2006年11月09日

陸奥真野草原考−補足

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陸奥の真野の草原遠ければ面影にして見ゆというものを(笠女郎)

東(あづま)の国に 陸奥(みちのく)の 小田なる山に 黄金有りと 申したまへれ 

すめろきの御代栄えむと東なる陸奥山に金(くがね)花咲く(18-4097)-大伴家持

「陸奥国小田郡(現在の遠田郡の東半分)」 小田なる山とは小田郡内にある山なのだろう。ここではそれでも小田郡となっていれば郷よりは広いのである。真野郷は行方郡内にあり草原(かやはら)がさらに真野郷の中の一地域名としたらいかに狭い地域がクロ−ズアップされたかとなる。ただ陸奥は最初の時は陸奥(みちのく)としての広大な未開発の荒野のようなイメ−ジとして中央から見られていた。そういう広大な未開の地域で何に脚光があびるかとなれば何かの資源がある、特に黄金となるとこれは注目される。だから小田は知られるようになった。鉱物資源はその鉱物がとれる所が小地域が重要になるからだ。では真野郷自体が郡より小地域であるとするとそんな小地域が奈良の都の人に知られるようになったのか?それが最大の謎だとなる。鉄がとれたからとなるがそれにしても黄金がとれる小田ならわかるが果たして鉄資源がとれるだけで奈良の都にこうした小地域が知られるものだろうかとなる。ヤマトとという地名さえ奈良の中の一小地域名でありそれが国の名までになったのだから一小地域でも重要な場合がある。

越の名の起こりは、越後国古志郡に由来すると考えられている。小地域の地名が拡大する例は多い。むしろその方が普通である。
和名抄に越後国頸城郡沼川郷が見える。沼川は万葉集には渟名(ぬな)川とある。渟名川は「瓊(に)(玉、赤色の玉のこと)の川」の意である。糸魚川市の西で日本海に注ぐ姫川の支流の小滝(こたき)川をさかのぼると、ヒスイの原石が出る。沼河比売は「瓊の川姫」すなわちヒスイのシンボルの女神にほかならなかった。

http://www2.hokurikutei.or.jp/backnum/99nov/ZH_Folder/ZH2.html

これもヒスイという資源の故に有名になった。ここでは越後国頸城郡沼川郷であり沼川郷は真野郷と同じくらいの地域である。しかしさらに草原(かやはら)が地名だとするとそんな狭い地域が奈良の都まで知られるものだろうか?そこがこの歌の最大の謎となる。つまりそんな小地域がなぜ奈良の都の人々に知られたのか、なぜ笠女郎が知るようになったのか、それは真野−草原が一般的に知られていたからそうなのか、ただ大伴家持を面影の人としたとき小田郡の山に黄金がとれたことを歌っていることは重要である。大伴家持と何か特別な産物がとれることがその土地を知らしめることは世界でも多いからそうした小地域の名が知れ渡ることになる。シルクロ−ドでもシルク−絹が通る道だから絹があってこそシルクロ−ドは世界に通じていたのである。

百済王敬福(くだらのこにきし・けいふく、697〜766)の孫娘・明信(みょうしん)を正妻としていますが、上の系図でもお分かりのように、大伴家持の妹も妻としているのです。そして、敬福が東大寺の大仏様のために、東北地方から産出したとされる大量の黄金を、誠に絶妙なタイミングで帝に捧げたとき、次の歌を詠んだ人が家持だったことを、皆さんは覚えておられることでしょう。

黄金のトライアングルhttp://www.ten-f.com/ougonno-torio.htm

大伴家持と百済王敬福は親戚関係にあったからこそ詳しい陸奥の情報が入ってきていたのである。その関係で陸奥の真野郷の情報も奈良の都に伝わったことは考えられる

黄金がとれたのは遠田郡の小田である。その小田に嶋田村があったということは泉廃寺跡の嶋□郷は嶋田かもしれない、その他遠田郡には真野公遠田郡で真野公営山47人が賜姓された。こう考えると嶋□郷は嶋田郷であり□□白人は高麗白人かもしれない、高麗福信という人がいたからだ。つまり製鉄や黄金をとる人々が渡来人中心にして移動してきたのだ

真野郷にいた産鉄の技術をもった一団が小田郡に移って行ったのだ。その指導をした百済王敬福と大伴家持は親戚関係だったから奈良に情報が伝わり真野が知られるようになった。ここでも渡来系の技術者集団が深くかかわっていたから草原(かやはら)がその百済の前の加耶国が地名となったかもしれない、草原はまた移動地名だから草原(かやはら)は萱の原だったというのはやはりありえないだろう。鉄資源とか黄金を求めたゴ−ルドロ−ドの一地点として真野の草原がありそれは小田郡へ通じていたし小田郡へ黄金を求めて真野−草原から移動して行ったのである。

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陸奥真野草原考−補足
http://www.musubu.jp/kashimamanotakuma1.htm
posted by 老鶯 at 23:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)
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