春のフラワーアレンジメント二題(万寿菊)
金魚草とかスイトピーとか春らしい
真ん中にカーネーショをあしらったのが良かった。
やはり中心になっているからだ
水がない状態でも
なかなかしおれない、強い花。
橙の万寿菊四輪土色の花瓶ににあう今日も見ゆかな
この花は田舎の農家のたましい女性をイメージする
日々農作業しているような女性である。
花も必ず人間をイメージする、その花にふさわしいと深く見ることになる
それが土色の花瓶とにあっていた。土と花があっていた。
普通は花だけを見ている、花は土から遊離している感覚になる
説明のようにこの花はなかなかしおれない強い花なのである。
一般に花は華奢な感じの多いがこの花は何かたくましいものを感じる
女性でも華奢な女性にひかれるがごつい女性は敬遠するだろう
でもなにかこの花はかえってそうした素朴な逞しい農家の女性ににあう。
なよなよとして華奢なかわいい女性がいるが女性もそれだけでは生きられないだろ
たくましさをもたないとこの厳しい人生はのりきれない
でもあまりにも無骨でたくましい女性は男性からは敬遠されるが逆にこういう女性を嫁にしたら男性は心強いものとなるだろう。
姉の岩長姫は、妹の木花咲耶姫とは反対に、体ががっしりとして、顔もみにくいものですから、邇邇芸のみことは岩長姫を送り返してしまいました。父の大山津見の神は、姉姫がしょんぼりして帰ってきたのを見て、ひどく胸が痛みました。邇邇芸のみことのお使いの者に、 「私が姉の岩長姫を付き添わせてさしあげましたのは、岩長姫がおそばにお仕えしますならば、天(あま)つ神の御子(みこ)のお命は、雪が降り風が吹いてもびくともせず、 永久に岩のようにご無事でありましょうし、
この神話はやはり木花咲耶姫だけでは家は栄えないことを暗示している。
農作業するにしてもその当時でも今でもやはり力仕事になるから岩長姫のような人でないとできない、華奢な体ではできないのである。
そういうことで結婚して失敗している人もいるだろう。
ただ美人でかわいいだけで何もできない女性もいるだろう。
ただ一人の女性でこの二つを兼ね備えている人はいないのである。
ともかく自分のテーマの一つが花であり自分の花の世界を作り上げることである。
人間は必ず若いときからつづけていれば一つのライフワークをもつようになる。
花の世界はこれは本当に広い、世界の花を究めることはできない
この花マリーゴーマルドであり万寿菊というのも知らなかった。
いかに知らない花が多いかということである。菊の一種であり四季に咲く
フラワーアレジンメントはバックとか花瓶が意外と影響する、それは別々ではなく一つの作品として作る必要がある。
だから花瓶はそれなりに数を用意して花に合わせる、そして必ず写真にとっておく
この花は強い花だから長持ちするからいい、他の花は枯れやすいのが問題なのである。
菊は枯れにくいから墓に挿すのに向いていた。
フラワーアレンジメントはやはり自然の花をアレンジして第二の人工的な花のバラダイスを作ることである。その構想はあるが絵の才能があれば示せるのだができない
でも一つの花の世界を作り出すビジョンが描き出しある程度は実際の花で現実化できるだろう。
花の問題はいろいろな所で花を咲かせているが長く見れないことである。何度も見れないので心に残ることが少ない
花は最低でも一週間くらい見ていないと心に残らないのである。
自分は高山植物でも見て歩いたしそれからフラワーアレンジメントに目覚めたのは最近だった。
このフラワーアレンジメントは自分が作ったものではなく合作だった。
花を買ってきてくれた女性が基本的に作り自分が多少手を加えたのである。
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