2006年11月08日

夕紅葉(城下町(相馬市)の古書店)

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城下町古書店一軒夕紅葉

冬晴れの蔵王は座標我が仰ぐ

clear sky in winter
Mt.ZAOU
the centered moutain
in Michinoku

城下町残る虫の音聞き帰る

冬晴れに蔵王の影の大きくも映し出されて八沢浦に見ゆ

相馬市を夕べ帰りぬ松並木晩菊一列街道古りぬ


相馬市は城があったところだから一応城下町だからそれなりの情緒がある。街の情緒は歴史が作り出すから新しい街には作れない、だから田町通りとかを作ったのはそれなりに意義あることだった。古書店が一軒まだあった。もうなくなったかと思った。ここの古書店は情緒がある。ブックオフには情緒がないのだ。古書店となると何か学問の場だという感じもする。書店とか古書店とかは本来は学問とか何か教養と関係していた場所だったのである。学問の雰囲気とか教養の雰囲気とかをかもしだす場だった。そして書店は本揃いが必要である。民俗学の本がそろっているとか何か棚に特色があるといいのだ。

こういうことは京都とか本当に学問する人が多くいる所でないともたなくなっている。それでもつぶれているから今までのように書店を維持することすらむずかしい時代になった。ただ街の情緒はス−パ−とかでは作れないのである。そこに古いものも活きる道がある。必ず昔から古町と新町がある。古町には古町の良さがありそれに適したものが必要なのである。情緒がない街は何かものたりない、淋しいとなる。

6号線を帰ると情緒は感じられないが旧街道の松並木を帰ると情緒があり詩にもなる。街道にはやはり歴史があり過去を偲ぶものがある。相馬市から帰るときは浜街道の松並木の道を帰ると城下町に来て帰ってゆくという感じになる。あの松並木が昔を偲ぶものとなり昔の情緒を再現しているのである。

蔵王は八沢浦からはっきり大きく見えた。なぜ蔵王に注目するかというと阿武隈山脈には大きな山がないからだ。大きな山がないと中心がないと同じなのだ。山はみる角度によってもかなり違ってくる。今日のはかなりまじかに大きくみえた。襞まで見えたし雪も降ったかもしれない、福島市の吾妻山では降ったからだ。蔵王ではその前にも降っている。よく見れば雪があるのだろう。斎藤茂吉が歌った蔵王を相馬市と南相馬市からも共有できる意義は大きいのである。
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