2015年10月30日

事業失敗に家系の因縁はあるのか? (結婚すればやはり相手の因縁を事業でも受ける?)



事業失敗に家系の因縁はあるのか?


(結婚すればやはり相手の因縁を事業でも受ける?)


いろいろな因縁を問題にする、事故の因縁もそうだし病気の因縁もそうである。
そして事業失敗の因縁というのがあるのか?
これは自分の実家の母と父方とも言えないが関係した親戚が二軒がすでにある。
もう一軒を事業に製鋼していたと思っていたが失敗していた。
母方の実家は警察所長までしていた機織り産業が盛んなときで事業に手を出して失敗して一家離散になった。
おじいさんになる人だったが母が威張っている人だというときそううい人でそもそも事業ができる人ではなかった。
もう一軒は町工場をしていた人が経営不振で借金で倒産して土地も家もとられた。そこは更地になり駐車場になった。
もう一軒はこの人はもともと一級の免許をもっているから優秀な人であり事業できるものはもっていた。それがなぜか60頃になって失敗していたことが判明した。
借金をしていたので判明したのである。その額はわからないにしろかなり大きいと思う。なぜなら自分に要求するのが一千万とか百万とかは軽くするからである。
だから貧乏人が一万とか二万をやりくりして借金しているのとは違う。
こういう人とつきあったら本当に怖い,何か恩着せて保証人とかになってくれとかなるからである。
それが病気のとき入院保証人とかになるとき恩きせられたのである。
これも相手の弱いところついてくる非情化した人間になっていた。
借金で追い詰められる人は怖い、犯罪の動機で多いのが借金なのである。
もう相手のことを考える余裕などない、もちろん助ける余裕もない、相手から金を奪おうという考えしかないから怖い、保険金殺人とかあるからそういうものに近くなる。


ただ事業とかに失敗する人はこの世ではいくらでもいる。第一二〇人に一人くらいしか事業に成功していない、それだけ厳しい世界だということである。
自殺する人も借金とか事業で失敗する人が多いだろう。
事業というのは相当なリスクなのである。
だから家系の影響なのか本人の自己責任なのかはわからない、母方の実家には奢りがあった。警察所長ということで俺は偉いんだということで通っていたからである。
だから事業しても成功するんだという考えになっていた。
でも実際は警察所長と会社経営することは全く関係ないことだったのである。
今なら警備会社関係となら警察関係なら何かしらつながりがあるが全くなかったのである奢りが失敗の原因になることは多々ある


もう一人は事業をできる人だったがこの人も奢りがあったのだろう。
先の見通しも甘かった。ただやはりそれなりに実績がある人だから事業をしても成功することはありえた
それがなぜ失敗したのか、その詳細はわからない、そしてなぜ家系とかに関係あるのか?
その人自身の家系について皆目わからないが親戚と関係していた人の家系というか家族がどういうものか知っていた。
妻は若いとき夫が身体障害者となりずーっと世話する役目にをになわされてしまった。
それは不幸だったのだが結婚した娘の夫は優秀であり給料も高かったので恵まれていたと思っていた。それは端からみて恵まれた結婚だったのである。
それが今になってなぜその優秀な夫が事業に失敗したのか?
それは結婚した相手の妻の家系に家族にその家風とかが問題だったのかもしれない
夫で苦労するとか何かその家系と家族に問題があった。
それは知っていたことだが結婚した娘の相手はそうではなかったのである。
それが事業に失敗したことで妻の家系の影響を受けてそうなったのかとなる
夫がしっかりしていて大黒柱になっていれば問題なかった。
事業に失敗した結果夫は頼りない人になりその負担が妻とか同居する母とかにかかってきた。
必ず長男長女は何かその家系の家族のプラス面でありマイナス面であり一身に背負う運命にある。
自分が今や大黒柱といっても女性だったが家族をなくした結果全部自分一人で家族のことを背負う結果になったのである。
長男でない場合は長女が背負うことになる。長男長女はそういう宿命を背負っていたのである。


相手の家系の因縁を受けるというとき結婚がそれだけ単なる好きだ嫌いだというだけではない重みがある。家系の宿縁を背負わされるのが結婚にもなる。
それは悪いものだけでなくないいものを受け継ぐが悪いものも受け継ぐ
事業の失敗はその人個人の奢りがあったものだが結果的には妻の家系のマイナスの面を引き継いでその悪い面に同化したとなるのか?
家系というときその家が形作る運命的なものもあるが家風というのももあるだろう。
家風があわないから結婚しないとかもある、あまりに金持ちの家と貧乏人とかの家だとあわないこともあるしあわないことは職業でもあるだろう


その点江戸時代は同じ家風の人同士が結婚していたからうまくいっていたのではないか
侍は侍同士の結婚であり職人は職人同士で農民は農民同士とかが多いからである。
今は多種多様な人々が入り交じっているから家風でもわからないし思わぬことでそのずれが大きくなりやすいのである。だから離婚が三分の一と多くなったとも言える。
好き同士で結婚してもあとあと60になってからでもその家系の影響がでてくる怖さであるただその人が事業に手を出さなかったらこんなことにはならなかった。
恵まれたものとして老後もなっていた、それでも今は何かやと下流老人が増えているのだから別にこういう人はいくらでもいるからいちがいに家系とか家風とかから見ることもてきない
客観的に見た場合その人は知っているから家系の家風とかの影響を受けてそうなったのかと思った。
家のことはそれぞれ複雑でありわかりにくい、でも親戚関係だとやはり具体的に見えてくるから自分のこととも関係して被害を受けたから深刻になるから考える
その家系とか家族を傍観しているならいいができない、災いでも具体的に及んでくる
その事業のことなどわからなかったが今回は自分の家に自分にも被害となったから考えたのである。


