2008年07月09日

中仙道の俳句(月が友)

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中仙道の俳句(月が友)

旅行くや中仙道は月が友
 

宿いくつ中仙道や月の宿

夕月や妻籠の宿の物干し場

夕月や妻籠に泊まり明日馬篭

 中仙道ぬけて恵那にも月添いぬ

月あやし恵那に奇しくも野宿かな
 


俤や姥ひとり泣く月の友 
(おもかげや おばひとりなく つきのとも)


十六夜もまだ更科の郡かな 芭蕉

桑の実の 木曽路出づれば 穂麦かな 子規
 
馬籠下れば山間の田野照稍々開きて麦の穂已に黄なり。岐蘇の峡中は寸地の隙あらばここに桑を植え一軒の家あらば必ず蚕を飼うを常とせしかば、今ここに至りて世界を別にするの感あり
 
中仙道と東海道は太陽と月のように対象的な街道だった。東海道は太平洋沿いの道であり山をぬうて行く中仙道とは余りにも違っていた。川止めがあり中仙道を通るようになった。中仙道は今でも江戸時代の面影が残っていることである。東海道は途切れ途切れにしか面影を偲ぶことができない、それより大都会を通るので昔のことがわかりにくいのだ。高速道路を通ったりしたら全然昔の東海道のことはわからない、中仙道は山深い道を行くから変わらない昔を偲ぶことができる。妻籠ではまるで映画のセットにでも使えるように昔の宿場町を再現した。中仙道は三、四回も行っている。夏には自転車でも行っている。旅はまず二三日の旅は旅にならない、それは保養と休養であり旅ではない、だから現代で旅することは勤め人にはむずかしいのだ。いくら新幹線で遠くに行っても旅ではない、それは移動なのである。物理的移動にすぎないのだ。昔の人は遠くに行くこと自体旅だった。歩いてゆくのだから隣の町に行くのも旅になる。行き帰りを計算すると時間がかかるからだ。旅は長くないと旅にならない、子規の書いたように妻籠を越えると馬篭になりここから山間の野が開けてくる。山深い中仙道をようやく出たという解放された感じになる。山の影なす暗い中仙道をぬけて明るい開けた野に出てくる。ここから名古屋へ東海にも通じている。美濃から尾張への道でもある。実際自転車では名古屋から太平洋フェリ−で仙台に帰る道だったからだ。妻籠から峠を越え馬篭まで歩きそこから見下ろしたたら道がなおつづいている。この道は国道ではない、細い道である。ここからさらに道がつづいている。それは確かに明るい穏やかな春の日だった。旅とは道をどこまでも行くことなのだ。道とは未知なのである。道を行く限り未知の世界は延々とつづいているのだ。
 
馬篭に出道なお遠し春の昼


I came out from Tumago to Magome
I am on my  travelling way in the distance
at noon in spring


 
この時ただこの道を見下ろしただけであり行くことはなかった。子規も自分と同じことを感じていた。穂麦の畑がつづいていた。その頃麦畑が多かったのである。
 
十六夜もまだ更科の郡かな 芭蕉
 
この句も歩く旅なら長い旅をした人なら実感としてわかる。江戸時代は特に関所がやたら多いのだから特にそうである。なかなか一郡を出ることができないのだ。しかしそのなかで十六夜の月を十分に味わうことができたのである。スロ−だからこそ自然のリズムともマッチできたのである。とにかく早い旅は印象に残らない旅となる。今は記憶をたどる旅をしている。するとどれだけ記憶に残った旅なのか、それによって書くことも左右される。馬篭から十曲峠を通り美濃に出て尾張に出てきた。馬篭から恵那に出てそこで野宿したことがあった。その時月が出ていた。それが印象に残っていた。月が中仙道からここまでついてきた感じだった。

送られつ別れつ果ては木曽の秋」でもあった。中仙道は月がにあう街道であったのだ。
 
数をつくし、おのがあやしと思ひし事ども*話しつづくるぞ、風情のさはりとなりて、何を言ひいづることもせず。とてもまぎれたる月影の*、壁の破れより木の間がくれにさし入りて、引板の音*、鹿追ふ声、ところどころに聞えける(更科紀行)

これは旅での出合いを語っている。旅で出合う人は語ることは何ともいえぬあやしさがある。特に江戸時代は旅であう人は現代であう人とは全然違っていた。異色の人と出合うことが多かったのだ。現代で出合う人はたいがいサラリ−マンでありビジネスマンであり仕事の人と出会うことが多い、まず旅している人とは出合わない、旅ではなく保養に来ている人である。バイクとかで旅している若者はいるがこれも一つ屋根の下でこのような話になることはない、つまり旅は常にせかされた早すぎるものになっている。バイクも早すぎるのである。若者も旅をしているというより移動している人が多いのである。江戸時代に旅の宿であったような経験をできないのである。まず旅で印象に残るような人とは合わないからだ。現代では人は簡単にあうことができるから一期一会の出合いもない、合うことが余りにも簡単だから人の貴重な出合いもなくなったという皮肉があるのだ。
 
旅行ける人影留む恵那にあれ月のあやしく野宿せしかな
 
なぜかここに私も月によって留められ一夜野宿したのである。これもバイクだったり車だとこうはならない、自転車だとなかなか先に行けないということがある。歩きだったらさらにそうである。バイクだったらどこかの宿を求めることは簡単である。留められることはないのである。ともかく旅でも記憶の旅となるといろいろ再構築する必要がでてくる。その時どれだけ印象に残る旅をしたかがわかる。インタ−ネット時代は写真は豊富だし簡単な説明はいくらでもでている。だからあの辺どうだったかなと調べてみるとその場所の写真は必ずでているし説明もでていて書きやすいのである。ただ恵那と伊那を混同していたように記憶はあいまいになってしまうのだ。
 

今回の中仙道は月をテ−マとしたが次回はまた別なテ−マで書いてみよう
プログはこまぎれに書くことになる。短いから書きやすいというのもある。ただ余りにも断片的になりやすいのが欠点である。

 
 

写真はとりあえずここに

 

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