2008年07月28日

方言のもごいと酷い(むごい)の意味は?


方言のもごいと酷い(むごい)の意味は?

 

相馬弁の「もごい」には
@(「めごい」が訛った)「かわいい」
A(「むごい」が訛った)「かわいそう〜」

 
もごいは酷い(むごい)がなまったものだった。酷い(むごい)ともごいがなぜ共通しているのか?酷いな(むごいな)というときかわいそうだなということにもるのだ。なぜなら病院で瀕死の状態の人を見舞ってくれる人がしきりもごいな、もごいなと頭をなでてくれたからである。実際病人は悲惨な酷い状態にある。熱が出て最近はしゃべることすらできずただ眠っている。体もやせてきている。病人は酷い状態にありそれがもごいになったのだ。めごいはめは別な意味である。めんこいというとき面のめがちぢまったものだから別系統なのである。方言を使ったのは65才くらいの女性だった。ところが60才以下、団塊の世代になると方言を使う人は少なくなるかもしれない、それは団塊の世代はテレビ世代なのである。一番最初にテレビに接した世代なのである。ボクシングであり相撲であれ野球であれ最初テレビがでてきたとき食い入るように見ていたのである。テレビ世代ということは方言より標準語を耳にすることが多くなった世代でもある。
 

団塊世代といわれる50代後半〜60代の人たちでさえ、聞ける事はできても話す事ができる人は少なくなってきているようです。
沖縄には戦後、方言禁止、標準語励行の指導影響があったりして、ちょうど団塊の世代でその影響があらられているのではないかと思います。

 
団塊の世代から方言がなくなるかもしれない、これは地方の文化の大きな喪失になるかもしれない、標準語で離すのと方言で離すのは違う、方言にはやはり情がこもるのだ。もごいな・・・というときそれが理屈なしで情がこもっているのだ。そしてもごいとはまさに病院にふさわしい言葉だったのだ。あまりにも酷い(むごい)病人が過去にもいたからそれが転じてもごいなとな、かわいそうだなとなった。沖縄であれ地方で方言がなかったら地方の文化に接することが一つ減る、方言に接して土地の手形とか言われるようにお国訛りでその土地の出身地を知る。大阪、京都、奈良、和歌山、三重とかは一見同じように見えてもアクセントが微妙に違うのである。それで出身地がわかるのだ。東北弁はどうしても劣等感をもたらすもので馬鹿にされるから外では使わなくなる。でも地元ではやはり方言を使った方が情がこもる。ただもごいという方言はここだけではない広くあるから方言の基は古語だからそうなっていたのだ。五島列島とかの方言と相馬弁であれ東北の方言と一致していたのもそのためである。
 
方言によって出身地がわかることはその土地のことに注意が向く、ところが標準語になるとどこの出かわからない、大阪弁のように聞こえても近畿の人は微妙なアクセントでどこの出身か見分けられる。文化は多様であり一様化すると文化は消失するのだ。日本は明治以降急激な中央集権化で一様化しすぎた、画一化しすぎたのだ。標準語というのもその一つだった。そして今逆に文化の時代になったとき多様化が求められる時代になった。だから方言を失うことは多様化された文化の喪失なのである。ともかく郷土史研究には言葉の研究、方言の研究は欠かせないことは確かである。でもこれは本を読んだりしてもわかりにくい、これはじかに生活の場で聞かないと実感としてわからないのだ。だから方言が現実の生活の場から消えることは方言を聞けなくなることは方言のもっている文化を喪失するから深刻なものになる。実際今まで使っていないものを使うことはなくなる。団塊の世代からはこうした方言は使わないとなると現実そうなってしまう。言葉は生き物だから若者言葉が生れたように若い人と意志疎通もできなくなる。またそうした方言でもって意志疎通もできなくなっているから医者は方言を覚えて患者との意思疎通を図るべきだとかなる。まだ老人は方言の世代だからである。


 

posted by 老鶯 at 22:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)
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