そして「若者」の方がましだ
そこに何か復興の糸口がある、老人だけではもう町は復興しない
ではどうするのかというとそこに生まれて住んでいた人も老人だけが帰っては復興できない
ただ補償金だけをもらいギャンブルで遊び暮らしていればいいとか人の善意を踏みにじるような人はもういらない、勝手に外に住んだ方がいい、そこで何しようがかまわない
ただ補償金はいつまでももらえないことは覚悟するべき


もうそういう人が若者かもしれないがいたということは考えが変わった
そんな人はいらない、「よそ者」「馬鹿者」そして「若者」呼び込む、もう誰も住まない
土地が広大に広がり家も空家だらけなのだからそこをそういう外部の人が利用を考える
何か一からはじめるのにそういう場は向いている
老人は過去から考える、それも老人としてあっていいが今回はまず今までの状態をそのままにして復興などできない、
復興とういけど何を復興させるのか、今まであっものを復興させるのか?
それより全く新しいものを作り出すことになるのではないか?
それは「よそ者」「馬鹿者」そして「若者」さらに外国人も入れる
この辺では除染とかその他工事関係で人で不足で外人用の宿泊所が作られた。
老人ばかり帰ってももう何もできない、ただ補償金くれ世話してくれ介護してくれとしかならない
それは自分でもそうなのである。

そもそもが一体どうするのか?そこに住んでいた人たちも帰らないで家を建てた人もかなりいるし帰るという人でもどういう街にしたいのか岩沼のように話あってもいない
そして自分は南相馬市民だから小高のことを考えざるを得ないのである。
避難民がギャンブルしているだけだというのも事実である。
こんな状態だから憂さ晴らしも必要だといろいろ言う人はいる
でも周りの人がどう思っているか、それを自分は言ったのである。
そうしたらお前は何も言うなとか言う
では一体どうしようとしているのか?
そんなことお前には関係ないともなるが避難民は各地にいて補償金をもらっている、それは税金なのである。
そしたら回りの人が何も言うなと言えるのか?
特に南相馬市民だったら小高のことを身内のように考えざるを得ないのである。
そして飯館村でも浪江でも大地はつながっているから全体としてつながっているから
お前は関係ないと言えないのである。
放射性廃棄物の処理場にするにも影響するからである。


小高と楢葉とか大内が避難解除になることでまた問題が起きて住民は困っている
そもそも帰る住民はどういう街作りをしたいのか?
そういうことをみんなで話し合ったのか
それより帰らないと補償金で家を他に建てたり生活の拠点を移して帰らない人も多いのである。
お前は何もしないのだから関係ない、黙っていろというが大地はつながっているし関係をもたざるをえないのである。
そしてお前は何も言うなというときではそこに住んでいた住民はどうしようとしているのか?
そんなことお前に関係ないことだ、お前は何もしない、では自分もかかわらないですむのか?
南相馬市の財政負担も小高にかかるし小高だけでやれるわけがない
小高病院の配管に七億円必要だというとき誰がその金を出すのか、南相馬市や県や国でだしてくれのか?
そういうふうにかかわらざるをえない、つまり南相馬市民だったら必ず小高も住民として影響があるからだ。

NHKとかマスコミではきれいごとしか言わない、避難民が毎日ギャンブルだとか言わない
そこで内部の真実が曲げられて全国に放送されて原発避難民に全国で同情しろと強制すらされるのである。
同情するのもいい、でも具体的にどういうふうに復興するのか?
新しい街作りをするのか、将来像をどう描くのかなど何もない
コンパクトシティなどはあるが具体的にこのような街作りをするのだということをみんなで話し合ったりもしないだろう
それよりもう若い人は子供もっている人は帰らない決断をしている
では老人だけ残ってどうするのだとなる
そこはうば捨て山となりもう嫌だとして街を出る人もでてくる
そしたら街は成り立たずこれまでの復興のための事業も無駄になる


何かどうも復興事業がうまくいかないのは住民の意志がはっきりしない、官主導でもうまくいかない、岩沼は民主導でうまくいった。
原発避難区域では明確な将来像が描かれていない
放射能汚染のためだともなるがそれがあったとしても何かアイデアがないのか?
それが「よそ者」「馬鹿者」そして「若者」を都会から東京から呼び込む
それも一つの案であり他にも話しあいば出てくるかもしれない
ただ話し合いも拒否してお前は何もしないのだから何も言うなというときもう民主主義は成り立たない、そういう奴は去ってくれ
内部にそういう奴がいるより「よそ者」「馬鹿者」そして「若者」でも外国人でも多少はいいとなる
原発避難民はただ補償金をもらって楽したい、遊んでいればいいだけである。
ギャンブルで使ったから福祉に金貸してくれとか寄付金を集めてそれを何に使うのか?
ギャンブルにまた使うのかとも疑うようになる

補償金をもらっていたり国の税金を使っていると外部からいろいろ言われるのはふむをえない
それは別に悪いことではない、新しいエネルギーを外から入れて活性化することだから
それでもう日本はここだけではない、人手不足や少子高齢化で外国人でも入れるほかないのかとも思った。
それは内部にいる日本人でも今は何もしない、原発避難民のように何もしない、ただ補償金をもらいたいそれで遊んでいたいとか思っている人が多い
老人はやむをえない面があってもそれではもう街が成り立たない
名取の閖上では津波の被害が大きかったが外から若者を入れて活性化するべきだと言っていた。
そして名取の閖上では老人は補助金は十分にもらったからいらない
そうして外から入ってくる人にその補助金を与えて自由にやらせるべきだど言っていた
あそこでは原発の補償金ももらっていないのにそう言っているのである。


このことは日本全体の問題である。ただこの辺は極端なものとして先行して高齢化がすすんだ。
そして老人だけが取り残されるような事態になっているのである。
この辺でそうしたことを解決すればモデル地区になる
ただこれからは日本は経済的にも厳しい時代になる、すでに貧困化している
となるとニートとか働かない人は排除される、外国に行けとかなるかもしれない
つまり高度成長時代ならあぶれるものがいても良かった
そのときあぶれたものはほのわずかだから目立たなかった。
その時こそ本当は自分のことをしたい自由人がもっといて良かったのである。
なぜならそういう余裕が社会にあったからである。

いづれにしろこの辺の内部の人でも若者でも禄なのがいないとなると
外部から呼び込み新しい人で新しい街を作るのもいいしそうするほか方法がないともなる
何かいい方法があるならば言ってくれ、ただ自分は今回の発言で内部の人に原発避難民にさらに失望した。
それは怒りでもありそういう者はもう故郷にはいらない、日本にもいらないとまでなってしまうかもしれない、そういう時代になってきている
高度成長時代に生きた団塊とかは恵まれていたとなる
それもやはり時代でありどうにもならない、戦争で三〇〇万人死んだのも時代である。
今回の津波で死んだのもそうである。原発事故もそうである。
どんな時代に生きるかも宿命である。
まあ、自分たち団塊の世代はいい時代を生きたとはなる


posted by 老鶯 at 19:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
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