2008年07月10日

文目咲く道

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この道のゆく人まれに松一本草むら深く文目咲くかな

介護になると行動範囲が狭くなる。毎日病院に通うことも一つの仕事である。それで最近この近辺しか行っていない、行けないのだ。仕事じゃないが自由がなくなる。実際この二年半は一日も外泊できなかった。今もそうである。こんなこと考えられなかった。介護は拘束される。同じ道を通うのが日課である。六号線の脇の道はほとんど人が通らない、今年も草むら深く文目が咲いた、菖蒲と文目は違っている。乾燥しているところに文目は咲く、文目は自生しているのも違っている。ともかくここは落ち着く道である。喧騒を離れた道である。
そういう道が田舎には多いから珍しくはない、信頼すべき松一本があり文目が隠れるように咲いている。
老人になるとめまぐるしく変わる世界より変わらない世界が心落ち着くものとなる。特に認知症になると同じものが今までつきあっていてなじみの世界が精神を安定させる。人間には精神を安定させる場が必要なのだ。都会にはそうした場がない、めまぐるしく変わる世界なのである。癒しの場がないのだ。そこでは精神が消耗してしまうのだ。
 
artrageというソフトを買った。そのソフトでこき絵を描いた。何度も言っているように絵の才能ゼロでも絵らしいものがパソコンだと描けるものだと不思議である。ソフトによりタッチの感覚などが違っている。これもただ筆を走らせていたら抽象画ではないが絵らしいものになった。ソフトによって同じ字を書いても違ったものになる。これはソフトの働きである。だから今度はソフトとソフトを組み合わせて抽象画を作ったりする。一つの化学反応であり実験しているようなものである。これはいいなこれは・・・だと名前をつける。抽象画だから名前はいろいろつけられる。見るものによって違って見える。思うにeducationのeducateは引き出すだから才能とは引き出す、開発しない限り才能はそもそも発見されないのだ。才能は生まれつきではない、後天的に作られる度合いも大きい、天才は別にして一つのART(技術)が生れたとき新しい芸術の分野が花開いていることでもわかる。パソコン-インタ−ネットは今世紀最大の発明だったことはまちがいない、それは頭脳と深く関係したものだった。物理的な発明がこれまでの発明だったがこれは頭脳と関係していたのである。
 
結局自分の場合、30年間旅したことがそれが旅に通じることになった。旅というのもこうして長くしてみないと旅とは何かもわからない、俳句、短歌などもそのなかで才能が開発された。才能がなくてもその間が長いといづれそれなりのものができくるのだ。人間は天才でない限り才能を引き出す開発することに時間がかかるのだ。思うに才能はあっても引き出されないことが多い、学校では高校も落第するくらいであり勉強はつまらないのでしたくなかった。興味をもって勉強したことがなかった。かえって学校を出て勉強したことが多かった。ただいろいろなことを身につけることが遅くそのうちあっというまに年とってしまったのだ。才能は天才でない限り棚からぼたもちのように落ちてこない、才能は開発しない限り発掘されないのである。その証拠がパソコンのソフトの操作での抽象画の創造だったのである。第二芸術にしてもやはり自分で楽しめない限り芸術は身近にならない、鑑賞にしても批評にしても自分なりの個性ですることがあって芸術も自分のものとなるのだ。
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