退職してからは欲を出さない生活を
(年金で満足する生活が望ましい)
●年金が保証された人はそれ以上金を要求すべきではない
退職して退職金をもらいそれなりに年金をもらう生活になったら余り欲を出す生活はしない方がいい、退職しても働かなければならない人とか貧乏な人は別である。ここで問題にするのは平均レベル以上くらいもらえる人である。夫婦で20万以上とか年金をもらい貯えもある人である。団塊の世代で退職して企業してまた金儲けするのかと同じ世代の人にたしなめられた人がいたのもわかる。人間の欲は限りない、どこまでも限りない、退職して金の余裕があるならまた同じように利潤だけを追求する生活は見苦しいともなる。人間は欲をなかなか否定できない、金はいくらでもあっていいし、金だけが頼りだというのも現実である。でも退職したら欲を少なくするのがいいし他からもそう望まれるのが退職した人ではないか?年金でも少ない少ない、まだまだとれるとか結構もらっている人でもそういう人が多い、しかしそれは下の世代の過重な負担になっているのが現実である。そしたらますます若者に老人は嫌われる、そして老人を世話しているのは病院では若い看護婦のように若い人なのである。年金を保証するのは若い人であり若い人がかせがなければ年金も保証されない、その年金の額も莫大なものとなっているのだ。それが世界経済にも影響しているというから高齢化問題は世界的なのである。
高齢者が保有する年金資産等の余剰資金が、世界中の様々な物で運用されるため、
その余剰資金が投機資金として活用され、石油や穀物の値上げを促進するという結果に つながっているのだ。
人間にはいろいろな欲があるけどそれらを全部否定できないけどここで問題にしているのは余りにも金を要求する欲である。退職したら年金で保証されたらあとはそんなに企業を起したりして金をもうけるというより今までの経験を活かし社会に役立てるというのがにあう。それは人によって違う、それを欲なしでやるのがいいのだ。それがある程度できる立場にある。それがまたふさわしいのだ。まだまだもうけねばならない、これでは金は少ないとか言っていたらきりがないからだ。退職してから老人になってからやはりなるべく金を使わない生活がにあう、でも旅行したいとなると金がかかるから金が欲しいとなるが金はある人はしたらいいが何か社会のためにやりたいというとき金をあまり要求するのはにつかわしくない、退職したとき考え方を変える必要がある。会社のいるときのように公務員でも何でも一旦退職したら年金で暮らすようになったら金は年金だけであり年金は下の世代が働いて出さない限り維持できない、その年金が莫大なものになるとき世界経済にも影響するようになる。金がある人は金を使ったらいいのだろう。でもまた金を稼ぐということはにつかわしくないのだ。年金が貯えがそれなりにあるならまたそれ以上稼ぐというときどこまでも欲を出してゆくとき問題である。金のある人はその金は使ってもいいがさらにもうけようとすることはあまりしない方がいい、適度に株などを投資をやるのはかまわないがこれも度を越して欲を出すと問題が起きる。他から見ると年金をあんなにもらっているのになぜまた金をもうけようとしているのだろうと見える。何を言っているのだ、年金すらまともにもらえない人はいくらでもいるのに・・・というのも現実だがそういう人のことではなく年金を20万以上とかもらえる人である。そういう人も年金がたりないとか要求するのは問題だと指摘しているのだ。
●老人は物質的価値より精神的価値の追求を
老人は物質的欲に生きるのを卒業してより精神的世界に生きるようになるのではないか?若いときはどうしても物質的価値を追求する。高度成長時代はそうだった。テレビが欲しい、車が欲しい、家が欲しい、マイホ−ム獲得するためにがむしゃらに企業戦士として働いた。しかしそれらの欲望はみんな達した。誰でも今はもっている。そういう物質的価値の追求が終わったときあとは精神的価値の追求に向かってゆく。例えば介護などで追求する価値は物質的利益、価値を生まない世界である。そこで追求されているのは優しさとか助け合いとか慰め合うとか競争社会とは全く違った世界なのである。こういうところでは一もうけしようとすることはあわないのである。利益を度外視してやれないことも確かだがそこで追求している価値観が違っているのだ。他に文化的な価値でもそうである。文化的なものはそもそもあまり金になるものではなかった。だから出版の世界ではベストセラ−ばかりを目指しているような出版社は文化に寄与するところがほとんどないのだ。文化的に価値が高いものでも本は売れないしまたインタ−ネットでアクセスがあるとは限らない、やはりここでも低俗なものがアクセスがあるのだ。そしたらそこで宣伝するもので金になるということがある。インタ−ネットでもあまり欲を出すのも問題だなとも思う。退職したら会社人間の価値観から別な価値観に生きることが強いられているのだ。でも実際は以前として会社人間としての価値観、利潤追求などの価値観にしばられる。なぜならそうした価値観で生きたものが別な価値観、今までの逆な価値観で生きることはむずかしいからだ。ボランティアしろと言ってもどうしていいのか皆目わからない場合も多いだろう。でも退職した人、年金生活者、老人は一般的にそういうことを要求されているしにつかわしいとなる。療養型病院に入っている90近い老人が「私は金をためていたからこうして病院で世話になることができた」というが実際は療養型病院でも月7万くらいで安いのである。しかし実質は月30万かかっている。とするとその人だけの収入では病院にも入れないのだ。その金は全国民の特に若い人の負担になる場合が多いのである。現実世話しているのは若い看護婦や介護士なのである。そして認知症の人がその看護婦に毎日毎日大きな声で「お願いします、お願いします」と言っていることでもわかる。若い人に世話になるから認知症になってもそう言っているのだ。俺は金が年金がある財産があると威張っていられなくなるのが老人である。それはリア王と同じである。権力に固執して権力で支配できることはできないのだ。そういう老人は嫌われるのである。だから老人は欲を出しすぎることは良くないのである。
●注意
20万以上とかは田舎のことであり都会ではまた事情が違う
これはあくまでも目安です、どのくらいが欲が出しすぎるかは
違ってくる。平均がどのくらいになるかでも違ってくる。
田舎では20万以上だと多い額になるから
年金で十分満足して暮らしています。有難い世の中です。
一茶の英語俳句に俳画を描いて、イターネットに載せています。何とか外人に日本の風俗、江戸の雰囲気を判って、一茶に共感して貰えればと、無い知恵を絞っています。
今日の一句一首は大変参考になります。
有難うございます。
作雄
一茶の俳画と英語の俳句を拝見しました。
忙しくて他のプログはみていませんでした
コメントにも答える余裕がありませんでした
一茶の俳句を外国に紹介している
コメントも外人からきているのに驚きました
これもインタ−ネット時代の情報革命だなと思いました。
俳句の国際化はむずかしいようですが絵から理解されるので有利ですね
「穀留の関所を越える鶉かな」
穀留というのがわからずインタ−ネットで調べたら一発ででてきました。江戸時代は背景がわからないと俳句も理解できない、これはグロ−バル化の現代にも通じていたことだった。
ずいぶん書いて描いているので感心しました。
英語も自在にできるのでうらやましいです
英語で俳句を一部翻訳していますが
英語力がないのでうまくいきません
ともかくインタ−ネット時代−世界に日本の文化を紹介することは有意義です
また拝見させていただきます