2015年12月07日

年の暮(ここ約十年の苦しみをふりかえる)


年の暮(ここ約十年の苦しみをふりかえる)


朝空にノスリの鳴きて冬樹立つ

我が家を一人にないて年の暮

原町へ買い物忙し年の暮

路地裏の道に目をとむ冬の菊


ノスリは鳶とにているけど違う、鳶が輪をかいて回るような飛び方をしない、グライダーのように水平飛行する、飛び方としてはこっちの方が恰好良くみえる
ノスリが増えたのは荒地化してネズミが増えたからである。
以前としてこの辺は荒地が広がっているからである、それで餌になるネズミが増えた
ノスリの鳴き声は鋭い、ピーと鳴いて水平飛行である。
そのノスリの声がひびき冬樹が農家に立っているのも冬らしいとなる
今年はまだ暖冬であるが冬は冬らしい方がいい、日本から四季がなくなったら俳句も文化もなくなる、そしたら日本に生きる魅力もなくなるのである。


自分は姉が認知症になってから介護に追われた、
2005年11月29日開始からプログを開始して2006年に姉が認知症になった
その年は南相馬市が合併した年だった。その合併のことが話題としていた。
ほぼ介護を始めてから十年がたつとなると一昔ともなる
その間はプログに書いてきたようにさんざんな目にあってきた。
自分自身の病気でも辛かったし助けてくれるものはなくかえってその弱さにつけいれられて借金とか犯罪とかにあった、病院では虐待のようなこともされた。
何しろこうして弱さにつけこまれて責められるのは一番辛い
弱点を責められるのが人間は一番弱いのである。
ところが人間の悪質さはそうした弱さにつけこむのである。
そういうとき一番カルト宗教団体でも効果を発するのである。
それは個人でもそうである、相手を奴隷のように従わせることができる
ただ自分を責めてきた人たちも追い詰められていたのである。
借金とか貧乏で追い詰められていた、まず人を雇うとき借金していないかどうか調べるというのは当然である。借金が一番犯罪のとを気になっているからだ。

ただなぜ自分がこんなひどいめにあったかというとこれもカルマだった、自業自得だったのである。結局自分は20代はそれなりに苦しんできた
そんなもの苦しみではないというかもしれないが自分にとっては苦しかったのである。
その証拠にもともと体力がないにしろ体が非常に消耗していたのである。
それですでに20代で60代に年寄りに見えたのである。
それだけ20代ですでに体を消耗していたのはやはり苦労していたのである。
30代からは故郷に帰り楽していたから体力を回復したことでもわかる
その後30年間は平和がつづき旅などに費やされて苦労していない
それは家族に恵まれたからであった。
自分は何もすることがない、三食は用意されているし家事などしていないのである
それが一転して家事から介護から自分の病気でも誰一人みる人もいなくなったのである。結局これも自分が30年間楽した結果だったのである。
人間も楽することもあとで辛いことに直面したら耐えられなくなる
お嬢さん育ちとかなる苦難に直面したら耐えられない
美人であっても苦難になると弱い女性がいて夫を支えられなくなる
苦難に強い女性がいるがそれは美人でない場合が多いかもしれないからだ。
だから人間はつくづく何がいいのかわからないのである。


人間は例えば生れが良くても金持ちに生れたからといってすべてがいいとはならない
恵まれすぎるとあとで苦難をのりこえられなくなる、だから人間はどんな境遇の人でもカルマをもつ、それは必ず60代以降とかに現象としてそのカルマが現実化する
結婚するとかもそうである。結婚の意味が自分にはわからなかった。
結婚しないと妻がなかったり家族がないとどれだけ辛いことになるか身をもってしった。だからこれもカルマである。もちろん結婚していても離婚している人が三分の一もいるのだからやはりカルマをつむ、
ともかく人間は必ずカルマを一生の間にもたない人はいないのである。
ただそのカルマを自覚しえないだけである。それが60代以降必ず自覚させられる
それは自分が身をもって体験したことを書いてきた
一生の間で恵まれつづけるということ楽しつづけるということはありえないのである。
それで苦労してきた人は60代以降は楽になる傾向がある
大正生れとかは苦労した人が多いから今は手厚く介護されているとかある
でも団塊の世代とかなると恵まれていたからもう手厚く介護されないとかカルマを受ける人間は楽したいと思ってもその楽が苦労につながる、どこかでその楽したことがカルマとなり苦労することになる、それが自分でも身をもって体験したのである。


今日は原町に買い物に行き病院に行き疲れた。自転車だとやはり疲れる、そして家事というのは仕事があるものだと思った。
震災以後以前として家をかたづけられない、それでゴミ屋敷が話題になるが一人暮らしとかはそうなりやすいのである。
いくらかたづけてもかたづけてもゴミがでてくるしかたづけられないのである。
母が死ねばかなりかたづけられる、自分のものだけでもかたづけることが容易ではない
だから震災以後家事に追われ介護に追われてきたのである。
その間病気になったから余計に追われことになった。
病気が直っても今度は母の介護があったからかたづけられなかった
要するに感じたことは家を受け継ぐことは一大事だったのである。
財産でも何でもそうだった。その残されたものを維持することがこれほど労力を費やすものかとつくづく思った。
事業しても二代目がつづかないのはそれだけの能力も必要だし一人ではできない
自分の場合は全部一人でになうことになったから大変な重荷となったのである。
ともかく今年も終わりに近づく、結局母がどうるなのかわからないし以前として何か追われつづけているのが自分なのである。





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