ともかく小さな会社でも大きな会社でもいかに経営というのがずかしいかわかる。
東電がそうだったし旭化成でもあれだけの大企業がいくつもかかわってもそうだった。
事業というのは大会社でも経営するのがむずかしいのである。
ここにもやはり大会社だという奢りがあったことは確かである。
大会社だから安心だということで内部でも油断と奢りがあった。
何らか常に人間は奢るとき失敗に通じる、奢れるもの久しからずというのが常にあったからである。奢ること自体が危険になってくる。それは国単位でもそうである。
大きな国でも奢りから衰退してゆくこともある。
ただ人間には思わぬ落とし穴が常にある。津波もそうだし原発事故もそうだったしそういう大事故でなくても常に思わぬ落とし穴があり人生が狂ってしまう。
思わぬ落とし穴だからこそ予想がつかないからその穴に落ちるのである。
思わぬ幸福もあるにしろ思わぬ不幸もまた人間には多いのである。


ここ十年の介護や自分の病気などはそうだった。そこに思わぬ幸運というかそういうものあった。ただそれ以上に不運が不幸が大きくのしかかってきたのである。
結局自分の不運とか不幸は恵まれすぎたということにもあった。
恵まれすぎると苦難に対処できない、例えば美人の妻をもっても意外と苦難が来たとき役にたたないということがある。だから妻の良し悪しも見栄えだけからは判断できないのである。苦難に強い女性もいるからである。
人間は結局何が思わぬ落とし穴になるからわからないということである。
それに備えようにも備えられないということもあるのだ。
いくら金をためて備えてもそれが役立たないということもありうる、かえってその金が遺産争いのようにまた強盗のような人がきて奪われるとか殺されることにもなる
そういうことを自ら経験したから金は怖いとつくづく思った。
何か落とし穴になるかわからないというのは備えようがないということでもある。


家系とかの問題で何かその相談などで金をとるとか除霊とか先祖をなんとかとかで商売にするのは危険である。それなりにいいことを言っていても危険である。
宗教とかそうした相談にのる人は相手の弱さがあってそれに対して金をとる
弱いものに対してその弱さにつけこんで商売にするのは何か危険である
そこに何か人間性がそこなわれるし悪魔的にもなる
だから医者とか看護師とかでも常に病人を弱者を相手にしているから一歩間違えば悪魔的になる。
いらない薬でも金のために飲ませるとかいろいろある。弱者に対してはそういうことが簡単にできるからある。
宗教でもカルト団体などに頼るのも危険である。人間が弱者化するとき危険なのはその弱さにつけこんでくる人が必ずいるしそれが多いということである。
宗教などはむしろ生きのいい病人でもなんでもない健康な人を相手にすべきなのである。弱者になるときいくら金持ちでも必ず優位にたてる、自分もそういうふうに借金していた人から病気の時脅迫まがいのことをされたし現実に大金を失った。
そういうことは老人に対してやりやすいからそうなる。


ともかく相手の弱みにつけこんで脅したりするのは人間として最低ではないか?
でも相手も窮迫していたのだからそんなことを言っていられない
それは弱肉強食のまさに自然界とも同じだった。食うか食われるかの世界である。
飢えていれば子供とか弱ったものが先に獲物にしやすいから狙うのである。
そういう経験をしたから人間界も動物界と同じだったのである。
人間は弱者に対して本当に同情心がもてるのかということさえ思う
カルト宗教団体などでは同情心は全くない、ただ一つの政治団体として権力を得るために人を集めるためにある。
そうはいってもそういう底辺の人たちはどこにも頼る場がない、頼る人がいないからそういう場所でも安易に入ってゆく、だから生活保護関係とかそういうことを斡旋してくれる政党とかカルト宗教団体は必要悪として否定できないのである。


つまりそこに弱者の悲しさがある。
上級階級だとコネがあったりいろいろ得するが底辺層は保証人になってくれる人もいないなど常に不利になり損するからである。
そういうコネも得られないとなるとそういう政党でもカルト宗教団体でもなんでもかまわない頼れる所に頼るというのが庶民なのである。そこでは宗教など関係ない
何か得することがあるから入るのでありそれ以外何もない、コネとか金がない人はそういう場所に頼る他ないのである。
ただ人間は金があっても権力があっても弱者化することがまねがれない、必ず病気になり老人になり弱者化するからである。
「悲しむものは幸いである」という意味は何なのだろうか
それは悲しまない立場にある人はすでになんらか奢りにありこの世で得をしているが実はそのことは下々のものがいて苦労していてその人たちのおかげで悲しまない立場にある
だから上にたつ人はそういう弱者のことを考えねばならないだがほとんど無関心である
そして弱者になってみないと弱者の気持すらわからないことなのである。
だから上に立つ人は悲しまない立場にある人はある意味で天国に行けないというとき
かえって小さい人やそうしてこの世で悲しんだ人たちの方が天国にいたともなる。
この世であまりにも得する強者になっていること自体が罪なことだともなってしまうのである。


いづれにしろ家系の因縁はそれぞれの家族で違っているから複雑であり外から見てわかりにくい、家系というよりその人自身の人間性とかも関係しているからすべて家系の問題でもない、何かの犯罪であれこうした不幸であり必ずいろいろな要因が重なっているのである。家系もその一つであり家系がすべてとはならない
ただ家系も家風も確実に影響している、家系とか家族とかが形成する家風には癖がありそれも影響している
商家だったらやはり商家の家風を受け継いで成功することもある。
一からはじめると商売で成功するのはむずかしくなる


タグ:事業の失敗
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