2016年02月07日

冬の川子の高台(詩) (太平洋が見えるビューポイント)


冬の川子の高台(詩)

(太平洋が見えるビューポイント)

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冬の川子の高台


長々と寒雲の垂れ
太平洋の沖に一艘の船
川子の高台より見ゆ
なお津波の跡の生々し
その傷痕深く悲しみ癒えず
寥々としてなお残る樹
津波は塩崎の船着までも来たらむ
そは古代の港なりと、、、
万葉の歌にも知られし港と、、、
その時ここは入江にて船の来たりしと
津波は証しぬ古代はここは海なりと
川子の高台の墓地
北風鳴りて冬の陽は
阿武隈の山脈に没りて静まりぬ


川子の高台の道は良く自転車でゆく、電動自転車だから坂を上りやすい
あそこは歩いて上るほかない急坂だからである。
そこから海が見える、見晴らしがいいからビューポイントである。
意外と地元の人でないとビューポイントはわからない
旅をしても観光地でもわからない、あそこには墓地があり山を向いている

そして塩崎がありあの鉄道のトンネルをくぐって船着というところの近くまで津波が来たことには驚いた。船着とは古代に船が来たとして地名化した。
あんなに奥に船が来たというのも謎になる
それで万葉集の陸奥の真野の草原(かやはら)の草原は萱ではなく港の名前だという説を出したのが自分だった

陸奥(みちのく)の真野(まの)の草原(かやはら)遠けども面影(おもかげ)にして見ゆといふものを 笠女郎

陸奥の真野の草原遠けれど、、、となっていても草原を面影に見るということがありうるのか?それをインターネットで解説した。


ともかくまだ津波の傷跡は生々しく五年過ぎても癒されない、十年たってようやく多少癒されるのか?神戸では二十年たっても以前としてその傷をひきづっている
それだけの大災害だったということである。

川子の高台は森になっているがあそこもダンプがひっきりなしに通るようになったので森の静寂が消えた。この辺はいつまで工事がつづくのかわからない
津波の跡もそのままであり復興というのはない、毎日除染でありダンプがひっきりなしに通るから嫌なのである。

あの高台からはいつも太平洋を行く船が一艘見える、太平洋フェリーの船である。
あれには何回も乗ったからなつかしい、六号線でも太平洋フェリーのトラックが来ていた。
何か荷物を運び太平洋フェリーで運ぶのだろう。
あれは名古屋行きであり名古屋にも何度か行った。
北海道の苫小牧には十回くらい行っているのである。
それも介護になり十年以上は行っていない、今になると介護も終わりどこにでも行ける
でもなんか旅も億劫になってしまった。
何か人が混むところに行きたくない、ただ富士山だけは見たいなと思っているから
近々常磐高速道路をバスで東京まで行き新幹線で静岡まで行ってみたいとは思っている


タグ:川子の高台
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