2016年03月12日

春の霜(この頃の感じることー震災より五年すぎて)


春の霜(この頃の感じることー震災より五年すぎて)


星ひそか夜に梅の香の濃く匂ふ

故郷にともに老いゆく春の霜


赤々と椿の散りぬ雨しとと我が墓の前今日も通りぬ

万寿菊長くも咲きね我が家に今日も来たれる女のありしも

我が姉と母の遺影の我を見る春の彼岸や一人し悲し

五年過ぎさらに老いにき家族みな亡くせし人の追悼の言葉

仮設にも住む人へりぬなじみしも離るる人や春寒しかな

心なき人の心に傷つきぬ神も怒らむ助けざるべし



今日は寒い、朝は霜だった、老人が風ひいたとかおかしくなる
意外とこの風が老人になると危険である。肺炎で60代で死んだ人がいる
肺炎は老人の死因で多い。

春の彼岸も近い、毎日自分の墓の前を通るから墓が身近なのである。
そうなると死者とともに暮らしているともなるから悪いことではないだろう。
遠くに墓があるととうしても疎遠になるからである。

東日本震災から五年がすぎた、それで東京で南相馬市の人か、家族をみな亡くした老人が追悼の言葉を延べていた。
あれもあわれだと思った、実際にかわいそうな人は津波の被害者であり
原発避難民ではない、ただこの辺は津波の被害者と原発避難民とか混じり合っている
それで複雑ななのである。

原発避難民はかわいそうではない、自分に対して発言した人のように禄でもない人が多い普通なら相手にしないがこういう状態だから答えた
もともとこの世の中ろくでもない人の方が多いから原発避難民でもそうであり
いちいちとがめていたらきりがないだろう

だからこそ人の暮らしを隠していたとき良かったのである。
それは飯館村でもそうだった、それが避難民になったときギャンブラーになったとか露骨に隠されていた悪い人間性がむきだしになったのである。
何もすることもないということもあることもありやむをえないともなるが
何か自重してそうならないことを模索するべきでもあった。

いづれにしろ原発避難民は人間性の悪い面を金が入ったりしてむきだしになったのである別に事故がなければこんなに目立つことはなかった。
「俺たちはかわいそうなんだ」そればかりでありそれに意義となえると
お前はそれでも人間なのかとせめてくる、弱者商売なのである。

もうこういう人は神も助けない、この発言のようにそういう人が多いことが問題なのである。
ただ本音で地元なら話し合い、何か次代を開く道を考えることはありうる
でもこういうあからさまな暴言卑語をする人とはできない
それは今まで2ちゃんねるとかでしてきたことである。
でもそういう時代インターネットでも終わっている
発言にはある程度責任をもたざるをえない時代である
インターネットもそうして民主主義のツールとして進化してきているのである

だからこの人の発言は許されことがないし
原発避難民自体もおとしめたのである。
やっはりこんな奴が多いんだなということを言葉で示したのである。

タグ:春の霜
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