2015年12月02日

宗教の危険性は心を支配されこと (師すら従うことは心が奴隷化される)


宗教の危険性は心を支配されこと


(師すら従うことは心が奴隷化される)


あなたの救の喜びをわたしに返し、自由の霊をもって、わたしをささえてください。(詩篇51篇)

 あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。(ローマの信徒への手紙)


現代の宗教ではこれを守ることが大事になっている、宗教の最大の危険は必ず奴隷の霊を受けることになっているからだ。
人間は経済的に困窮すれば借金などすると奴隷のように働かされる、昔だったら借金のカタとして遊女にされたとかなる
もうその時有意義に働くなど考えることもできない、身は奴隷にされる
もちろんそうでなくても今は金の力で俺たちは奴隷なんだよと働いている人が多数になった。それは望んでいない働き方だからである。


そして意外と軽く考えているのが霊的に奴隷になることである。霊的だとかあまり重大に普通は考えない、日々の生活では日々のパンを得ることの方が大事でありそうして毎日働いているのが現実である
だから人間は容易に霊的な奴隷になってゆく、例えばなぜこれほどカルト宗教団体に入る人が多いのかということである。
それは何か利得があり利益があるということで入る、でもそこは宗教が関係しているから精神まで奴隷化されるのである。
宗教になるとあらゆることに宗教をあてはめる、お前が貧乏なのは信心がたりないだとかお前が病気なのも信心がたりないのだとか、相手に対しても罰が当たるだとかなんだとか宗教を利用する、それがカルトである。
カルトが怖いのは精神が支配されるからである。
オウムが最もその宗教の怖さを現実化した、殺人することも宗教で肯定された、イスラム教でも殺人も神のために肯定されてテロになる
宗教の怖さは殺人でも肯定されて正しいことをしているとなるから怖い
そういうふうに心が支配されることが怖いのである。
そして心が支配されるからたえずおびえるようになるのだ。
罰あたるとか地獄に落ちるとかそういうことを頻繁に言うようになりおびえるようになるそれは心が支配されるからである。


そういうことを別にカルト団体だけではない、個人でもあったのである。
自分が病気で苦しんでいる時、借金している人が脅迫してきたりそうした不安状態につけこんで支配しようとしてきた。
つまり弱者化すると容易にそうされやすいのである。様々な困難に直面して苦しんでいるときカルト宗教団体の餌食になりやすいのである。
そういうことはまた団体だけではない、個々人にもあるのだ
四国の遍路で出会った人はホームレス化して遍路している人だった。
その人に金が余っていたので一万とかくれることにした。
そしたら簡単には受け取らない、何か人間はくれるとなると素直に受け取れない心理がある、貸してくれというときは返すから貸してくれと言っているのである。
でも実際は貸してくれと言ってまともに返す人はほとんどいないのである。
でも自分は返すから貸してくれと言っている。金をくれろとは言えないのである。
でも借りることは金をくれろとほとんど同じなのである。


そのホームレス遍路はそうなってからまもない人だった、そしてその金をもらうと言う
そしてお経のようなものを唱えたのである。
それはお返しのためであり、それは一つの御布施のようにしてもらったとなる
となるとただもらったのではない、御布施として与えられたとなるからである
それもその人は何かでホームレスになったのであり宗教など何の関係もないのである。
ただ切羽詰まって宗教を遍路している内覚えて唱えるようになった
これも実際危険なことである。その人はそうして信仰など関係ないのに何か与えられたらもらい信仰もないのに相手にお経を唱える
その相手はかえってそのために感謝までしてければならなくなってしまうだろう
そして何よりそうしたなら心がお経を唱えられることによって支配されることになのである。
何か昔から僧となり行脚する人にはそういう人たちが相当いたことは確かである。
修行僧とか禅宗にはそうして全国を歩き回る人たちがいた。


でも別にその家々で個々人でもそんな信仰もないとしたらお経を勝手にあげられることも迷惑だとなる
そういう人は宗教とは何ら関係なく日々の糧を得るためにそうして乞食ではない、自分は尊敬される僧であり布施をもらうのが当然だとなっていたのである。
そして何か布施しないものの家は悪いことが起こるとか呪うようなこともしていたのである。
とにかく何か宗教というのは何が真の宗教なのかわかりにくい、何かうさん臭いの宗教である宗教者になる
戒名などでもうける檀家宗教もそうである。それもそれなりに有効なのは宗教は来世でも何かわからないからおびえるからそうなる、その不安につけ込んで商売している
そういうことは先祖の霊が悪さしているとか先祖供養しろとか除霊だとかいうのも心を支配して商売にならかである
人間は弱いものだし様々な不安をかかえるから心まで支配される


