2015年11月12日

病院や病人や介護の仕事が中心の地方は異常 (この世には警官でも医者でもいない方が健全である)


病院や病人や介護の仕事が中心の地方は異常


(この世には医者でも警官でもいない方が健全である)


この世には因果な商売、ブラックなものが多い。本当にそんな職業などない方がいいのである。
病気になるとどうしも医者に頼り薬に頼り看護師の世話になる。
それで今は何でも商売だからいらない薬まで出して金にしようとする。
それが悪いというのではなく病気を相手にすればそうなるからである。
そしてそこにはどうしても過剰な薬とかいらない治療までする
それは金になるからである、病院や医者は健康にするのが目的なのだが皮肉なことにみんなが健康だったら病院は成り立たないのである。
本当はなるべく病院や医者にかからないで薬も飲まない方がいいのである。
でもそうなったらどうなるか?医者も病院も薬もいらないとなると医療関係の職業は失業するのである。


ずっと一年間口が渇いていたのは鼻腔がまがっていて鼻で呼吸できなかったからである。舌も乾くので唾液が出ないのかと思ったらそうではなかった。
口が渇くというだけで実際はいろいろな病気があるからこれも素人判断は危険だった。
なぜ自分がこうなるかというとなかなか病気をみてもらう余裕が時間がないので自分ですまそうとなる。
前の時もそれで失敗した。自分で介護などするようになると時間がないので自分の病気をみる時間がなくなるからそうなる
病院に行くのは手間になるからである。たいがい原町とかなると車もないから簡単に行けないのである。
今日は耳鼻科の開業医に行って良かった。口が渇く原因が明確にわかったからである。
それで鼻の治療をすれば鼻で呼吸できるようになれば直るとなる。
もともと自分は高校のとき二回も蓄膿症の手術をしている。だから自分は何か頭が冴えない、勉強にも集中できないので学校は嫌いだった、成績も悪かった。
鼻が悪いとこれは頭に来るので集中力がなくなりなにかだめだった。
自分は高校のときなにか本当に体力もなくだめだった、それでも大学に入れたのは三流大学だったからである。高校さえ卒業できない状態だった。
鼻腔が曲がっているとかは今は別に手術しなくても直せるというから治療もすでに四〇年以上たてば変わっているのである。医療の分野は日新月歩だからである。
だから病気はまず医者にみてもらいそのあとにその方面の情報を仕入れて対処するほかないのである。


原町辺りでもそうだがともかく病院が街の中心にある、この辺では高いビルはない、ビジネス関係のビルもない、それで南相馬市病院は一番高いビルであり入院していたとき海が広々と見えて船が行くのが見えた。
つまり地方では病院が一番高いビルであり目立つ、原町の駅前の小野田病院、大町病院などが街の中心のように見える。その回りに薬局がまた多いのである。
処方箋をもらったので耳鼻科の専門病院の隣にあったのでそこで薬をもらった。
そこで丁寧に説明してくれた。あの薬局その耳鼻科の専門病院の薬局のように錯覚するのである。
現代の地方は主な産業は病院と介護関係なのである。介護の施設も立派なのである。
その他はシャッター通りになっていて商業は衰退しているからだ。
だからこういう社会は健全ではないのである。


ともかく本当は病院とか医者とか看護師とか介護士とかそうした職業が中心になるような社会がゆがんでいるのである。つまり病人社会だとなってしまう。
みんなが健康であれば医者も病院もいらないのである。それこそ天国である。
犯罪が泣ければ警察もいらないのである。へたすると犯罪者がいなくて商売あがったりだと警官が言う、誰か犯罪をおかしてくれとかまでなる。
消防署員が火事がなくて仕事にならないからつまらないとかなり実際に自分で火事を起こした人がいたことでもわかる。
アメリカでは軍需産業が大きいから戦争がないと武器が売れないから戦争を意図的に起こすのだとか良く言われる。
これも怖い話だけどそれが全く空想ではない、現実にあるから怖いのである。


現代社会はそういうことが多い、教育にしても本当は独学ができれば自主的にできれば学校も先生もいらない、先生とか学校でも実際は補助的役割な時教育はうまくいっているのである。なぜならそういうときはみんな自主的に学んでいるからである。
だからインターネットでも自主的に学ぶ場があるといいのである。
武田邦彦氏などが音声でプログで発信しているけどあれも学校に行けなくても学べるなと思った。個人が主催する大学になっていた。
そういう場が増えれば学校に頼る必要がないのである。
そういうことをイリッチなどが指摘した。人間が専門家によって無能化されている社会である。
教育ではお前は学校と先生に頼らなければ何もできないとか、病気になればお前は医者や病院や薬局に頼らなければ健康になることはもうできないとかなる
株だって投資信託などに頼むのは自分にとても複雑な株などやれないからである。
そこで手数料とかかなりとられてもどうにもならないということである。


お前はなにもできない、無能なのだとどこでも知らしめられる社会だというのもわかる
何か問題が起きれば今度は弁護士を頼むとかなるがこれも法律がめんどうで専門家しているからわほからないから頼むほかない、何かもめごとがあっても自分では何も解決できないというのが現代の社会である。
そういう社会は何か個人でも非力であり何か自分が生きるという感覚にともしくなる。
生きる充実がなくなる、お前はただ何もできない、活かされている、専門家によってその支持に従えばいいのだとかなる
こういう社会では無力感があり何か自ら達成するとかの生きる喜びもくなるだろう。


