なけなしの年金からひかれる
国民年金が二カ月で5万くらいしかもらえないのに5千円ひかれるのは大きい。一方10万以上もらっている公務員の年金からは6千円というのは少ない、ただ他に二万とかひかれるようになった。でもどういう計算なのかわかりにくい、年金を多くもらっている人はもっとひかれてもしょうがないが少ない人も相当ひかれる。そこがこの制度の大きな問題、どこが公平なのかわかりにくいのだ。
基礎年金80万で暮らしている老人が、
12万円の保険料を天引きされたあげく、
自己負担分が払えずに、
病院にも行けず、
介護も受けられないという皮肉。
なんのための保険料。
高齢者は国ではなく、まず自分の子供を頼るべき。そして次には近所の人を頼るべき。昔の人は人間関係を大事にしなければ生きていけなかった。
それが昔の日本を健全な社会にしていたと思う。
自分の子供に見捨てられ、近隣社会にも無視されて、国だけが命綱になってる老人ってキモイ。終わってる。個人が団結できずにバラバラになり、国とだけ繋がっていると都合がいいのは誰か。そうなるように仕向けてきたのはどの国なのかを考えていかないと。
年金生活保護の現金給付は原則廃止にして、
集合住宅で集団生活・炊き出し・当番制掃除になると思う。
収容に当たって私有財産は預託・没収。
正当な理由無く収容を拒む人には親族の支援や財産が十分あるものとして公的支援なし収容者には中高校生小遣い銭ぐらいは出してもいいんじゃね?
http://kirik.tea-nifty.com/diary/2008/05/post_d3eb.html
わかりやすくいうと持っている資産を
自治体に預ける変わりに生活費を援助してもらう
死んだら自治体が資産をもらうという形。
この形が良いんでしょうね。まあ、自営業の人は
資産を持っておく必要がありますが・
この意見は現実的だ。国でもはや何でもできないのだ。国ですると金がかかる。老人は何らか助け合うべきである。ただこうした近所の助け合いや家族で老人をめんどうみるとなると大家族制が喪失したことなどで無理な人がふえている。老人は買い物すらできなくなるがでは買い物をしてやるとなるとそれが個々に一人一人だと大変な労力になる。ヘルパ−を頼むにしても一人暮らしの人にするとなると労力が大変だし国でやるとなると金もかかりすぎる。だから老人はまとめて集団生活させて助け合い、援助すれば負担を少なくできる。大家族制度的なものがいいのだ。ただこうした集団生活は昔の村のような親密な社会だとしやすいが今の社会ではむずかしくなっている。蓮台野へ行けというときすでに昔はそういう考えが自然に老人の間にあり若い世代にも暗黙の了解があった。全部国にまかせるということは金がかかりすぎる。国で何でもできるわけがないことは確かなのだ。同じ病室に子供がいない人がいたりキ-ワ-ドで「遺産相続者が認知症の妻 子なし」という人がいたり頼る人もいない人もいる。そういう人も集団生活させてめんどうみれば援助しやすいのだ。
わかりやすくいうと持っている資産を
自治体に預ける変わりに生活費を援助してもらう
死んだら自治体が資産をもらうという形
自治体とは昔なら村のことなのだ。私も市立病院から町の病院で世話になった。そこで一番世話になったのは看護師なのである。何故なら下の世話から具体的に嫌なことをしてくれるのは看護師や介護士などである。親戚でも隣近所でも多少の援助があってもでは下の世話までするとなるとできない、病院で一番世話になったというのが実感だったからだ。昔は村の一員であり共同体の一員である自覚が強いしそうでないと生きられなかった。堅苦しい因襲的世界でもあった。そこが問題であり冠婚葬祭も簡素化された。それは良いことだったが村とか町とか市の一員となるという自覚は少ない、なぜなら規模的にも村も昔の江戸時代のような村の規模と今の規模は相当違っている。財政的にも国から半分援助されているとか自治体といっても具体的な一員として自覚したことがない、やはり市民とかの感覚がない、私の場合は特にそうなのかもしれないが国に頼る、国で何でもしてくれるということはできないのである。だから資産を自治体にあづけるというのは市であれ町であれ村であれ具体的に一体として生活する一員だという自覚をもつことになる。いづれにしろ高齢化社会は国だけに頼って解決するものではない、相互の助け合いが必要になる、強いられる社会である。でも日頃助け合いのない所に助け合いと言っても無理がでてくる。金だけに頼ってもできないのが高齢者の介護などの問題であった。ただ人は困ったとき困った人同志は助け合いがしやすくなる。これはみんなの問題なのだから自分は関係ないとはならないから考えるべきなのだ。
蓮台野(れんだいの)
蓮台野という地ありき、昔60を越えた老人はすべてこの蓮台野へ追いやる習いありき、老人はいたずらに死んでしまうこともならず、日中は里へ下りて農作して口に糊(のり)したり(遠野物語)
●特養などの施設は実質入れないから別な施策が必要だ
実質入れない特養などの施設は役に立たない、これからますます困る人が増えるのに
施設に入れる人だけがサ−ビスを受け税金を使う、選ばれた人だけに金を使う
それより大勢の人が困るのだから大勢の人にサ−ビスを受けられる方法を考えるべきだ
それは自治体だけでもできないから市民と自治体が相互に協力する方法を考えるべきだ
施設は一部の人だけのものであり大勢の市民のものではない
そこにだけ金を使うのは公平ではない!!!!!