そして宗教というとき必ず師についてまず学ぶ、これもまた現代では危険になる
師が絶対化して服従するだけになる、師弟不二とか言うことになりそれは師のためなら命までささげることになるから怖いのである。
池田大作とかオウムの浅原のような異形の妖怪のような人間を仏とか神とかまで祭り上げる、つまり偶像崇拝になることが宗教では一番危険なのである。
イスラムで絶えず偶像を否定しているのはそれなりに宗教の本筋をついているのである。師というとき師と同じになることではない、師はあくまでも今は一つの指標であり越えてゆくべきものである。
師に学ぶべきものがあってもそれは一つの一時的な過程にあるものであり絶対化はできない、師はむしろ弟子によって否定されて弟子が新たなものを作りだすことである
それは教会とかの牧師でもそうでありそういうふうに何であれ師にすることは危険なのである。
奴隷の霊を受けることになるからだ。だから教会にもゆくべきではないとなる
だから自分は一回も教会に行ったこともないし説教を聞いたこともないし聖書すらまともに読んでいないのである
何かの団体の会員になること自体が奴隷化しているのだ。会員だということはもうそこには個はない、同じユニホームを来た団体化したロボット化した会員である
そういうものにはもう誇りもなにもないだろう。ただ右向けといえば右むくだけであり
それがボアしろとか言われて殺人までになるから怖いのである。


一方で現代はもう師など求めない時代でもある。水平化の時代でありみんな同等だ同じだという社会でありそれが民主主義だとなる、それはキケルゴールが言ったことである。
しかし大衆とか優れていない普通の人が師なくして自立することは相当にむずかしい
どうしても何かに人でも頼らざるを得ないから結局カルト宗教団体がなくならないのである。
宗教の怖さは何であれ間違っているにしろそれが人間の心を支配するからである。
ホームレス遍路でも食いつなぐためにお経を唱えて糊口をしのぐことをしている
そんなものでも唱えられることによって心が支配される
だから宗教は金をとることによって成り立つこと自体が邪道だともなる
それで平民宗教を内村鑑三などが唱えた、牧師とかではない僧侶ではない、普通に社会で働いて信仰することが推奨されたのである。


ともかく人間は切羽詰まってくると危険なものとなる、たいがい推理小説のドラマで借金に追い詰められて犯罪になっている。
借金に追われた人間は何でもするようになる、モラルも何も喪失してしまうから怖いのである。
追い詰められて信仰心もなにもないのに他人にお経を唱えること時代相当な宗教的罪だろう。この罪も相当に大きいかもしれないがあまり問題にされない
宗教が悪とか犯罪にかかわると何かややこしくなる、それは戦争でも宗教戦争になるとややこしくなると同じである。
日本の戦争にしても天皇を神とする宗教的なものがあった、御国のために死ぬものは英霊になる、神になるといういのも信仰である。
成仏するとか創価がこだわるのもそうである。アラーアクバルとなかて自爆するものそうである。
宗教の誤謬が謝った信仰が看過できないのは非常に危険な要素をはらんでいるからであるつまり誤ったものでもそれが大きな力ももつことができるから怖いのである。

だからフランスの革命は宗教色を払拭しようとした、「博愛、自由、平等」には宗教色がないのである。
それは二千年のヨーロッバの歴史がカトリックの政治化で宗教支配にこりたしその悪弊があまりにも大きかったからである。
本当は間違った宗教は禁止されなければならないのかもしれない、そうなると信教の自由の弾圧だとなるがそれもまた逆にカルト宗教団体は相手の信教の自由など認めない
思想的宗教的にもかえって弾圧する方になっている、第一何百万の会員の圧力がすでにそうなっているのである。
それが政治的圧力ならいい、宗教的圧力となっているから心まで支配しようとしているから近代の社会に適合しないのである。
宗教と政治と経済でも分離すべきものなのだろう。
政治的権力を得て経済的権力を得てカルト教団に入れとか就職斡旋するから入れとかそうした強要は信教の自由に反している
信教の自由が保証されているというときなぜかるとカルト教団が信教の自由の故に公認されているかを知るべきである。
本当はそうした政治的権力や経済的権力を行使できるものは信教の自由に反するのである。
民主主義だからといって何でも自由ということではないのである。
それがなぜ言うかとなると必ず後の災いとなるから守らねばならないのである。



タグ:宗教の危険
posted by 老鶯 at 18:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 聖書の言葉と詩など
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