いづれにしろ警察とか病院とか医者とかそうした職業が失業するようにな社会が健全なのである。だから天国にはそいいう職業はないのである。
病気にならないし老いることもないから介護の仕事もない、犯罪がないので警察も警官もいない、戦争がないから兵隊もいないのである。もちろん武器もないのである。
それが理想社会なのである。つまり警察とか病院とか医者とかが権力をもく威張っている社会は何か本末転倒なのである。だから天国に行けばそんなものないからなんだったろうとなる。
この世にはなくていいものがかなりあるのだ。カルト宗教団体などもそうである。
宗教が一つの商売として成り立つ、政治の票として権力を得られる
だからこんなものない方いいし戒名商売などの寺もない方がいい。
つまりこの世になくていいものはかなりある。その中心が地方だと病院だということは歪な社会なのである。
それは病人が中心の社会であることなのだ。そこに若い看護師が多いから地方では一番にぎわっているのが病院だというのも異常なのである。
そういう社会はまず活気などない、病人が中心になっていたらそうなる。
病院が必要でも脇役として目立たないのが健全なの社会である。
医療にはまた税金が使われ予算を圧迫しているし巨額だから深刻なのである。


自然にはそもそも病気がないのである。もちろん樹や花でも枯れるがまたすぐに蘇るしその枯れることに注目はしていない、枯れたらすぐに捨てるだけなのである。
自然はエネルギーに満ちた世界であり決してエネルギーが消失することのない世界である枯れることのない世界なのである。
そもそも人間が死ぬという世界自体間違っているから永遠の命なるキリストが生れたのである。
人間が死ぬということを前提にしたら社会でも何でも病的に見てしまうだろう。
人間は死なない、永遠に生きる、それも健康で生きる存在であってすべてのものに価値がありうる。そこに永遠の命の意味がある。
天国には老いている人も病気の人もいない、みんな若いというときそれが理想である。
まず病人とか老人とかが中心になっている社会はゆがんでいるのである。
老人でも元気ならいいが病人が中心になっている社会は異常なのである。
病人社会になると病人でない奴は社会の一員として認められないとまでなる
現代文明は病人社会だと批判した天才がいたのもそのためなのである。


ともかく母はまだ生きていて病院で死ぬ夢を見たという。自分も病院で死ぬ夢を見た。
それも彼岸へ魂が火の玉のようになって飛んでゆく夢だった。
病院ではそういう夢を見やすいのである。今はみんな病院で死ぬ
病院にはだから死臭が漂っているのである。当然死ぬ夢は見る。死ぬ場所だから当然だとなる 病人の幽霊が彷徨ってもいる。
でも家では寝ていても死ぬ夢はそんなに見ないかもしれない、病院では見るのである。
病院に行くと陰気になり病気が悪化するというのもそういう雰囲気がありそれが伝染するためだと思う。
何か生きるというものがない、人間は最後まで何か生きるということをもたねばならない病気になっても花が好きならその花に命を託すとか何か死ばかりにとらわれるのは良くないのである。
どうしてもそうなりやすくても人間は最後まで死ぬというより生きるということに焦点をあてるべきなのである。

とはいえ人間は弱いから体が弱ればどうしても精神も弱ってくるのである。
それを克服できる人はほとんどいないのである。
ちょっとした病気でも意気消沈するのが人間なのである。
こんなことを言っている自分でも病気になったら弱気になるのである。
高齢化社会長寿社会の課題はいかに元気で生きるかということに尽きる
そして死ぬときは仕事しながら死ぬのがいい、そういう人をみている。
自転車屋は自転車屋をつづけていてそのあと病院に入ったけどまもなく死んだとか一週間前まで九〇才の医者は患者をみていたけど死んだとかみている。
農民だったら田んぼや畑で死ぬのが一番成仏するとなる
病院に入るにしてもすぐに死ねば迷惑もかけないし医療費などかからないのである。
そういうふうに死ねない時代だから問題になる。


教授の診断は誤りで、手術の必要は全くないことがわかったのです。
ところがこの担当医は、「教授に逆らえば医者として生きていけなくなるから」という理由で、全く必要のない手術を、もちろん治療費を取って断行したのです。


医者というのも病院というものも世俗の場であり人間の負の部分が生々しく現れる場所でもある。第一聖職だなとと言っても一番腐敗したのは僧侶であったと同じである。
病院にも医者にも金にまつわることや派閥争いや地位の上下関係とかが露骨に現れそれで殺された患者がいたということはそういう世俗の争いに患者が犠牲になったということである。
病院の怖さは殺人罪にならずに人を殺せるという恐怖の場でもある。
人を容易に殺しやすい場所なのである。でも医療ミスでもほとんど問われることもないのである。
だから病院は恐怖の場所だった。でも一週間くらい緊急入院して死ぬのならかかわることもないからいいとなるのである。
そうはいっても脳梗塞とか脳出血とかその他そうした病気になるからみじめなのである。いくら願ってもみんながそうはなりにくい、まず身寄りがないとか独り身などは病気になることは恐怖になる。介護するものも誰もいないからである。
だからぽっくり死ぬことを真剣に願い何か病院とか介護にならない状態を求めることなになるが将来のことはわからないので願うほかないとなってしまうのである


タグ:病院 医者
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